所属:京都総合運転所
塗装:地域色
製造:川崎重工 昭和55年1月16日
検査:
定員:132人
重量:
冷房:AU75形
編成:L12編成
111系
構造
湘南電車(東海道本線東京地区普通列車)には1950年代末期から1960年代初頭にかけて80系と153系が使用されていた。しかし両形式は片開きの片側2ドア・デッキ付き構造でラッシュ時の客扱い能力に難があり、打開策として両開き片側3ドア・デッキなし構造の近郊形電車が投入されることになった。
1960年に常磐線用に開発された交直流電車である401系とその姉妹車421系の直流専用型というべき位置付けで、主電動機として1時間定格出力100kWのMT46A形直巻電動機を搭載することも共通する。車体構造や座席配置についてもほぼ同様であり、詳細は同系列の概要を参照のこと。
台車は、電動車用は401・421系用と同一のDT21B形であるが、付随車用台車はブレーキ頻度の高さを考慮して、401・421系に使用している踏面ブレーキ式のTR64形ではなくディスクブレーキ式のTR62形とされた。
前面形状については、153系のうち1961年度以降製造されていた高運転台タイプと同じ構造とされた。前照灯は落成時点では大型タイプで、のちに前面強化工事と併施で小型のシールドビームに改造された車両もある。また、クハ111形のうち偶数向き(静岡・神戸方)に連結される車両は、床下に電動空気圧縮機 (CP) を搭載することから、300番台として区分されている。
相前後して1時間定格出力120kWの強力型モーターMT54形が開発されたため、直流近郊形電車もこれを搭載した113系に移行し、111系の新規製造は1962年 - 1963年と短期間で終わっている。
111系の形式
記載順は過去からの慣例に準じる。
モハ111形 (M)
モハ110形とユニットを組む電動車で、主制御器、主抵抗器、電動発電機 (MG) を搭載する。JR四国に配置された車両は冷房改造時にMGが撤去された。
モハ110形 (M')
モハ111形とユニットを組む電動車で、パンタグラフと空気圧縮機 (CP) を搭載する。JR四国に配置された車両は冷房改造時にサイリスタインバータ (SIV) が設置された。
クハ111形 (Tc)
111・113系を通しての制御車である。3位側隅にトイレがあり、300番台はCPを搭載している。同時期に登場した115系と異なり、奇数向き(東海道本線基準で東京方)が0番台 (Tc) 、偶数向き(神戸方)が300番台 (Tc1) と区別されているが、非冷房車は奇数向き・偶数向き双方に使用が可能な両わたり構造となっている(クハ111-1017 - 1025・1332 - 1339を除く)。初期車については、中間組み込み時に助士席側を折りたたみ、立席スペースとすることができるようになっている。
運用と改造
1962年に東海道本線用として大船電車区(現・鎌倉車両センター)と静岡運転所(現・静岡車両区)に導入され、秋には横須賀線にも進出した。この際には塗装変更はされず、東海道本線と同じ湘南色のまま前面に横須賀線のラインカラーであるスカ色のヘッドマーク形行先表示板が取付けられていた。登場当初の編成を以下に示す。基本編成中間に先頭車両(Tc)が組み込まれているが、これは新幹線が開通した際の編成短縮を見込んだためである。
1974年以降、113系0'番台の投入によって大船所属車は広島運転所へ転出し、その後は東海道本線静岡地区と山陽本線広島・下関地区で集中使用された時期が長い。なお、111系と同じ時期に製造されたクハ111形の一部は、鳳電車区(のちに日根野電車区)に転配され、関西本線湊町(現在のJR難波) - 奈良間や阪和線、紀勢本線などで使用された。
これらは国鉄末期から廃車が始まっていたが、国鉄最末期の1987年3月に四国地区(予讃本線高松 - 坂出、多度津 - 観音寺間と土讃本線多度津 - 琴平間)で電化が実施されるのに伴い、12両(モハ111/110-13・24・36, クハ111-6・11・28、303・317・323)が4両編成3本を組んで四国(高松運転所)に転用され、そのまま四国旅客鉄道(JR四国)に承継された。
JR化後の1988年にJR四国用としてさらに日本国有鉄道清算事業団が保有していた8両(モハ111/110-3・4, クハ111-2・10・27・29)の車籍が復活したが、この時に車籍編入されたクハ111形は上り向き用の0番台ばかりであったため、同年2両(10・11)が下り向きに方向転換改造されてクハ111形3000番台(3001・3002)となった。
四国の111系は使用開始にあたり塗装が独自のもの(四国色)に変更され、本四備讃線用の無線アンテナが設置された。またクハ111形のトイレは撤去(クハ111-27・29だけはトイレを撤去していない)され、モハ110形には2両分しかホームがなかった無人駅で車掌が集札を行うために車掌用設備(放送装置や車掌スイッチなど)がある業務用スペースを設置した。新製導入された121系と同様に全車禁煙としたため全車両とも灰皿は撤去された。さらに1988年から翌1989年にかけて集約分散形AU101形を用いた冷房化改造が実施され、あわせて電源装置が電動発電機 (MG) から静止形インバータ (SIV) に変更された。一部、窓サッシの交換や前照灯のシールドビーム化がなされた車両も存在する。
瀬戸大橋線開業直後は岡山 - 高松間の臨時快速にも使用されたが、おもに瀬戸大橋線岡山 - 観音寺間と、ラッシュ時の高松 - 観音寺・琴平間の列車に使用されたほか、団体専用列車にも使用された。先述のように各部に改造がなされていたが、老朽化のために1996年から2001年3月にかけて6000系や後述の113系改造車(→#JR四国)に置換えられ、全車が廃車となった。
なお、111系として落成し、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されたクハ111-314は後述の高速化改造施工によりクハ111-5314に改番のうえ、2006年5月まで在籍していた。また、台車・主電動機の一部は豊橋鉄道へ譲渡され、同社渥美線用の1900系の走行機器[3]として使用されたのち、さらに京福電気鉄道福井支社(現 えちぜん鉄道)へ譲渡されモハ1101形(MC1101形)の走行機器[3]として2014年に同形式が全廃されるまで使用された。
現在、旧静岡地区所属車のクハ111-1がリニア・鉄道館[* 1]、モハ111/110-1が東海旅客鉄道浜松工場に、旧四国地区所属車のクハ111-3002が四国旅客鉄道多度津工場にそれぞれ保存されていたが、モハユニットに関しては、すでに解体されているものと思われる。保存車はいずれも湘南色 である。
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
四国旅客鉄道
製造所 日本車輌製造、川崎車輛/川崎重工業、汽車製造、近畿車輛、帝國車輛工業、東急車輛製造、日立製作所
製造年 1963年[1] - 1982年
製造数 2,943両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
(架空電車線方式)
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 1.6 km/h/s (MT比1:1時)
減速度(常用) 3.0 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
自重 31.6 t (最小 クハ111)
38.6 t (最大 モハ113)
全長 20,000 mm
全幅 2,956 mm
全高 4,077 mm
車体材質 普通鋼
ステンレス(サロ124・125形)
主電動機 直流直巻電動機
MT46A形 100kW×4基 / 両(111系)
MT54形 120kW ×4基 / 両(113系)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 1:4.82
定格速度 111系: 59.5 km/h (70%界磁)
113系: 52.5 km/h (全界磁), 84.5 km/h(40%界磁)
引張力 6,690 kg (全界磁・電動車1組)
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
制御装置 CS12A形(111系)
CS12D形(113系)
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