ガス爆発や落盤などの炭鉱災害の際に救助隊が編成され救助に携っていた。
九州炭坑救助隊連盟直方救助練習所として実践即応の救助器具を使用した救助隊員の訓練施設。日本でもここでしか目にすることができない程、貴重な施設です。
明治45年に本館の裏山に約11メートルの救護訓練坑道が作られ、炭鉱災害の人名救助や復旧作業の練習会が行われる。大正11年になると筑豊石炭鉱業組合救護練習所と呼称され、より実践的な訓練を実施する本格的な練習所となり、訓練坑道も大正14年には傾斜40度と20度の2本と斜坑道(木造)と水平坑道(煉瓦・コンクリート造)が追加され拡充が図られる。
昭和27年に九州炭鉱救護隊連盟直方救護訓練所に改称。老朽化に伴い昭和41年に傾斜40度の木造斜坑道は取り壊され、傾斜20度の斜坑道をコンクリートに変更するなどして現在の型である117メートルの訓練坑道になりました。
昭和44年に志免炭鉱れ跡地に九州鉱山保安センターとして移転することになり、この訓練所は直方市に寄付され昭和46年より石炭記念館となった。炭鉱が閉山するまで1万人の隊員を養成しました。
明治・大正時代に作られた水平坑道部分の内部は煉瓦巻きになっています。斜坑道は昭和41年にコンクリートで作り直されたもので、わずか2~3年ほどしか使用されていないだけあって内壁もきれいなものです。
訓練坑道には数箇所に外部とつながる“焚き口”があり、そこで石炭を焚いて内部の温度を上げ、煙を充満させるなどして実際の炭鉱災害時の環境を再現した訓練が行われたそうです。
水平坑道奥にある下側半分を塞ぐ壁は訓練時の障害物として作らたもので、またその手前右側には横方向に伸びる坑道も作られています。煉瓦巻きの内壁は所々が煤で真っ黒になっており長年の訓練の痕跡がうかがえる。