JUXS-S1 UAV(近距離用)
陸上自衛隊の全翼式の小型UAV。翼幅約1.5 m,質量約4 kg、プロペラは2枚翅で、回転直径が目算で20cm程度と非常に小さく小型軽量である。手投げ離陸や狭いエリアへの着陸を実現し,離着陸には特別な装置・施設を必要としない。携行時には分割することができ,コンパクトに収納可能である。情報取得用のセンサーは,可視カメラなどが用意されている。2名の人員によって携行し,運用。本体の発進方法は、手投げする他、ゴムバンドを使ったパチンコのような簡易カタパルト方式。JUXS-S1は日立グループが製作、初号機を2011年2月に納入し,2012年6月現在,16機を納入済みである。
地上装置も同様に,携行可能な収納状態にすることができる。小型無人航空機の飛行時は地上装置を展開し,取得した情報の表示や目標の探知などの処理が可能となる。
無人機本体と制御装置で構成されています。制御装置は、「制御用の端末+伝送処理部+通信アンテナ」の3つの部分で構成されていました。防衛用としては敵の支配地域に進出し我の企画を秘匿しつつt、敵及び地域に関する詳細情報の継続的な収集に使用。災害用としては空中から捜索により近距離における災害状況等の情報収集に使用。
UAVは無人航空機や飛行ドローンは、人が搭乗していない航空機のこと。無人機の1種。単に、ドローン(Drone)と呼ばれる事もある。
「無人航空機」には全幅30メートルを越える大型から手の上に乗る小型までの様々な大きさのものが存在し、固定翼機と回転翼機の両方で軍用・民間用いずれも実用化されている。操縦は基本的に無線操縦で行われ、機影を目視で見ながら操縦するものから衛星回線を利用して地球の裏側からでも制御可能なものまで多様である。飛行ルートを座標データとしてあらかじめプログラムすることでGPSなどの援用で完全自律飛行を行う機体も存在する。似た性能を持つ巡航ミサイルや弾道ミサイルは通常は無人航空機には含まない。大きな機体ではガスタービンエンジンを搭載するものから、小さなものではガソリンエンジンを搭載し、極小の機体ではバッテリー駆動される。
固定翼機では、離着陸時に地上を滑走するものが多いが、小型の機体ではトラックの荷台に載せたカタパルトから打ち出すものや、さらに小さな機体では手で投げるものもあり、回収方法も小型のものではネットで受けるものもある。例としてRQ-2 パイオニアはネットで回収する。
無人の航空機を遠隔操縦するという発想は既に第一次世界大戦中からあり、第二次世界大戦時から研究が本格化した。当初はケタリング・バグのような飛行爆弾に近い攻撃用途での研究が多かったが、完全な無人作戦機として使えるものが実用化されることはなかった。
1944年には、アメリカ陸軍が強固に防御されたV1飛行爆弾発射施設などを破壊するため、B-17爆撃機を無人機に改造し高性能炸薬を積み込んで体当たりさせるという「アフロディーテ作戦」を立案していた。改造されたB-17はBQ-7と呼ばれ、不要な装備を全て外し、コックピットにテレビカメラを計器盤と外を見るための計2台を設置して無線操縦できるようにされていた。しかし、炸薬の安全装置解除が遠隔操作ではできないなどの問題があったため、パイロットと航空機関士が搭乗して離陸を行い、イギリス領空内で誘導母機と合流し炸薬の安全装置を解除してから脱出するという、無人機としてはまだ不完全なものだった。BQ-7は1944年4月から攻撃任務に投入されたものの、当時の技術的な問題から途中で操縦不能に陥り墜落してしまうことが多く、攻撃は一度も成功しなかった。その後ノルマンディー上陸作戦の成功により目標となる施設の地上制圧が可能になったこともあり、1945年に作戦は中止された。この作戦にはアメリカ海軍も便乗しており、改造する機体をPB4Y-1に変更して行っていた。1944年8月12日の初攻撃任務にはジョン・F・ケネディの兄ジョセフ・P・ケネディ・ジュニアがPB4Y-1のパイロットとして参加していたが、脱出前に機体が原因不明の爆発を起こし戦死した。これを最後に海軍では行われていない。無人機型B-17は戦後も運用されており、1946年に行われた核実験「クロスロード作戦」では新型の無線操縦装置を取り付けたQB-17が核爆発後の降下物測定に使用された。
戦後、軍用での無人機として広く普及したものは「ターゲット・ドローン」と呼ばれる標的機であった。
標的機はその目的・運用上、無人でそれなりの機動ができることが望ましい。研究・開発は大戦中から始まっており、英国の練習機DH.82 タイガー・モスをベースとした無線操縦機Queen Bee(クインビー、女王蜂)は、そこから転じて生まれた「ドローン」(雄蜂)という呼称の由来となっている。
アメリカ空軍では1950年代にBQM-34 ファイヤービーのような高速飛行するジェット推進式の標的機を配備して、標的機の他にも試験的ながら攻撃用途での開発の先鞭が付けられた。ファイヤービーはパラシュートによる回収方法が採用されたが、アメリカ海軍では無線操縦式のヘリコプターであるQH-50 DASHにより、海上を飛行して魚雷を投下する用途で1960年代に開発配備した。
1970年頃から無線機の小型化や電子誘導装置が発達したことにより、写真偵察などを目的とする無人偵察機がアメリカやイスラエルで本格的に開発開始された。20世紀末からはさらなる画像電子機器や通信機器、コンピュータの発達により、リアルタイムでの操縦と偵察映像の入手、完全自動操縦などが可能となり、21世紀からは偵察機型から攻撃機型への展開が行われた。2010年度の米国防予算案では、4軍合計で無人機への予算を38億ドル要求し、1,297機の購入を見込んでいる。2009年度は1,071機の購入だった。また、高高度を飛行することで通信中継点となる軍用無人航空機の研究も進められている。一方、アメリカやイスラエルと異なり、欧州各国は無人機の有効性に懐疑的な主張が多く、本格的な開発に入ったのはアフガニスタン戦争やイラク戦争での、アメリカ軍の無人機の戦果を目の当たりにしてからであり、開発は遅れている。
日本では、1950年代から研究が開始されており、主に偵察分野で無人機を活用している他、無人ヘリコプターからのミサイル攻撃などを研究している。近年では、中国が、無人機の開発で急速に存在感を増しつつある。日本では、幅広い産業分野で無人航空機が利用されており、特に農業では農薬散布に広く利用されている。世界で初めて、産業用無人ヘリを開発したのは日本のヤマハ発動機であり、農林水産省から委託を受けて神戸技研が二重反転式ローターのRCASSの開発を進めていたが難航したため、撤退して、その後、1985年からエンジンの供給元であったヤマハ発動機が引き継ぎ、ヒロボーの協力で1987年に開発、翌年から実際に販売された。
衛星との双方向の通信によってリアルタイムの操縦が行える高性能な機体では、地上側にパイロット席に相当する移動式の操縦ステーションが設置、これと軍用無人機とが組み合わされ、全体が1つのシステムとして機能するものも現れている。
無人ステルス機の研究も進められている。RQ-3 ダークスターやX-47のような実験機を経て、RQ-170 センチネルが実戦に参加していると推測される。ただし、機密が多く詳細は明らかではない。また、無人制空戦闘機といった計画も知られていない。