秋葉原駅(あきはばらえき)は、東京都千代田区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・首都圏新都市鉄道の駅である。
所在地は、JR東日本が外神田一丁目17番6号、東京メトロが神田佐久間町一丁目21番地(住居表示未実施)、首都圏新都市鉄道が神田佐久間町一丁目6番地10(住居表示未実施)である。
乗り入れ路線
JR東日本の各線(後述)、東京メトロの日比谷線、首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスの3社の鉄道路線が乗り入れ、乗換駅となっている。JR東日本の駅には「 AKB 」のスリーレターコードが付与されている。
また、各路線ごとに駅番号が付与されている。
JR東日本
JY 山手線 - 駅番号「JY 03」
JK 京浜東北線 - 駅番号「JK 28」
JB 総武線(各駅停車) - 駅番号「JB 19」
東京メトロ:H 日比谷線 - 駅番号「H 16」
首都圏新都市鉄道:Tsukuba Express mark.svg つくばエクスプレス - 駅番号「TX01」
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、正式な線路名称上は東北本線と総武本線の2路線であり、東北本線に関しては京浜東北線電車と山手線電車の2系統が停車するが、旅客案内では「東北(本)線」とは案内されていない。又、東北本線を所属線としており、東北本線上での所属線としては最初の駅である。
総武本線に関しては中央・総武線各駅停車と新宿駅方面と千葉駅方面を直通する特急列車(「成田エクスプレス」を除く)やホームライナーの一部が停車するが、旅客案内では単に「総武線」と案内されている。
秋葉原裏の歩き方 にゃるら 彩図社
特定都区市内における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。
JK 京浜東北線:電車線を走行する東海道本線・東北本線の近距離電車。横浜駅から根岸線への直通運転も実施している。
JY 山手線:電車線を走行する環状路線
JB 総武線(各駅停車):総武本線(支線)を走行する近距離電車[注釈 3][注釈 4]。錦糸町駅から総武本線(本線)緩行線に乗り入れ、隣の御茶ノ水駅から中央本線緩行線に乗り入れる。
東京メトロ日比谷線は、終着駅である北千住駅より、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)を経由して日光線南栗橋駅まで相互直通運転を実施している。
なお、JR秋葉原駅の事務管コードは、▲441001となっている。
駅構造
JR東日本
京浜東北線・山手線、およびそれと並走して当駅を通過する上野東京ライン・東北新幹線の高架橋のさらに上を総武線の高架橋が直交して乗り越すオーバークロス構造になっている。
京浜東北線と山手線は島式ホーム2面4線、総武線は相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。そのため、京浜東北線・山手線から総武線に乗り換える時は、東京寄りの階段を上ると新宿方面(5番線)に、上野寄りの階段を上ると千葉方面(6番線)につながる。
秋葉原は今 三宅理一 芸術新聞社
改札口は電気街口・昭和通り口・中央改札口・アトレ1改札口の4ヶ所である。また、電気街口と中央改札口の間に改札外の東西自由通路が設置されている。このうち、アトレ1改札口は総武線ホームと駅ビル「アトレ秋葉原1」を直接連絡する改札口である。これは、2006年12月31日まで存在していた総武線ホームと旧駅ビル(アキハバラデパート)を直接連絡するデパート口改札と同じ場所に再設置されたものである。なお、アトレ1改札口は有人ではあるが原則窓口の開放はされてないため、窓口での精算が必要な場合や有人改札しか通れない切符(青春18きっぷ、ジャパンレールパスなど)を持っている場合は他の改札口に行く必要がある。みどりの窓口が昭和通り口・電気街口、指定席券売機が電気街口・昭和通り口 ・中央改札口および電気街口みどりの窓口内(旧びゅうプラザ秋葉原店内)、短距離自動券売機がアトレ1改札口にそれぞれ設置されている。
以前は、電気街口、昭和通り口ともに改札内コンコースの途中に階段があり、バリアフリーに対応していない上、電気街口からは京浜東北線および山手線ホーム、昭和通り口からは総武線ホーム・デパート口からは総武線千葉方面6番線のみ直結で、直結されていないホームへはそれぞれ直結するホームを経由して乗り換え階段を利用するか、外からの利用であれば直結する改札口へ迂回する必要があるなど不便であったが、2005年のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に合わせて構内通路の拡大などの大規模な駅改良工事が行われ、中央改札口と東西自由通路、ならびにエレベーターなどが新設された。また、2019年10月7日には、照明や映像を活用した、東西自由通路のリニューアルが行われた。
