副砲(ふくほう 英:Secondary gun)は艦砲の一種である。主砲では対応できない水雷艇などの小型艦艇、また航空機を攻撃するために用いられる。
概要
小型艦艇・航空機など高速、小型のものを攻撃する場合、主砲では弾薬は限られており、旋回速度も遅いため、副砲が使われる。副砲には、15センチ前後のものがよく使われた。 副砲には砲塔式とケースメイト式がある。当初、巡洋戦艦として建造された赤城 (空母)には、ケースメイト式の副砲がついていた。大和型戦艦の15.5センチ副砲は元来最上型重巡洋艦が軽巡洋艦として建造された当時の主砲であったが、とても強力な砲であった。
口径:15.2cm、砲弾重量:45kg
最大射程:約13000m、発射速度:7発/分
重量 21.49t 装填速度 12.0秒/発
耐久値 1159 発射初速 701m/s
砲弾 152mm弾 最大仰角 20.0度
最大俯角 -5.0度
旋回速度 6.0度/秒
対艦射程 3358m 俯仰速度 8.0度/秒
(制式名 : 四一式四十口径十五糎砲)「三笠」には副砲として本砲を14門搭載していた。
四十口径安式十五糎砲は英アームストロング社が開発した速射砲で日本では国産防護巡洋艦「秋津洲」で初めて採用された。「秋津洲」 は途中で設計変更が行われたため就役が遅れて明治27年となり、24年度計画により英国で建造した同砲搭載の巡洋艦 「吉野」 の竣工の明治26年より後になってしまいました。当初は 「安式四十口径十五拇砲」 又は単に 「安式十五拇砲」 と言いました。但し日本艦艇で本砲を搭載して最初に竣工したのは 英アームストロング社で建造された防護巡洋艦「吉野」である。 性能は極めて優れており日清戦争ではその威力を存分に発揮し黄海海戦などで清国海軍を撃破するのに絶大な貢献を果たした。本砲は日清戦争での勝利の立役者と言える。 この戦訓により日清戦争後の海軍力整備でも本砲の導入は優先順位が高く日露戦争で連合艦隊旗艦を務めた戦艦「三笠」以下、多くの艦艇に搭載される事になった。
明治41年以降は日本製鋼所室蘭工場で国産化された。 明治41年に 『砲熕ニ関スル名称中改正ノ件』 (内令兵5号) によって 「四十口径安式一号 (二号、三号) 六吋砲」 となります。
そして更に大正6年には 『砲術長主管兵器中名称改正の件』 (内令兵17号) によって 「四十口径安式十五糎砲」 に変更され、この名称が太平洋戦争終戦まで使われます。 この時には一号~三号の名称区別はありません。
特徴は、砲弾を砲身の後方から装てんする 「後装式」 を採用したことで、「前装式」 が主流であった当時の砲に比べて、装てん時間は約1/10に短縮された。
昭和期になると流石に旧式化したが大東亜戦争でも特設巡洋艦の主砲や離島防衛などに本砲が多く使用された。