場所:広島県三次市三次町1691-4「旧三次文化会館跡地」
三次もののけミュージアム駐車場
製造:大正10年
1922年〈大正11年)11月11日 大阪汽車会社で製造
1965年(昭和40年) 3月16日 山口小郡機関区から広島三次機関区へ配属芸備線・福塩線で旅客・貨物を牽引
1971年(昭和46年) 3月 退役
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2016年に有志により修復・整備され、圧縮空気による汽笛の吹鳴、ブレーキ操作、発電機の動作と前照灯・尾灯の点灯が可能。
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が導入した、旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車である。1914年から1929年まで672両が製造、1975年活躍。現在JR九州と梅小路蒸気機関車館で2両が動態保存、20両以上が各地で保存されています。
ボイラー
ボイラーはベースとなった8800形のものより二回りほど小さいもので、火格子面積は12.5%縮小した1.63 m2(17.5 m2)、内径は76 mm(3 in)小さい1245 mm(4ft 1 in)、煙管長は610 mm(2 ft)短い3692 mm(13 ft)となっており、全伝熱面積116.3 m3、過熱面積27.6 m2、使用圧力は8800形と同一の12.7 m2(180 lbf/in2)である。また、ボイラー中心高は8850形と同一の2438 mm(8 ft)で、機関車重心高さは8850形の1521 mmや9600形の1532 mmを超える1557 mmであるほか、煙突中心がシリンダー中心より168 mm(72-5/8 in)前方にずれている 。
8800形などに引続きシュミット式の過熱器を装備しているが、本形式は過熱蒸気の温度確保のため全伝熱面積に占める過熱面積の割合を9600形などまでの機関車より大きくしたことが特徴となっている。シュミット式過熱器の開発元であるドイツのシュミット過熱蒸気会社では、適切な温度の過熱蒸気を得るために大煙管外径、小煙管外径、過熱管外径の組み合わせ毎に、小煙管と大煙管の本数の推奨比を定めており、本形式の場合では7.54であった。しかし、8800形および8850形では推奨値5.28のところ、実機はそれぞれ6.43、6.29と大煙管の本数が若干少ない程度であったが、過熱蒸気の温度が通常では300 °Cを超えることができず、当初この原因について、狭火室で内火室が細長いため火室における伝熱が大きく、過熱管における伝熱がその分小さいためと考えられていたが、広火室で小煙管本数/大煙管本数比もシュミット社の推奨値を超えていた9600形、4110 形でも300 °C以上の蒸気を得ることができなかった。そこで本形式では大煙管をシュミット社推奨の14本から18本、煙管本数/大煙管本数比をシュミット社推奨値の7.54から5.06と過熱面積を拡大して、300 °Cを超える過熱蒸気を得ることができるようになり、1915年の試運転では340 °Cに達した。本形式の実績を受けて鉄道省では新たに過熱面積/全蒸発面積比を新たな指標としてボイラー設計に用い、この数値を本形式の0.310をもとに約0.3以上を目指すこととなり、例えば9600形でも9658号機以降は大煙管本数を増やしてこの値を0.264としている。
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1914年度発注の8644号機以降(8672号機以降とする文献もある。)は煙室の通風改良のための設計変更が実施され、排気ノズルの先端が368 mm(14-1/2 in)を下げるとともに煙突内径を51 mm(2 in)拡大して先端部の内径が406 mm(16 in)から457 mm(18 in)と太くなっており(9600形でも1914年発注の9652号機項に同様の設計変更が実施されている。)、これはドイツのG・シュトラールの理論に基づき6700形で施行した結果が良好であったため、採用が拡大されたものである。また、当初は煙室内の過熱装置前部に惰行中の過熱管の過熱防止や力行中の過熱蒸気の温度過上昇防止のための過熱機ダンパーを装備していたが前述のとおり過熱温度が300 °Cを超える程度であったため、1922年頃の製造分よりこれを廃止している。
