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大阪市交通局20系電車

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大阪市交通局20系電車(おおさかしこうつうきょく20けいでんしゃ)は、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro,旧・大阪市交通局の高速電気軌道(大阪市営地下鉄))用通勤形電車である。2018年(平成30年)4月の大阪市交通局民営化にともない、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に継承された。

電機子チョッパ制御車である10系の試作車として1973年に製造された20系(初代)、1984年より量産が開始されたVVVFインバータ制御車の20系(2代)、1990年(平成2年)に登場したVVVFインバータ制御の新20系(21 - 25系)の3グループが存在する。


1985年の4号線(中央線)深江橋 - 長田 間開業などに伴う所要車両数増加への対応や、老朽化や陳腐化が目立ち始めていた50系・30系などの抵抗制御車の淘汰とこれに伴う保守の合理化、それに冷房化率の向上による乗客サービスの改善を目的として開発・量産された18.7m級4扉車群である。

3相交流誘導電動機をインバータ制御器で制御・駆動する当時最新のVVVF制御システムを搭載しており、大阪市交通局の第3軌条集電方式を用いる高速電気軌道全線で使用可能である。

その外観形状から、先行する10系のそれを踏襲したアルミ合金製車体を備える20系と、軽量ステンレス製車体を備える新20系の2グループに大別される。

開発経緯
本系列開発の基礎となった、大阪市交通局におけるVVVF制御の実用化研究は、元々石油ショックをきっかけとする建設費高騰に抗するべく1979年3月に局内に設置された「地下鉄小型化調査委員会」における地下鉄車両の小型化研究を出発点としている。

後に7号線(長堀鶴見緑地線)向け70系や8号線(今里筋線)向け80系として結実することになるこの研究の過程では、建設費高騰の最大の要因であるトンネル断面の縮小を目的として、車輪径や床面高さの縮小が重要課題として取り上げられた。これらの課題については、折からの半導体技術の進歩、特にインバータ装置の心臓部となる主回路のスイッチング素子とそのパターン制御に必要となるマイクロプロセッサの急速な進歩によって、解決の道が開かれた。

これらの技術革新により、従来は実用化が困難と見られていた、三相交流誘導電動機と小直径車輪を用いた駆動システムの実用化の目処が立った。

従来、三相交流誘導電動機は整流子を持たないため保守上問題となる摩耗部品が軸受に限られ、フラッシュオーバーの危険がなく軽量・コンパクトで高回転数化や大出力化が容易、しかも直流電動機を上回る再粘着特性が得られるという大きなメリットを備えていて、鉄道技術者からは「夢の電動機」とさえ呼ばれていた。

だがその反面、三相交流誘導電動機には一定周波数・一定電圧の下で一定回転数を保とうとする性質があり、起動トルクが小さいという問題があって長らく高速電気鉄道での利用は困難視されていた。この問題が、この時期になって実用段階に入りつつあった高速・高耐圧・大出力かつコンパクトなスイッチング素子と、これをプログラムに従って波形制御するマイクロプロセッサを組み合わせ、電圧型PWM制御によって可変電圧・可変周波数(Variable Voltage Variable Frequency:VVVF)制御を行うことで解決可能となったのである。しかも、この制御法により直流整流子電動機に近い、あるいはそれを上回る優れた出力・粘着特性を得ることさえも可能となった。

こうした周辺技術の進歩・成熟を踏まえ、高速電車用VVVF制御システムの開発が日立製作所、三菱電機、それに東芝といった有力電機メーカー各社を交えて開始された。この制御システムについては大阪市交通局と同時期に日本国有鉄道や近畿日本鉄道と東京急行電鉄などが、それぞれの取引先である電機メーカー各社と共同で大規模な研究開発を実施していたが、直流1500Vの下での高速電車への適用にフォーカスしていた各社とは異なり、大阪市交通局のプロジェクトは低床のミニ地下鉄での使用を前提としてコンパクトな機器開発を重視していた点で一線を画していた。

もっとも、ミニ地下鉄の技術的可能性を探るというその開発経緯ゆえに、大阪市ではVVVF制御そのものの開発とスイッチング素子の開発[注 1]が同時進行するという異例の事態となった。この点では単純に大形高速電車への適用に特化して研究を進められた他社とは状況が異なっており、これは後にVVVF制御車の営業運転開始時期で近鉄や東急の後塵を拝する一因となった。

