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関ヶ原駅 JR東海)東海道本線

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関ヶ原駅は戦国時代の合戦「天下分け目の関ヶ原」で有名な岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅です。

冬の積雪量が多く、よく路線が不通になることがあります。
南荒尾信号場で分岐していた上り本線・下り本線と通称「垂井線」と呼ばれる単線が当駅で合流する。岐阜県最西端の駅です。

島式ホーム2面4線を有する地上駅である。入口部分が改装された洋風木造駅舎です。駅舎は構内南側にあり、2つのホームとは跨線橋で連絡している。


東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、大垣駅が当駅を管理している。切符売場にはタッチパネル式の券売機が1台。みどりの窓口、自動改札機が2台設置されています。

自動改札機は静岡地区の小規模駅で導入されている簡易型のものである。当駅から岐阜方面に限り、TOICAおよび相互利用先IC乗車カードの対応区間となっている。改札口に発車案内は設置されていません。


当駅で上り方面へ折り返す列車は上り本線に入線できないため、いったん垂井線を東方面に向かい垂井駅から上り本線に入る。そのため当駅から垂井駅までは複線を逆走しているように見える。


当駅以西は、国道21号と併走する区間(関ケ原町大字今須)に県境があり、ここまで岐阜県であるが(夏場以外は車窓からもカントリーサインが見える)、ここと当駅との間にトンネルを含めた峠越えがある。当駅から米原駅までは東海道本線(美濃赤坂線を除く)で最も本数が少ない区間であり、当駅を含む大垣 - 米原間の日中における普通列車は毎時2本程度しか走っていない。

関ヶ原駅プラットホーム
ホーム 路線 方向        行先 備考
1■東海道本線 下り(垂井線経由)米原・京都方面


2■東海道本線 上り(垂井線経由)大垣・名古屋方面 当駅始発専用
3■東海道本線 下り(本線経由) (特急・貨物列車の通過のみ)


4■東海道本線 上り(本線経由) 大垣・名古屋方面
下り停車列車は全て垂井線を経由するため、垂井線用の1番線ホームのみを使用する。本来の下り本線である3番線は通過列車しか通らない。構内下り方は急カーブとなっています。

駅舎からホームへ向かう通路にあった鉄道唱歌の石碑。関ヶ原バージョン。

1883年(明治16年)5月1日 - 官設鉄道の関ヶ原 - 長浜間開業時に設置。一般駅当時は、春照駅経由で長浜駅と連絡していた。
1889年(明治22年)7月1日 - 分岐点(後の深谷) - 長岡 - 米原 - 馬場間延長線開業。分岐点 - 長浜間休止。
1891年(明治24年)1月12日 - 長岡・長浜への分岐点に深谷駅(貨物駅)開業。深谷 - 長浜間が貨物線として運行再開。


1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
1899年(明治32年)10月15日 - 関ヶ原 - (柏原) - 長岡間の勾配緩和新線(現在線)が開業。
1899年(明治32年)12月28日 - 関ヶ原 - 深谷 - 長岡および深谷 - 長浜間廃線。


1944年(昭和19年)10月11日 - 新垂井駅経由の勾配緩和別線(下り専用)が開業。南荒尾信号場 - 垂井 - 関ヶ原間の下り線が撤去される。
1946年(昭和21年)11月1日 - 旧下り線が垂井線(単線)として復活。
1973年(昭和48年)10月1日 - 貨物の取扱いを廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱を廃止。


1986年(昭和61年)11月1日 - 下り本線(勾配緩和別線)にあった新垂井駅が廃止。全普通列車が垂井駅経由での運転となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が承継。
2006年(平成18年)11月25日 - TOICA導入。ただし岐阜方面のみ利用可能で、米原駅との間は使用できない。

電報略号 セラ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 1,095人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1883年(明治16年)5月1日
乗入路線
所属路線 東海道本線(上り本線・垂井線)
所属路線 東海道本線(下り本線)
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
* この間に南荒尾信号場有り(当駅から10.7km先)。

 


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