初代 パブリカ800デラックス(トヨタ自動車工)
パブリカ(Publica)は、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)が生産し、トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)が販売した小型乗用車、および小型貨物自動車である。
1950年代の国民車構想の影響を受けて開発されたパブリカは、トヨタ初の大衆車で、長年にわたって同社の生産、販売する最小車種として位置付けられた。
後のスターレット及びダイハツ・コンソルテ→シャレード、そして現在販売されているヤリス(2020年まではヴィッツ)、及びパッソ/ブーンへと連なる、トヨタ・ダイハツ両社のコンパクトカーの元流である。
国産大衆車初の水平対向エンジン車であり、水平対向はのちにミニエースやスポーツ800に受け継がれた。またレースにも参加しており、第1回日本グランプリでクラス優勝を飾っている。
車名の由来
「大衆車」を意味する英語「パブリック・カー」(Public car)を略した造語である。唐辛子の一種の「パプリカ」と誤表記されることが多いが、単に字面が似ているだけであり、関連はない。
完成したUP10は軽量なフル・モノコック構造のボディを採用した。全長3,500 mm 余りの簡素なボディは、大きなプレス部材を用いて生産性を高める配慮が為されていたが、デザイン上やや華奢な印象があった。2ドアノッチバックの4窓セダン型ボディを標準とし、2,130 mm のホイールベースの中で、大人4人を載せる最低限のスペースを確保していた。それでも当時の軽乗用車よりはゆとりがあり、さらに独立したトランクスペースを設けていたのは長所であった。
軽量なエンジンをフロントアクスルにオーバーハングさせつつ、プロペラシャフト位置も極力低くし、FRでのスペース効率の不利を克服する努力が為されていた。プロペラシャフトを持ちながらも全体の軽量化は特筆すべき水準に達し、セダンの空車での重量は、FFで企画されていた当初の計画を満たす580 kg に抑えられていた。プロペラシャフトの出力軸はクラッチ側に比べ低い位置から引き出されるようになっており、このためトップギアは当時一般的な直結の減速比1.0でなく、1.125とやや低速側に振られている(ディファレンシャル・ギアとタイヤ径によってバランスを取っている)。
サスペンションは前輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション、後輪縦置き半楕円リーフ・リジッドの当時ごくコンベンショナルなレイアウトである。前輪サスペンションのスプリングには縦置きトーションバー・スプリングを用いていたが、これは軽量化や省スペース目的もさることながら、上下アームの間にドライブシャフトを通していた、FF一次試作車の名残である。後年、トヨタではキャブオーバ型商用車の前輪独立懸架に縦置きトーションバー支持ウィッシュボーンを多用するようになったが、パブリカがその嚆矢である。前輪駆動を想定していた故の広いフロントトレッドも踏襲され、安定性が高まった。ステアリングギアボックスは当時一般的だったウォーム&セクターで、車の軽量さも手伝い、中庸無難な操縦特性となっている。
新開発のエンジンは697 cc、強制空冷水平対向2気筒OHVのU型エンジンである。当初のボア×ストロークは78 mm × 73 mm のオーバースクエアで、水平対向2気筒で先例の多い、半球型燃焼室を持つクロスフロー弁配置となった。性能は最高出力28 PS /4,300 rpm、最大トルク5.4 kgm /2,800 rpm を達成、ロー以外シンクロメッシュ化されたコラムシフトの4速ギアボックスを介して、セダンの軽量ボディを最高110 km/h まで到達させた。
後年に至るまでトヨタ車史上唯一となったこの空冷エンジンは、水平対向2気筒であることと、遠心式のシロッコファン(プロペラファンよりやや効率が劣るがコンパクトで騒音が少ない)とシュラウドを組み合わせた強制冷却という点は、範をとったシトロエン2CVと共通する。しかし2CVのエンジンは、コネクティングロッド大端部を一体式とし、組立式クランクシャフトを窒素冷却して圧入する構造や、簡素化を狙ったシリンダーヘッドガスケットの省略、左右同時点火など、常道から外れた特徴が多く、当時の日本の内燃機関の通例や生産技術から乖離した特殊な設計でもあったため、より常識的なBMWやツェンダップなどのドイツ製オートバイ用水平対向2気筒エンジンをも参考とし、振動対策にも意を払った。経験の少ない空冷エンジンの設計であるうえ、それまで4気筒以上が標準であったトヨタエンジンで初の2気筒ともなるとトルク変動が大きいことも問題になり、開発陣は熱変形などの冷却対策や、クラッチ回りの耐久性確保に苦慮したという。吸排気バルブの隙間調整機構として、日本の乗用車としては初の油圧式ラッシュアジャスターを採用、メンテナンスフリーを実現したことが特徴である。軽量かつ簡潔、しかもコンパクトにまとめ上げられたこのエンジンの採用で、FR車ながらエンジンルームの前後長を詰めることができ、FF車と大差ない居住空間が得られたが、同時に、空冷エンジン故の騒音や暖房能力などにハンデキャップを抱えることになった。
U型エンジンは生産数を少しでも伸ばすため、出力を定速運転に適した10 PS /2,200 rpm とした上、1965年(昭和40年)6月から同社のライトバス(コースターの前身)でクーラー用サブエンジンとしても利用され、生産設備の償却と、当時観光バスでさえ普及の途上であったバス冷房の大衆化に貢献している(翌年2月に800 cc の2U-B型に変更)。
トヨタ・パブリカ(初代)
販売期間 1961年6月 - 1969年4月
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドアセダン
2ドアオープンクーペ
(コンバーチブル/
デタッチャブルトップ)
2ドアバン
2ドアピックアップ
エンジン 0.7/0.8L 空冷水平対向2気筒OHV
駆動方式 FR
変速機 2速AT
4速MT
サスペンション 前:ウィッシュボーン/
トーションバー
後:横置きリーフスプリング
全長 3,580mm(UP10型)
3,620mm(UP20型)
全幅 1,415mm
全高 1,380mm
ホイールベース 2,130mm
車両重量 600 - 640kg
生産台数 20万台以上(メーカーに記録なし)