この全く新しい制御システムの開発過程では、漏洩ノイズ等によるATSの軌道回路や変電所などへの影響を調べるため、営業線上での機器の車載運用試験を行う必要があった。そこで、当時3号線(四つ橋線)から5号線(千日前線)への転用の過程で余剰車が発生していた100形(2代)がそのテストベッドに選ばれ、ミニ地下鉄を想定した低い床面高さに設けられた支持架に装架する形で試作機器を搭載して試験運転が実施された。

この試験運転では黎明期の低耐圧で動作の不安定なGTOサイリスタ素子を使用していたこともあって素子破壊が頻発しており、その開発は難航したという。もっとも、その後半は回路構成上の様々な対策や実装ノウハウの蓄積、それに何よりメーカー各社で量産がようやく軌道に乗り始めた2500V 2000A級GTOサイリスタ素子そのものの動作安定性および生産歩留まりの向上により、飛躍的に信頼性や動作安定性が向上して順調にテストメニューを消化しており、この一連の試験結果はミニ地下鉄実用化に当たっての技術的な裏付けとなり、また20系の搭載機器設計に貴重なデータを提供することともなった。

こうした技術開発の成果を受け、量産先行試作車としてメーカー各社が分担して製造した20系第1編成は1984年3月に竣工した。これは日本初のVVVF制御による誘導電動機搭載鉄道車両となった熊本市交通局8200形に続くものであり、したがって高速電気鉄道用として完成したものとしては日本初のVVVF制御車となっている。

2900形
空気圧縮機や補助電源装置などの補機を搭載する制御車(Tec)。4両編成(千日前線25系)の場合に限り両方の台車に集電装置を装備する。


車体
各系列ともに、18.7m級車体に両開き扉を4か所ずつ設置する、7000・8000形以来の標準的なレイアウトに従う。このため窓配置は2600・2900形がdD2D2D2D1、それ以外が1D2D2D2D1(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:側窓数)となり、全車に戸袋窓が設置されていない。

座席はいずれもロングシートである。

20系
10系と同様に側窓として2段上昇窓を備える切妻構造のアルミ合金製車体である。

ただし、アルミ合金の加工法の発展によって大型押し出し型材や薄肉型材、あるいは中空型材の使用が可能となったことで構体設計が全面的に見直されてよりシンプルにリファインされ、また従来よりも105mm薄くなった新型冷房装置の開発によって当時の10系では1段低くなっていた両端部分の天井が他と同一平面とされ、冷房の吹き出し口も通常のスリット型となるなど内装もより洗練されたものとなっており、開発時期の相違を反映して10系より一歩進んだ設計[注 7]となっている。

前面は10系と同様に周縁部に枠状のFRP製縁飾りを取り付けたいわゆる額縁スタイルであるが、ガラス窓が10系と異なり上辺が屋根との接合部まで届かず本来の窓枠上部に設けられた方向幕の部分で止められ、その代わりに窓周辺をブラックで塗装する当時流行のスタイルが取り入れられている。このため、前照灯と標識灯は前面窓上部の妻板左右に各1灯ずつ角形灯具を左右に並べて一体化したユニットを振り分けて埋め込まれており、10系に近いながらも固有性の高いデザインとなっている。


本系列は、日本の高速電車におけるVVVF制御技術開発の揺籃の一つとなった点で特筆される。

主電動機

新20系 VVVFインバータロゴ
20系では上述のような開発経緯によってVVVF制御が採用された。このため、従来の10系までと比較して整流子が不要となり、主電動機容積に余裕が生まれて磁気回路の容量が増強され、10系の東芝SE-617Aと比較して10kW増の端子電圧550V時1時間定格出力140kW/1600rpmが実現された。

