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南海21000系電車 (大井川鐵道21000系)

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南海21001系電車(なんかい21001けいでんしゃ)は、かつて南海電気鉄道に在籍していた一般車両(通勤形電車)。大井川鐵道21000系。大井川鐵道に譲渡された編成は、南海時代の旧塗装である緑の濃淡を塗色として使用しているが、この内21001・21002は譲渡前に休車状態で工場に保管されていた時期に50000系「ラピート」の塗装比較試験に使用されており、このため譲渡に当たっては再塗装が必要となったが、この際、大井川鐵道側の希望でわざわざ旧塗装に戻されたといい、追加譲渡された第2編成もこれにならっている。譲渡の際、六角型の行先標枠が設置された。2017年2月26日には、2編成を併結した4両編成で運転される貸切乗車ツアーが実施された(片側1編成は無動力)。この際に六角型行先標枠を撤去し丸型ヘッドマークを設置する改造を実施していた。また、同年9月には撤去されていたパンタグラフの増設が完了し、南海所属時代への復元を目的とした様々な取り組みがなされている。高野線山岳区間への直通運転(大運転)対応車として、初めてカルダン駆動を採用した車両である。現行の2000系・2300系へと連なる「ズームカー」の系譜の嚆矢となった。増備車であり、南海線7100系と類似する直線基調のデザインに改められた22000系との対比から、「丸ズーム」と呼ばれていた。

 

元・南海電気鉄道高野線の大運転(急行)用車両21000系である。夏期の増発や特急車の検査時代走などで特急「臨時こうや号」運用へ充当する必要から、最後まで扉間に転換クロスシートが残されていた第1・第2編成の先頭車4両を譲り受けた。21002の車内に清涼飲料の自動販売機が設置してある。21003のクーラーが故障し2シーズン非冷房車扱いになっていたが、2015年(平成27年)6月に一畑電車で廃車になった車両からクーラーを調達し、載せ替えている。
21001Fと21003Fは2017年2月26日の南海ツアーで併結運転が行われた。以前にも、多客時に併結運転が行われたことはあるが、その時は21003Fが川根本町の観光PR塗装になっていたため、グリーンの南海塗装同士の併結は営業列車としては初めてだった。
21001Fは2017年3月に、16003Fと交代する形で休車扱いになっている。
21003Fは、従来1台であったパンタグラフを、2017年9月現在、2台に増設して運転している。
21001Fも2018年4月の検査出場でパンダグラフが2台になり、21002車端部に設置されていたジュースの自販機が撤去されロングシート座席に戻されている。 また、16003F同様、車内放送で日本語と英語の案内をするようになり、運賃表示器もLCDに変更され、英語表示もされるようになった。
2018年6月には千頭方21002の種別表示板が南海時代を彷彿させる丸板に変更された。21001も同年7月に丸板に変更された。


21001系
概要
1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)にかけて、モハ21001-モハ21100-モハ21100-モハ21001の全電動車方式による4両編成8本32両が、地元・大阪府堺市に所在していた帝國車輛工業で新製され、南海では1997年(平成9年)まで使用された。クロスシート車は、30000系登場までは、臨時「こうや」に使用されることもあった。

車体
車体は、後述する21201系が先行採用したものを踏襲した、11001系2次車以降の非貫通型(後の初代1000系)を、同じ2扉でも17mに短縮したスタイルの準張殻構造である。車体裾に丸みが付けられている事が示す通り、その断面形状は張殻構造の原則に忠実に従って設計されており、「丸ズーム」という愛称もこれに由来する。
室内は、1962年(昭和37年)に新製された3次車の第4編成までが、11001系と同様の扉間転換クロスシート、1963年(昭和38年) - 1964年(昭和39年)に新製された4・5次車はオールロングシートに変更された。1974年(昭和49年)に第3・4編成は、オールロングシートに改造されている。この際、第1・2編成はセミクロスシートのまま残されたが、これは前述の通り臨時「こうや」として運用されることを考慮してのもので、冬期に実施されていた20000系の定期検査時や同系の故障時、夏期の特急増発時などに重宝された。照明は蛍光灯1列に加えて座席荷棚下に伝統の読書灯が備えられており、これはロングシート車にも継承された。3次車の第4編成からは、乗務員室側開き戸が客室側窓より高くなった。

主要機器
山岳区間に介在する、50パーミルの急勾配を自力走行するためには、最大の駆動力が要求され、全電動車方式を採用したこともさる事ながら、歯車比も12:83=1:6.92とし、当時としては、異例の高ギヤ比となった。その反面、平坦線では高速走行が要求され、モータの牽引力を低下させない目的で補償巻線を装備し、電機子の反作用を打ち消すことで整流を安定させている。これによって、通常は40%程度が限界の弱め界磁率を、25%まで引き上げることが可能となった。山岳区間では30km/h走行、平坦線では100km/h走行が可能である。また、高ギヤ比を生かして起動加速度は3.1km/h/s(初期車は3.5km/h/S)、減速度は4.0km/h/sとなっている。

主電動機は東洋電機製造製TDK-820-Bを装備し、駆動装置も同じく東洋電機が開発した中空軸平行カルダン駆動方式、制御器についても当初は東洋電機製ACD-10を採用した。主回路構成については故障の際を考慮し、各車に1台ずつ制御器を搭載して4個のモータを制御する1C4M制御方式を採用しており、全車に各1基パンタグラフが搭載されていた。また、3次車(21007編成)からは再ノッチ(再力行)ならびに制動開始時に起こるショックを極力緩和するための対策もなされている。これはもともと前年に登場した20000系で、磁気増幅器式スポッティングを付加した制御装置を採用して大成功を収めたことから、これを本系列にも波及させている。

