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美祢駅 美祢線

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美祢市の代表駅である、美祢駅は、山口県美祢市大嶺町東分字平城にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)美祢線の駅です。駅前はロータリーもあり広いスペースとなっています。

美祢市は、山口県中央部にある市。四方を山が囲み、特に長門市・萩市との間は中国山地が横たわるため冬季は凍結や積雪などがあります。さまざまな化石が産出されることで知られており、土地は石灰質である所が多く、国道435号が通過する大嶺地区や豊田前地区では道路沿いに石灰層や石炭層を見ることが出来ます。

市名の由来は「山(峰)に囲まれていることから、峰が美祢に転訛した」という説があります。明治維新後に開発された大嶺炭鉱の無煙炭、石灰石の産出などで工業都市として発展。特に大嶺炭鉱の無煙炭は、戦前の軍艦などの燃料に重宝された。石灰石は全国有数の国内シェアを誇っていました。大嶺炭鉱が閉山した後は人口が激減。現在でも宇部興産や太平洋セメントによる石灰石の産出は行っており、工業団地の誘致などにより工業都市としての発展を図っています。2007年(平成19年)5月には日本初のPFI方式で設置された刑務所である美祢社会復帰促進センターが豊田前町の工業団地「美祢テクノパーク」内に開設されました。市東部の秋芳・美東地域は秋吉台国定公園を中心とした観光業が主たる産業であり、秋吉台・秋芳洞をはじめとする観光資源が多数存在します。農業も盛んで、梨やゴボウ・ホウレンソウ(他地域より甘みがあり、生で食べることもできる)が特産です。


 

美祢線(みねせん)は、山口県山陽小野田市の厚狭駅から山口県長門市の長門市駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)です。山口県を南北に貫く地域輸送路線。沿線には秋吉台・秋芳洞への玄関口美祢市や海上アルプスと呼ばれる青海島がある長門市などを控えている。かつては石灰石などの貨物輸送が多かったため幹線に指定されました。

2010年(平成22年)3月13日のダイヤ改正以降、旅客列車はすべて各駅に停車する普通列車で、1 - 2時間に1本程度運転されています。ほとんどの列車が厚狭駅 - 長門市駅間の全区間で運行され、区間運転の列車は登校日の朝に美祢駅→仙崎駅間で運行される1本のみとなっています。約半数が山陰本線仙崎支線まで直通し、厚狭駅 - 長門市駅 - 仙崎駅間折り返し運転を行っている。保守工事のため、日中の列車は奇数月の第4水曜日(休日にあたる場合をのぞく)は運休し、バス代行となります。全列車がワンマン運転を実施しています。

貨物列車は美祢駅以南で運行されています。美祢駅と山陰本線岡見駅との間を山陽本線・山口線経由で1日1往復運転される専用貨物列車で、牽引機はDD51形ディーゼル機関車、貨車はすべてタキ1100形です。これは、宇部興産伊佐セメント工場で生産される炭酸カルシウムと中国電力三隅発電所で発生するフライアッシュを相互に輸送するものです。


 
かつては美祢駅から宇部線宇部港駅との間で石炭・石灰石運搬の専用貨物列車(DD51形牽引、貨車は石炭車のセキ6000形・セキ8000形)が昼夜を問わず多数運転されており、旅客輸送以上に収益をもたらしていたが、主たる顧客であった宇部興産が自社の専用道路を開通させ、石炭・石灰石輸送をトラック輸送に移行させたのに伴い、宇部港駅向けの石灰石列車は1998年(平成10年)に廃止となっています。美祢線南部の各駅に十分な有効長を持つ交換設備を備えることと、松ヶ瀬・鴨ノ庄の両信号場の存在は、石灰石輸送全盛時の設備増強に由来している部分が大きい。


 
また近年まで運行されていた系統として、重安駅と宇部線宇部岬駅との間で1日1往復運転される専用貨物列車が存在した。牽引機はDD51形・DE10形ディーゼル機関車、貨車はホキ9500形で、太平洋セメント重安鉱業所で生産される塊石灰石をセントラル硝子宇部工場へ輸送するものでした。これについては、ホキ9500形の老朽化に伴い2009年10月18日の運行をもって廃止となりました。

 
かつては線内を運行する急行列車として「あきよし」や「さんべ」が運行されていました(美祢線内は美祢駅と長門湯本駅に停車)。いずれも山陰本線益田方面から美祢線・山陽本線を経て九州に至る列車であるが、美祢線を経由する列車・編成は1985年に廃止されています。急行「さんべ」には益田駅で山口線経由の編成と分割、あるいは長門市駅で山陰本線経由の編成と分割後下関駅で併結するという変わった運行形態のものがありました。そのため、実質的に最短経路で運賃を計算できるように選択乗車の制度があった。なお、急行「さんべ」にグリーン車が連結されていたときは山陰本線経由ではなく美祢線経由の編成がグリーン車付きとなっていました。
 