もっとも、製造メーカーはこれまで東芝の1社指名であったものが、制御器の製造に参加する3社全てから供給される[注 11]ように改められており、このため東芝SEA-309、日立HS-34529-02RB、三菱MB-5012-Aと3種の4極自己通風式三相かご形誘導電動機が採用されている。また、後継となる新20系ではそれぞれ小改良が加えられ、東芝SEA-309B、日立HS-34529-04RB・-05RB、三菱MB-5012-A3・-A4となっているが、型番がサフィックスの変更で終始しているという事実が示す通り、いずれも基本的な仕様には変更はない。

なお、中央線用車両である20系および24系については、けいはんな線開通による95km/h走行に対応できないとの三菱による見解で高速化改造の際に三菱製主電動機が排除され東芝製および日立製に置き換えられた。 20系および24系から取り外された三菱製主電動機については大阪市営地下鉄の他の路線の新20系車両で使用されている。

駆動システムは全電動車とも従来通りのWNドライブを採用しており、歯数比は103:14である。

制御器
20系の段階ではGTOインバータの容量などの制約から1台の制御器で2基の主電動機を制御する1C2M構成のものを2セット搭載しており、制御器はそれぞれ東芝BS-1408-B、日立VF-HR-103、三菱SIV-V564-M-1・-2であった。なお、インバータの制御周波数は2 - 111Hzである。

これに対し新20系ではGTOサイリスタの急激な容量増大を受けて1台の制御器で4基の主電動機を制御する1C4M制御が実現しており、それぞれ東芝SVF-001-A0・-A1、日立VF-HR-129、三菱MAP-144-75V26に変更された。ただし、制御器が各メーカーでの競作となった20系とは異なり、新20系では細部は違うものの、全編成日立製制御器をベースとしたOEMのものに変更したため、メーカーの違いで励磁音が違うことはなくなった。また、こちらのインバータの制御周波数は0 - 111Hzでわずかながら制御域が拡大され、起動加速がよりスムーズとなるように改良されている。

いずれの制御器も高発熱のスイッチング素子の冷却用冷媒にフロンを使用して冷却システムのコンパクト化を実現している。

台車

集電装置付きDS-20形台車
全形式とも、10系用インダイレクトマウント・ノースイングハンガー・軸ばね式空気ばね台車であるDS-10[注 14]とほぼ同仕様のDS-20[注 15]が採用されている。いずれの台車も車輪内周部に異種金属による防音リングを圧入してきしり音の低減を図った、防音波打車輪を装着する。


試験中のFS560試作台車
なお一時期、四つ橋線23613Fにて試作インダイレクトマウント・ノースイングハンガー・モノリンク式空気ばね台車の実用試験を行ったことがある。

集電装置
集電装置は10系と同様に離線等による回生失効を防止する目的で、隣接する2両の電動車の内一方(Ma車)の全台車ともう一方(Mb車)のMa車寄り台車の合計左右3カ所ずつに設置されている。

ただし、4両編成時には電動車が2両ともMb車であるため制御車2両が共に全台車集電装置付きとされ、6両編成時には4両と2両で電気的に分割されることからペアとなるべきMa車のない2両側のMb1車(2100形)[注 18]のために隣接する制御車(2600形)の全台車に、そして9両編成・10両編成時にはペアとなるべきMb車を持たないMa車(2400形)のために隣接する付随車(2700形)のMa車寄り台車に、それぞれ集電装置が設置されている。

なお、集電装置付台車が3台車連続するように配置されているのは、両端の集電装置付台車に取りつけられた集電装置の間の距離がデッドセクションの有効長を確実に下回るようにする=母線結合された各集電装置付台車が第三軌条のデッドセクションをまたいで電気的に異なるセクションをショートさせる事故が発生するのを防止するためである。

ブレーキ
空気ブレーキは10系のOEC-2の改良型に当たる、回生制動演算装置付全電気指令式のOEC-3を採用する。これは電動車の回生ブレーキを有効活用するために付随車の空気ブレーキを遅れ込め制御するよう改良が加えられている。なお、回生制動機能は各系列とも運転台ブレーキノッチの結線変更と主制御器のプログラム変更などで抑速制動が使用可能となっており、長田以東の乗り入れ区間に連続急勾配区間を擁する中央線用各車ではこの機能が有効化されている。 また、回生ブレーキは停止寸前(3km/h)までと広い。

