大村駅(おおむらえき)は、長崎県大村市東本町にある、九州旅客鉄道(JR九州)大村線の駅である。快速「シーサイドライナー」と普通列車が停車する。
大村市は、長崎県の中央に位置する市。東は多良岳県立公園、西は大村湾を望む自然豊かな市である。また、長崎空港があることから、長崎県の玄関口としての面も併せ持つ。1897年に熊本の歩兵第46連隊(日本陸軍)が放虎原(ほうこばる)に駐屯し、各種サービス業者が営業を開始したことにより状況は一変する。1923年には海軍航空隊が、1941年にはアジア最大ともいわれた第21海軍航空廠が開設され、大村は「軍都」として発展した。1941年の人口は3万3千人ほどであったが、1943年には6万7千人と倍増し、1942年2月11日に大村町、三浦村、萱瀬(かやぜ)村、福重(ふくしげ)村、鈴田村、松原村の1町5村が合併し市制施行した。
第21海軍航空廠は1944年10月25日の大空襲で壊滅し、その後も度々米軍の艦載機等の攻撃に晒されている。長崎市への原子爆弾投下の際には海軍や陸軍の病院があったため(前者は現在の国立病院機構長崎医療センター、後者は現在の市立大村市民病院)多くの被爆者が搬送されてきた。一時期、長崎師範学校(現: 長崎大学教育学部)や長崎医科大学基礎医学部などが大村市内に移転しており学園都市としての発展も期待されていたが、いずれも1949年から1953年にかけて長崎市に再移転している。
戦後は世界初の海上空港である長崎空港や高速道路などのアクセスの利便性を活かしたハイテク産業などの面でも発展を続けている。
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。かつて長崎本線の一部であった名残で、上下線とも構内配線が非常に長くなっている。互いのホームは跨線橋で連絡している。大きな木造駅舎をもつ。
直営駅で、みどりの窓口・自動券売機が設置されている。2012年2月にバリアフリー化工事が行われ、3月1日よりエレベーターが稼動した。2012年12月よりICカード「SUGOCA」に対応し、専用の改札機とチャージ装置が設置された。
放送は駅員による肉声放送だが、カラカラベルがあり大村夏越祭りなどの多客時に使用されていた。現在は常に列車接近時にベルが鳴るようになった。
2010年3月14日にFMおおむら(コミュニティFM)が開局した。
のりば
ホーム 路線 方向 行先
1 ■大村線 上り 竹松・ハウステンボス・早岐・佐世保方面
2 下り 諫早・長与/市布・長崎方面
駅周辺には長崎県交通局大村バスターミナル、大村駅前郵便局、ヤマダ電機テックランド大村店、イオン大村店、シーハットおおむら、大村市役所、大村市民会館、大村市立図書館、長崎空港(当駅よりバスに乗り換え)、まるたか生鮮市場三城店、ヒマラヤ、ガスト、マルキョウ
バス路線:長崎県交通局が長崎空港や諫早駅前などへ向かうバスを運行している。最寄りバス停は大村ターミナルまたは大村駅前。
1898年(明治31年)
1月20日:九州鉄道長崎線 早岐駅 - 大村駅間が開通し、同線の終着駅として開業。
11月27日:九州鉄道長崎線 大村駅 - 諫早駅 - 長与駅間が開通し、途中駅となる。
1907年(明治40年)7月1日:九州鉄道の国有化に伴い、国有鉄道長崎線の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、鳥栖駅 - 早岐駅 - 長崎駅間が長崎本線に改称。
1918年(大正7年)8月:シロアリ被害のため、現在の駅舎に改築。
1934年(昭和9年)12月1日:線路名称変更に伴い、長崎本線 早岐駅 - 大村駅 - 諫早駅間が大村線に改称。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)に継承。
2012年(平成24年)12月1日:同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入
所属路線 大村線
キロ程 36.2km(早岐起点)
電報略号 ムラ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,564人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1898年(明治31年)1月20日
備考 直営駅
みどりの窓口 有