秋葉原は滅亡しました (リイドカフェコミックス) 湧井想太 リイド社
6番線の浅草橋駅寄りは、駅ビル「アトレ秋葉原2」と直結しているが、これは業務用通路であり、関係者以外の通行はできない。
のりば
番線 路線 方向 行先
2階ホーム
1 JK 京浜東北線 北行 上野・大宮方面
2 JY 山手線 内回り 上野・池袋方面
3 外回り 東京・品川方面
4 JK 京浜東北線 南行 東京・横浜方面
3階ホーム
5 JB 中央・総武線(各駅停車) 西行 御茶ノ水・新宿方面
6 東行 船橋・千葉方面
総武線では各駅停車のほか、特急列車の一部が停車する。定期列車では最後に残った銚子駅発新宿駅着の「しおさい」が2015年3月13日で廃止されたが、臨時列車では「新宿さざなみ」「新宿わかしお」が停車する。かつては平日の「ホームライナー千葉5号」が停車し、ホームにライナー券売機が設置されていた。以前は千葉駅発着の「あずさ」も停車していたが、2002年12月までに183系から11両編成で運転されることのあるE257系へ全面置き換えされたことに伴い、ホーム有効長が10両分である当駅は通過となった(最末期の183系「あずさ」は千葉発着の列車のみだった)。
1階コンコースには4店舗が入ったフードコートがあったが2009年末をもって閉鎖され、2010年4月28日に「Tokyo Food Bar」としてリニューアルオープンした。
かつては電気街口、昭和通り口がそれぞれ西口、東口という名称だったが、地元商店の要望で現在の名称に改められた。
バリアフリー設備
エスカレーター:総武線ホーム - 山手線・京浜東北線ホーム、改札口 - ホーム
エレベーター:コンコース - ホーム(総武線と山手線・京浜東北線ホームを結ぶエレベーターはない)
多機能トイレ(中央改札・昭和通り口。但し2ヶ所とも施錠されており、利用の際は係員に申し出る必要がある)
発車メロディ
山手線・京浜東北線ホームの1 - 4番線ではテイチク、総武線ホームの5番線ではサウンドフォーラム、6番線ではサウンドファクトリー制作の発車メロディを使用している。
1 JK 線路の彼方
2 JY 小川のせせらぎ V1
3 スプリングボックス
4 JK Cappuccino
5 JB 春 New Version
6 教会の見える駅
駅を建設した日本鉄道は、当初上野駅から北へ、後の東北本線や高崎線に相当する路線を建設し、東京駅側では上野駅で旅客・貨物をともに取り扱う態勢で営業していた。鉄道の取り扱う旅客・貨物が伸びていくに連れて上野駅では逼迫するようになり、さらに同駅周辺の道路が狭隘で同駅へ向かう旅客・貨物を乗せた馬車が渋滞を起こすような状態となっていた。これに対応するために、旅客と貨物の分離が計画された。
同駅より南側は当時既に市街地となっていたが、当駅の存在する辺りは江戸時代より火事対策として設けられた火除地となっており、明治時代にも空き地になっていた。また、上野駅とこの火除地の間に道路が存在していたため、これらの払い下げを受けて用地を確保し、貨物駅として1890年(明治23年)に開設されることになった。当初はこの上野駅からの貨物線を「秋葉原線」と呼び、当駅は秋葉原貨物取扱所と呼ばれていた。
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市街地を縦断して地上の線路を建設するため、東西方向の交通を遮断するとして沿線から敷設に対する強い反対運動が起きた。監督していた鉄道局では、交通を遮断しないようにするために高架化することを会社に指示したが、これを会社側は拒否し、後にこの線を東京駅・新橋駅まで延伸して東海道本線と接続させる際には同区間の高架化を実施するとの会社側回答で妥結することになった。また、線路は両側を柵で囲い、踏切には番人を置いて列車通行時には柵で閉鎖し、さらに列車の運行時間帯と運行本数に関する制限が付けられた。沿線住民はなお反対を続けたが、当局の意向を背景に建設が強行され、駅が開業した。
駅には神田川から掘割が引かれ、はしけを使って連絡運輸を行っており、東北や信越からの貨物の東京の水上交通への窓口だった。掘割は国道4号線の西側から引き込まれ、道路の下を潜り、現在のヨドバシAkibaの位置に舟溜があった。太平洋戦争終戦直後の航空写真でもそれが確認できる。舟溜は当駅構内では東西に長くなっており、上野駅から入線して来た貨車は、構内に設置された小型の貨車用転車台に載せられて直角に向きを変え、東西方向に舟溜の両側に敷設された線路に入って船との連絡をとる仕組みになっていた。この掘割は昭和30年代以降に埋め立てられ公園となったが、周囲の路面に比べ地面が低くなっており、バリアフリー化を理由に2013年末から2014年3月の間嵩上げ工事を行う。書泉ブックタワーの隣から当駅に向かってつながっている公園がそれであり、道路脇には今でも橋の欄干が残っている。