冷房装置:10系での実績を基に開発された新型の超薄型冷房装置である三菱電機CU-74Cおよび東芝RPU-4410を搭載する。

開発当時の技術で極限に近い薄型化を実現していた10系用冷房装置であったが、その後の技術の進歩、特にスクロール型コンプレッサーの実用化によってより一層の薄型化が可能となり、20系開発に合わせて厚さ300mmと従来比約74%として実用化が図られた。もっとも、外観上は屋根高さなどほとんど変化しておらず、薄型化の恩恵は全て客室内の天井高さ引き上げに振り向けられており、10系で圧迫感を与えていた車内両端部の冷房装置の露出部がなくなって通常部分と同じルーバーが設置されている。

20系
1984年に中央線用2601F[注 23]が、1985年末に中央線用2602F - 2605Fが、1989年には中央線用2606F - 2607F、谷町線用初の冷房車となる2631F - 2639Fが、いずれも6両編成(計96両)で製造された。

本系列の中でも第1編成(2601F)については3両の電動車の電装品を東芝(2101)・日立製作所(2201)・三菱電機(2301)の3社がそれぞれ1両ずつ分担して担当するなど試作要素が多く見られ、各社が量産に必要なデータを収集するための量産先行試作車的な性質の強いものであった。また、1985年の深江橋 - 長田間延伸開業時の祝賀列車には当時1編成しかなかった20系が抜擢され、前面に「祝 深江橋 - 長田 開通」のヘッドマークを掲げて運転した。

投入線区ごとに0番台と30番台に区分されたが、ラインカラーが異なる以外は基本的に同一設計であり、警笛の変更、行先表示器への英字表記追加やその設定器の変更といった量産中に行われた数少ない仕様変更点も全て、両番台車の同時期製造分に等しく適用されている。なお、電動車の電装品のメーカーは、2601F以外については編成内で1社に統一されている。

2006年3月27日の近鉄けいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業時の同線における最高速度の向上に合わせて、2004年に第1編成の制御素子がGTOサイリスタ素子から日立製IGBT素子に交換され、他の編成も順次交換された。

なお、30番台車は、この近鉄けいはんな線延伸開業の際に、全編成が車両番号の変更を実施せずに谷町線から中央線に転用されている[注 28]。

2006年までに全編成の制御装置の改造工事が完了し、最高速度は70km/hから95km/h、起動加速度は2.5km/h/sから3.0km/h/sにそれぞれ変更された。また、けいはんな線延伸開業時に近鉄線内でのワンマン運転が開始され、それに対応した機器が設置されている。改造と同時に行先表示器のローマ字表記から英語表記に変更したものに交換され、側面への行先表示器の設置も実施された。車内ではバリアフリーの一環としてLED式の車内案内表示器、ドアチャイム、車いすスペースも設置された。

中央線に配属された車両のうち、2601Fと2602Fは、車体側面全体に沿線の観光地である海遊館にいる魚たちのラッピングフィルムが施されたことがあり、車体中央に大きく描かれたジンベイザメから、「ジンベイ号」や「おさかな電車」と呼ぶ鉄道ファンや子供連れもいた。この2編成はラッピングフィルムが剥がされたあとに側面行先表示器が取り付けられた。

大阪市営地下鉄24系電車
中央線用24系電車(未更新車)
中央線用24系電車(未更新車)
基本情報
製造所 日本車輌製造
日立製作所
アルナ工機
東急車輛製造
製造年 1991年 - 1995年
製造数 11編成66両
投入先 中央線
主要諸元
編成 6両編成
最高運転速度 地下鉄線内 70 km/h
近鉄線内 95 km/h
起動加速度 地下鉄線内 2.5 km/h/s
近鉄線内 3.0 km/h/s
編成定員 820(258)人
自重 (Tc車)32.0t
(M車)36.0t
(T車)24.5t
編成重量 196.5t
編成長 112,600 mm
車体材質 ステンレス
編成出力 140kw×4基×3両 = 1,680kw
制御方式 GTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御(製造当初)
IGBT素子VVVFインバータ制御(更新後)
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキ(抑速ブレーキ付き)
OEC-3
OEC-4M(更新車)
保安装置 WS-ATC
備考 改造後のデータ
ワンマン対応


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