走行装置
車軸配置は1C(日本国鉄式)、2-6-0(ホワイト式)もしくは通称モーガルと呼ばれる配列で、当時の旅客用機関車で一般的であった2軸ボギー式台車を本形式では先輪と第1動輪を一体化した「省式心向キ台車」に置換えて曲線通過性能を良くしており、その最小半径は80 mで、後年のローカル線用タンク式蒸気機関車であるC12形と同等である。また、走行装置の基本的な寸法は8800形をベースとしており、動輪直径、動輪軸間距離、シリンダー径×行程、ピストン弁径、シリンダー中心 - ピストン弁中心間距離、左右シリンダー中心間距離が同一となっている。また、シリンダー引張力も同一の89.1 kNであるが、ボイラーは小型化となった一方で先輪が1軸少なくなったため、動輪上重量が39.76 t(1931年形式図で41.46tに修正)と8800形の39.76 tを上回って粘着率が4.5となり、これは後継のC50形は4.3 - 4.5と同等であるが、8620および9600の代替機のC58形の3.2 - 3.3や勾配線区用の4110形の4.3も上回っている。動輪の粘着力がシリンダー出力を大きく上回るため、「絶対に空転しない機関車」ともいわれており、空転に苦慮していた乗務員からの信頼が厚く[要出典]、本来の旅客用高速機という用途から外された後は勾配のあるローカル線での仕業や、入換仕業で力を発揮した。終戦直後の混乱期には老朽化と戦中の酷使が深刻化した4110形の補充として、米沢機関区から1両の8620形と9600形が試用されたが、勾配区間(33.3パーミル)では空転が多く、4110形が最も安定していた。
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台枠は板台枠で、25 mm(1 in)厚鋼板製のフレームを機関車先端部 - 第1動輪部分間は857 mm(33-3/4 in)間隔、第2動輪部分 - 機関車後端部までは908 mm(35-3/4 in)間隔で左右に配置して、これを鋼板と山形鋼を組立てた前端梁、後端梁、デッキプレートなどや鋳鋼製のボイラー台などで箱型に組立てて、そこに鋼板と山形鋼を組立てた歩み板や、鋳鋼製のシリンダーブロック、軸箱守、加減リンク受、逆転軸受、釣合梁受などを取付けたもので、第1動輪が横動するためにこの部分より前部が51 mm(2 in)狭くなっていることが特徴である。
先台車は、現在のドイツ、オーストリアとイタリアに例があった、クラウス・ヘルムホルツ式(ドイツ語版)、ツァラ式に着想を得て島安次郎が考案して主要部分の設計を行い、詳細設計を汽車会社で実施したもので、当初「島式」、後に「省形心向キ台車」と呼ばれた。構造は先台車の軸箱の左右と、第1動輪の中間軸箱の前部中央に設けられたピボットの間を山形鋼2本で三角形に結んで台車枠を構成し、この台車枠中央部とシリンダブロック後部の間にコイルばねを内蔵した復元ばね箱を設置し、動軸の中間軸箱と復元ばね箱の間に復元心向棒を渡したものとなっており、復元ばね箱を仮想的なピボットとして、中間軸箱部を支点とする先輪の転向と第1動輪の32 mm(1-1/4 in)の左右動および、復元ばね箱自体の左右動を合わせて2軸ボギー台車と類似の動作をするものとなっている。また、1916年度発注の18628号機以降は先輪の軸箱上部にリンク式の復元装置を設けて半径122 m(400 ft)の曲線上での復元力を0.84 tから約2.2 tに強化するとともに、軸ばねからの荷重を先輪軸箱の左右に直接掛けていたものを釣合梁と釣リンクを介して軸箱上部中央の1点に掛ける方式に変更しており、従来の機体も同様の方式に改造をしている。このほか、先輪径は当初直径970 mm(38 in)のものを使用していたが、その後C51形と共通の940 mmにのもの変更されており、先台車軸箱もこれに対応した2種が用意されている。
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この先台車は設計側では構造が簡単で曲線通過性能も良いとされた一方で検修側の評判は必ずしも良くなかったとされ、東京鉄道局の実績では、第1動輪のタイヤフランジの10000 kmあたりの平均摩耗量が、本形式の後継で車軸配置が同じ1CのC50形は0.49 mmであったのに対し本形式は1.22 mmと約2.5倍であったほか、この方式は先輪フランジの偏摩耗が生じることがあり、本形式以外での採用例はない。