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上野駅 - 東京駅間の連絡線は高架線で、1925年(大正14年)11月1日に開通した。この高架線は3線からなり、うち2線を旅客線、1線を貨物線とすることになっていた。しかし、貨物取り扱い設備の高架上への移転工事が遅れ、貨物列車は引き続き地上を走っていた。高架貨物設備は第1期工事(西側貨物積卸場)が1928年(昭和3年)4月1日に、第2期工事(東側貨物積卸場)が1932年(昭和7年)7月1日]に完成して、この日に地上の貨物線が廃止となり、貨物列車の運転も高架上に移された。また、この日に総武本線御茶ノ水駅 - 両国駅間が開通し、三層立体構造の高架駅となった。
この時点で駅の西半分は旅客駅として使い、東半分を貨物駅としていた。この名残りで駅の北側(蔵前橋通りの辺り)で線路が若干曲がっている。また、この付近の線路沿いの道も東西で対称となっている。地上時代の貨物線は道路に戻されており、上野駅前ではマルイシティ上野店の東側の通りが貨物線の跡である。
高架貨物ホームは2面存在し、全長180メートル、幅9 - 12メートルであり、旅客ホームとともに総武本線の高架を突き抜けていた。エレベーター24台、シューター、滑走機などを設置して、高架下との間での荷役を行っていた。田端操車場で入れ換えを行った後、常磐線の日暮里駅を経由する小運転で当駅へ貨車を送り込む方式で運転が行われていた。線路は14本存在しており、西側から貨物1 - 6番線・上り本線・下り本線・貨物7 - 12番線となっていた。そのうち貨物1番線で単式ホーム1面、貨物2・5番線と貨物8・10番線で島式ホームを1面ずつ使用していた。
戦後は貨物輸送のコンテナ化が進行したが、狭小な立地に高架で貨物取り扱い設備を設けた当駅ではこれに対応することができなかった。このため、1911年時点で東京における貨物駅では隅田川駅に次ぐ第2位の貨物取り扱い量であった当駅は、1970年になると汐留駅、小名木川駅、越中島駅、品川駅などに取り扱い量をはるかに引き離され、1911年時点での取り扱い量よりも減少している状態であった。こうした状況を受けて、1975年2月1日に当駅での貨物営業が廃止され、旅客専用駅となった。廃止後の貨物駅は西半分は東北新幹線工事のために撤去され、東半分は上野駅発着列車の留置線として転用された。留置線は1991年の東北新幹線東京駅 - 上野駅間の開通とともに第1上野トンネル坑口上に移設された。その数年後に残った貨物駅および運輸会社の倉庫地区が解体され、その後も更地となっていたが、2000年代初頭に旧倉庫地区がヨドバシカメラに売却され、2005年にヨドバシAkibaが開店。貨物駅跡もつくばエクスプレス開業に合わせて中央改札口、駅前広場として整備された。
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かつて存在していた東京 - 上野間の東北本線線路は、東北新幹線建設に伴い神田駅付近で分断され、当駅構内の線路は留置線として利用されてきた。その後、上野東京ラインが神田駅付近の東北新幹線の高架のさらに上層部に高架で建設され、2015年(平成27年)3月14日に開業した。なお当初は停車する予定でホーム設置などが検討されたが費用とコスト面などから当駅にホームは設置は見送られた。
年表
1890年(明治23年)11月1日:日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。
1906年(明治39年)11月1日:鉄道国有法により国有化。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により東北本線の所属となる。
1925年(大正14年)11月1日:東北本線上野駅 - 東京駅間の高架線が開業、旅客営業開始。
1928年(昭和3年)4月1日:高架貨物駅第1期工事(西側貨物積卸場)完成。
1931年(昭和6年)10月1日:高架下のスペースを利用した貨物倉庫の営業開始。
1932年(昭和7年)7月1日:総武本線、御茶ノ水駅 - 両国駅間が開業し、乗換駅となった。この時に3層構造の高架駅となった。高架線の総武線の開通によりエスカレーターが設置されたが、これは国鉄初のエスカレーターであった[5]。高架貨物駅第2期工事(東側貨物積卸場)が完成して、上野駅とを結ぶ地上の貨物線が廃止された。
1945年(昭和20年)3月10日:太平洋戦争中に空襲(東京大空襲)に遭い駅舎が全焼。留置していた客車14両と貨車50両が焼失。
1951年(昭和26年)11月:現在の電気街口にアキハバラデパート開店。
1953年(昭和28年)10月15日:貨物取扱除外品目に「軽火工品」を追加。
1962年(昭和37年)5月31日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線秋葉原駅開業。
1965年(昭和40年)11月:日本最長(当時)のエスカレーターが昭和通り口=総武線ホーム間に設置。