ブレーキシステムは当初より三菱電機製HSC-D電磁直通ブレーキで、制御器の発電制動機能と連動して動作する。また、手ブレーキも残されており、後年保安ブレーキが追加されるなど、急勾配線区で使用される事と過去の事故経験を生かしてブレーキ故障時の暴走事故を防ぐべく、二重三重の備えがなされていたことも特徴であった。

高野線では昭和初期以来AUR系制御器による電力回生ブレーキが使用されていたが、本形式開発の時点では、変電所の整流器が回転変流器からシリコン整流器へ交換されており、余剰電力の吸収が出来なくなっていた。このため本形式では負荷となる列車が存在しない状況での確実な制動が期待できない(回生失効を招く)として、電力回生制動の搭載は見送られている。

台車は第1・2編成が住友金属製鋳鋼ウィングバネ式台車のFS17、第3編成以降がこれにボルスタアンカーを追加して揺動の抑止を図ったFS17A[7]である。

本形式の電装品および台車は、あらかじめモハ1021形(電8形)1024に先行試作品が装備されて本線上で試験走行を繰り返し、実働データを収集の上で採用されており、複雑かつ高度なシステムにもかかわらず、当初より安定した性能を発揮した。

昇圧工事
1973年(昭和48年)に南海本線・高野線系統の架線電圧が直流600 Vから1500 Vに昇圧されることが決定したため、以後も全車が継続して使用される本形式については、冷房化工事と併せて実施されることとなり、1972年(昭和47年)以降検査周期に合わせて近畿車輛で改造工事が実施された。

その内容は、これまでの一台の制御器で4個の主電動機をつかさどる1C4M方式をやめ、4連を2両単位でユニット化し1M8C化した。難波寄りの奇数車にはパンタグラフ・電動発電機・エアーコンプレッサーなどの補機を搭載し、極楽橋寄りの偶数車には22000系に搭載されているものと同じ日立製作所製MMC-LHTB-20D(1C8M制御)と、これまでの強制通風式に代えて自然通風式に変更されたリボン抵抗器を搭載した。また主電動機は偶数車と奇数車で高圧・低圧の直列つなぎとなるように主回路を構成し、制御器を搭載する高圧側の偶数車のみ絶縁を強化した昇圧対応設計のTDK-820-Eを装架していた22000系の奇数車の主電動機と交換した[10]。ちょうどこのとき2両編成の増結用車両22000系を本形式と同数の32両を建造しており、22000系と仕様を揃えた上で、主電動機を両者で入れ替えることにより高価な主電動機を大改造したり新造品と換装する必要がなくなることでコスト増を回避するという、同数新造ならではの一石二鳥の巧妙な方策をとっている。ただし、TDK-820-Bと-Eでは絶縁強化の関係でブラシ部分の構造が異なっていたため、保守の便を考慮して-Bのブラシ支えを改造し、-E仕様のパーツを共用可能とした。なお冷房装置への給電用としても使用される電動発電機は75 KVA級の大容量モデルが採用された。外観で特徴的なのは自然通風式に変更されたリボン抵抗器で、22000系の物より大容量とされ、その機器箱は台車間のほぼ全長を使い切るほどの容積であったことが挙げられる。

冷房装置は日立製作所製の集中式冷房装置であるFTUR-550-206Dが採用された。これは同時期に南海線用の姉妹車である初代1000系が採用した三菱電機製CU-73と同等品であるが、調達先を分散させている。


1969年(昭和44年)10月に22000系が登場すると、同年11月1日から河内長野駅(のちに三日市町駅→橋本駅)にて増解結が行われるようになると、それの登場に合わせてモハ21001形奇数車において連結器をそれまでのNCB-Ⅱから、60点式電気連結器CE-S747Fを付加したCSD-80廻り子式密着連結器に交換することとなり、まず最初からオールロングシートだった第5 - 8編成に対して実施された。続いて1974年(昭和49年)10月にはセミクロスシートの第3編成、同年12月には同じく第4編成に対しても実施(この2編成に対しては同時にロングシート化も実施)され、そして1982年(昭和57年)8月にはセミクロスシートのまま残された第1編成、さらに翌1983年(昭和58年)2月には同じく第2編成に対しても実施されて、すべての奇数車における連結器交換を完了したが、逆に偶数車はNCB-Ⅱのまま残された。しかし1990年(平成2年)に2000系が登場しているが、そちらの電気連結器は120点式のCE-S760を採用しており、点数および接点構成が異なるため、同年3~4月に22000系ともどもCE-S760に交換して120点式に統一した。

南海21000系電車
南海21000系 旧塗装 (1989年 新今宮駅にて)
南海21000系 旧塗装
(1989年 新今宮駅にて)
基本情報
製造所 帝國車輛工業
主要諸元
編成 4両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
最高運転速度 100(山岳区間30) km/h
起動加速度 3,1 km/h/s
減速度 4,0 km/h/s
編成重量 37.0 t
全長 17,725 mm
全幅 2,720 mm
全高 4,000 mm
台車 住友金属工業製 FS17
主電動機 東洋電機製 TDK-820-B
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
制御装置 東洋電機製 ACD-10


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