ブレーキ装置
ブレーキ装置は当初自動真空ブレーキ、手ブレーキを装備しており、運転室下部にブレーキ用のピストン2基を搭載し、基礎ブレーキ装置は動輪3軸に作用する片押式の踏面ブレーキとなっている。また、制輪子は制輪子吊に直接取付けられる甲種のうち、甲-9号を使用する。
1919年に鉄道省は全車両に空気ブレーキを採用することを決定し、1921年から1931年上半期にかけて全車両が空気ブレーキ化されており、本形式も1923年度発注の68661号機以降は空気ブレーキを装備して製造された一方でそれまでの機体も順次真空ブレーキから空気ブレーキに改造されている。蒸気機関車用の空気ブレーキはアメリカのウェスティングハウス・エア・ブレーキが開発したET6を採用しており、この方式はH6自動ブレーキ弁、S6単独ブレーキ弁、6番分配弁、C6減圧弁、B6吸気弁などで構成されるもので、その特徴は。
構造が簡単で取付および保守が容易。
非常ブレーキが使用可能。
ブレーキ弁に連動して元空気ダメ圧力を2段階に設定可能。
補助機関車もしくは無火回送時においても客車・貨車と同様にブレーキが作用する。
連結器
連結器は当初、基本的にはねじ式連結器を装備していたが、北海道においては、道内最初の鉄道である官営幌内鉄道が1形(後の鉄道院7100形)に当初より並形自動連結器を使用して以降これを標準としていたため、本形式も1917年に最初に北海道に配置された18649号機以降がこれを装備していた。なお、設置高さが後の鉄道省の自動連結器より低い660 mmであった。
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1919年に鉄道省は全車両のねじ式連結器を交換する方針を決定し、まず、北海道内の車両の連結器高さを878 mmに変更することとして、1924年8月13-17日に一斉に工事を実施している。続いて北海道以外の車両については、九州以外は1925年7月16-17 日に 、九州は7月19-20 日に一斉にねじ式連結器から自動連結器への交換を実施している。本形式においてもこれにともなって連結器の交換を実施しているほか、1925年発注の78694号機以降は自動連結器を装備して製造された。なお、当初は解放テコが連結器右側のみに設けられるものであったが、1930年頃より両側から解放操作が可能なものに改造されている。
その他
外観は6700形以降D50形までの明治末期から大正期にかけての鉄道院・鉄道省の国産蒸気機関車の標準的なデザインとなっており、化粧煙突、前部デッキから歩み板にかけての乙形の形状が特徴であったほか、運転室側面裾部は8620 - 8643号機が8800・8850形や9600形9617形までなどと同様のS字形、8644号機以降が8700形や9600形9618号機以降と同じ乙形の形状となっている。また、空気ブレーキ装置を装備した1923年発注の68661号機以降は歩み板の後半部が一段高くなって運転室側面下部の乙字形につながる形状となっており、運転室裾部を炭水車台枠上部に揃えたものとなっている。
砂撒き装置は当初は重力式のもので第2動輪の前側に撒砂される方式であったが、空気ブレーキ装備後の1924年発注の78670号機から空気式となり、第1動輪前方と第2動輪後方に撒砂される方式[54]となり、以前の機体も空気式に改造されている。
8620 - 8643号機の炭水車は、石炭搭載量は3.05 tで炭庫上部が外側に若干開いた形状の2670英ガロン(12.14 m3)形、8644号機以降は9600形9618号機以降のものと同一形式で石炭搭載量は3.30 t、炭庫上部が垂直の形状となった455 ft3(12.88 m3)形となっており、さらに18688号機以降は9600形49602号機以降と同じく、形式は455 ft3形のまま炭庫を上部に拡大して石炭搭載量を6 tとしたタイプとなっている。
改造