1975年(昭和50年)2月1日:貨物営業廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅はJR東日本の駅となる。東北本線は長らく東海道本線との乗り入れを行っていたが、上野駅 - 東京駅間の東北本線線路用地の一部を東北新幹線用に使用することが決定したため、連絡運転が停止された。
1993年(平成5年)
日程不明:営団の駅で駅冷房を開始。
11月4日:営団で継続定期券発売機を導入。
2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄民営化に伴い、日比谷線の駅は東京メトロに継承される。
2005年(平成17年)
6月:昭和通り口にアトレヴィ秋葉原が開業。
8月17日:旧貨物駅跡地にJR駅の中央口改札を新設。
8月24日:首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業。
2006年(平成18年)12月31日:アキハバラデパートが閉店。同時にデパート口改札を閉鎖。
2007年(平成19年)3月18日:東京メトロ・首都圏新都市鉄道でICカード「PASMO」の利用が可能となる。
2010年(平成22年)11月19日:アキハバラデパート跡地に新駅ビル「アトレ秋葉原1」が開業。アトレヴィ秋葉原がアトレ秋葉原2に改称。旧デパート口改札をアトレ1改札口と改称して再設置。
2013年(平成25年)3月16日:日比谷線秋葉原駅において、都営地下鉄新宿線岩本町駅との連絡運輸を開始。
2015年(平成27年)6月20日:山手線(2・3番線)でホームドアの使用を開始。
2016年(平成28年)
3月31日:日比谷線ホームに発車メロディ導入。曲はAKB48の『恋するフォーチュンクッキー』。
5月15日:2017年4月中旬完了予定でJR東日本秋葉原ビルの解体を開始。
2019年(平成31年・令和元年)
2月13日:京浜東北線(1・4番線)でホームドアの使用を開始。
3月1日:JR東日本の駅が業務委託化。
10月7日:JR東日本秋葉原ビルの跡地に、ホテル「JR東日本ホテルメッツ 秋葉原」が開業。JR東日本の東西自由通路がリニューアル。
2020年(令和2年)2月7日:日比谷線ホームの発車メロディのバージョンを変更。
駅名の由来
秋葉原の名の由来は、元々この地にあって人々が秋葉社(あきばしゃ、あきはしゃ)と呼んだ神社であり、「秋葉社の原っぱ」が語源である。なお、同社は1890年(明治23年)の駅開設に伴い台東区松が谷三丁目10番7号移転されている。この縁で、駅の西側にある神田明神のお祭りでは駅構内に神輿が巡幸する。また、秋葉社が当駅内に分祀されており、こちらの祭事はJRの駅長が行うことになっている。
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古くは「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼ばれていた。一方、駅の呼称としては、1907年(明治44年)に「あきははら」(Akihahara)から「あきはばら」(Akihabara)へと変更された。
台東区秋葉原という町名が駅北側(本駅と御徒町駅の中間付近)に実在するが、由来は同じである。
JR 秋葉原駅
あきはばら
Akihabara
AKB
所在地 東京都千代田区外神田一丁目17-6
北緯35度41分54秒
東経139度46分23秒座標: 北緯35度41分54秒 東経139度46分23秒
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 アキ
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線(京浜東北線・山手線)
2面2線(総武線)
乗車人員
-統計年度- 248,033人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1890年(明治23年)11月1日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■京浜東北線*
駅番号 JK28
キロ程 2.0km(東京起点)
大宮から28.3km
◄JK 27 神田 (0.7km)(1.0km) 御徒町 JK 29►
所属路線 ■山手線*
駅番号 JY03
キロ程 2.0km(東京起点)
◄JY 02 神田 (0.7km)(1.0km) 御徒町 JY 04►
所属路線 ■総武線(各駅停車)
(正式には総武本線支線)
駅番号 JB19
キロ程 3.4km(錦糸町起点)
千葉から37.8km
◄JB 18 御茶ノ水 (0.9km)(1.1km) **浅草橋 JB 20►
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅
* いずれも正式には東北本線
** この間に東京支社と千葉支社の境界あり(当駅から御茶ノ水寄りは東京支社管内)