また、急行列車の運転終了後、「北長門」(厚狭駅 - 長門市駅 - 東萩駅間)[2]・「金子みすゞ号」(厚狭駅 - 長門市駅 - 仙崎駅間)・「萩・津和野号」(厚狭駅 - 長門市駅 - 益田駅 - 津和野駅間)といった臨時快速列車も運転されていたが、運行終了となりました。


単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。構内の南東側、1番のりばに接して駅舎がある。2009年3月14日改正ダイヤでは、当駅で旅客列車同士の交換が設定されていないため、旅客列車はすべて1番のりばに発着する。2・3番のりばへは構内踏切で連絡しているが、1番のりば側の段差に蓋がされており、構内踏切へ降りること自体ができなくなっています。登校日のみ当駅始発の列車が設定されています。長門鉄道部が管理し、ジェイアール西日本広島メンテックが駅業務を受託する業務委託駅。美祢線の中間駅では唯一みどりの窓口が設置されている。駅裏への自由通路は設けられていません。また、かつては売店とうどん屋が営業していたが、それぞれ2008年(平成20年)と2007年(平成19年)に閉店しました。


 
美祢駅プラットホーム

ホーム    路線  方向  行先
 1     ■美祢線 下り  長門市方面
                上り  厚狭方面
2・3  (貨物専用のため立入不可)
 
旅客案内上ののりば番号は駅舎側から順に付番されているが、列車運転指令上の番線番号は駅舎反対側から順に付番されているため、番号が逆転する(1番のりばが「3番線」)。JR貨物の駅は、専用線発着の車扱貨物の取扱駅となっています。旅客ホームの北500メートルほどの場所に「美祢ヤード」と呼ばれる小規模な操車場があり、ここから南東方向へ伸び宇部興産伊佐セメント工場へ至る全長2kmほどの専用線がある。当駅と山陰本線岡見駅の間にはタキ1100形で編成された専用貨物列車が1日1往復運転されており(山陽本線・山口線経由)、伊佐セメント工場からは炭酸カルシウム(石灰石)が中国電力三隅火力発電所へ送られ、逆に三隅火力発電所からはフライアッシュ(石炭灰)が伊佐セメント工場へ送られているとのこと。かつては石炭輸送で多くの貨物列車が発着していたが、大嶺炭鉱の閉山により石炭輸送は廃止された。また、宇部港駅への石灰石輸送は宇部興産専用道路の開通後は同道路を使用したトラック輸送に順次切りかわり、1998年(平成10年)に廃止されました。

 

厚狭駅 - 南大嶺駅 - 大嶺駅間は、大嶺から産出される石炭を運ぶために山陽鉄道が1905年(明治38年)に開業した。翌年国有化され大嶺線となった。南大嶺駅 - 重安駅間は、美祢軽便鉄道により1916年(大正5年)に開業した。のちに国有化され美禰軽便線となり、軽便鉄道法の廃止に伴い1922年(大正11年)に軽便線の呼称が廃止され美禰線となった。重安駅 - 長門市駅間は、国鉄線として延伸された区間である。正明市(現在の長門市)駅までは1924年に開通した。その後、美禰線として東は宇田郷駅、西は阿川駅、北は仙崎駅まで延伸されるが、1933年(昭和8年)に正明市駅から先は山陰本線に編入された。なお、美祢線の表記となったのは1963年(昭和38年)のことである。美祢線に編入後、大嶺支線と呼ばれていた南大嶺 - 大嶺間は1997年(平成9年)に廃止されました。


1916年(大正5年)9月15日 - 美祢軽便鉄道の伊佐駅(現・南大嶺駅) - 重安駅間開業と同時に、吉則停留場(よしのりていりゅうじょう)として設置。
 1920年(大正9年)6月1日 - 美祢軽便鉄道が美禰軽便線として国有化され、国有鉄道に移管。同時に駅に昇格し、吉則駅となる。
 1922年(大正11年)9月2日 - 軽便線の呼称廃止に伴い美禰軽便線が美禰線に改称され、当駅もその所属となる。
 1963年(昭和38年)10月1日 - 美祢駅に改称。これに合わせて線路名称の表記も「美禰線」から「美祢線」に改められる。
 1982年(昭和57年)10月1日 - 専用線発着を除く貨物の車扱取扱を廃止。
 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱を廃止。
 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。
 1998年(平成10年) 4月1日 - 宇部港駅への石灰石輸送貨物列車が廃止。
 6月15日 - 岡見駅への炭酸カルシウム、フライアッシュ輸送貨物列車が運行開始。
 
2010年(平成22年)7月15日 - 大雨による厚狭川氾濫で橋梁や路盤が流失、全線不通となり、営業休止。
 2011年(平成23年)9月26日 - この日の始発から美祢線全線の運転が再開。

 

電報略号 ミネ
 駅構造 地上駅
 ホーム 2面3線(旅客使用は1面1線のみ)
乗車人員
 -統計年度-
 394人/日(降車客含まず)
 -2010年-
 
開業年月日 1916年(大正5年)9月15日
備考
業務委託駅
 みどりの窓口 有
 * 1963年に吉則駅から改称。

 

 


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