本形式の複式のピストン弁は単式のものよりも平均有効圧が高いため採用されたものであったが、後に蒸気漏れが大きいことから単式が一般的となり、同じく複式であった9600形、D50形、C51形などとともに単式への改造が1930年代から第二次世界大戦後にかけて実施されている。
当初は灯火類はランプを使用していたが、後のC51形やD50形が1927年度発注分より電気照明となり、本形式もその後ボイラー上部に発電機を搭載して前灯、標識灯、運転室内灯、計器灯などが電灯化されている。
除煙板は1927年頃より各鉄道局で試験されていた除煙装置の一つで、1932年製のC54形から制式化されており、本形式においてもこの頃より一部の機体に追加装備されている。また、後年には小倉工場式切取り除煙板(通称門鉄デフ)を装備した機体もある。
8620...68660号機の空気ブレーキ化改造においては、当初より空気ブレーキ装置を搭載していた68661号機以降と同様に歩み板を2段としてその下部に元空気溜を吊下げる方式と、段差無しの歩み板のままその上部に元空気溜を置く方式の2つの方式が採られている。一方、1927年頃より運転室の床を2段から1段に変更する改造が実施されているが、この際に運転室側面の裾部を従来通り炭水車台枠上部と合わせた低い位置のままとした機体と、運転室床面と合わせた高い位置まで上げて裾部形状をいわゆる”位置の高い浅い乙字形”もしくは”位置の高いS字形”とした機体の2種があり、前者の運転室側面裾部の形状は、歩み板が段差無しの機体は”位置の低い浅い乙字形”もしくは”位置の低いS字形”、2段の機体は”深い乙字形”となっている。
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本形式は長年により運用されており、後年の改造は多岐にわたっているが、回転式火粉止や前照灯類の交換といった当時の蒸気機関車における一般的なもののほか、主なものは以下の通り。
ボイラーへの給水を排気によって加熱する給水加熱器は鉄道省においては1914年から試作・試用が始まったが、本形式においても本省式、ウェアー式、本省細管式、住山式、ウォーシントン式、メカトーフ式が1921年から1925年にかけて計37両に搭載されている。なお、給水加熱器は1923年製のD50形から制式化され、在来の機体に対しては1938年度にかけて9600形の約200両やC51形のほぼ全機など553両に搭載されているが、本形式への搭載例は多くない。
1928年にC51形6両に対して煙室を延長してシンダーによる沿線火災防止や旅客サービス向上などを図る改造が実施されているが、類似の煙室延長改造が本形式においても一部の機体 (8657号機、18629号機、28667号機、38690号機、68633号機など)に実施されている。
煙突を化粧煙突からパイプ煙突に交換した機体が多いほか、原形のものより長さの長い化粧煙突に交換した機体(18658号機など)もある。
一部の機体(48674号機、48676号機、48679号機、68658号機など)は、入換時等の後方視界の確保のため、炭水車をC56形のものと同様の上部の幅を狭い形状に改造している。
鷹取機関区東灘支区で神戸港での入換用に使用されていた機体は煙突の前部に警鐘を装備しており(8651号機、18670号機、48667号機、88639号機など)、この鐘は市街地の踏切等において汽笛の代わりに使用されるもので、空気シリンダとテコによって動作するものであった。
一部の機体(48667号機、48633号機、78657号機、48676号機など)動輪をスポーク輪心からボックス輪心のものに交換している。
付番法
8620形の製造順と番号の対応は、1番目が8620、2番目が8621、3番目が8622、…、80番目が8699となるが、81番目を8700とすると既にあった8700形と重複するので、81番目は万位に1をつけて18620とした。その後も同様で、下2桁を20から始め、99に達すると次は万位の数字を1繰り上げて再び下2桁を20から始め…という八十進法になっている。したがって、80番目ごとに万位の数字が繰り上がり、160番目が18699、161番目が28620、…となっており、番号と製造順は万の位の数字×80+(下二桁の数字-20)+1=製造順という関係となる。
例えば58654であれば万の位の数字が5、下二桁が54となるので、製造順は5×80+ (54-20) +1=435両目となる。