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海軍航空隊可部基地「国安牧場」

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広島にも海軍特攻基地はありました。標高は242メートル海軍航空隊可部基地「国安牧場」です。基地名も「牧場」と秘匿。敵に発見されにくい山間の飛行場から特攻機を進発させることを目的としての六二一特攻基地でした。

昭和20年初夏、本土決戦に備えて関東以西の産地55か所に海軍航空隊の特攻基地を計画し「牧場」を作れ!と秘密指令がでました。広島の根野村、苅田村の両村長に6月18日、9日係官が来村し「国安牧場」正式には海軍航空隊可部基地の建設を申し渡しがあった。600メーター滑走路と誘導灯、格納庫の建設。7月10日完成予定の突貫工事。根野国民学校を兵舎とする計画計画でした。


工事は手作業、運搬はモッコ又はトロッコ。動員された人員は延べ人数15万人。建設に伴う犠牲者は2,3人立ち退き17戸。高野県知事も激励に訪れ7月10には滑走路が完成。現在の54号線。格納庫は小又谷をはじめ周辺の山麓に横穴を掘って分散し偽装を施される。

格納庫:佐々井小又谷の林道沿いの山麓に2,3か所。上佐々井道路沿いに2,3か所。上佐々井狭迫及びその付近の山麓に2,3か所。弾薬庫は佐々井小又谷林道沿いの山麓に2,3か所。佐々井明顕寺に本部、京都峯山から90人の隊員(内特攻隊員25名)飛神隊から尾関部隊(93式中間練習機25機)。


誘導路は縦横につくられ。上根香川商店の屋上に対空監視所の設置。原爆投下日8月6日、吉田対空監視所からは下根の飛行場に爆弾が落ちたか?問い合わせがあった。夕方、原爆被災による避難者多数あり。8月15日終戦、この基地より特攻隊の出動はなかった。格納庫は住民により取り壊す。弾薬庫は連合軍により爆薬と共に爆破。立ち退き家屋は自費で復旧。

特攻機としての93式中練機は複葉機。日本軍の練習機は目立つようにオレンジ色に塗られたことから別名「赤とんぼ」と呼ばれていました。昭和初期まで、日本海軍では一〇式艦上偵察機や一四式水上偵察機などの旧式になった偵察機などを練習機として運用していたが、老朽化による稼働率の低下に加え、実用機の性能が向上したことによりこれらの機体では能力が不足するようになってきた。そこで海軍では1930年(昭和5年)に空技廠で新型の中間練習機の開発に着手し、1931年(昭和6年)に1号機を完成させた。九一式中間練習機と名づけられたこの機体は近代的な機体で高速だったが、安定性に問題があったため量産されずに終わった。
同年11月、この九一式中間練習機の改良型の開発と増加試作が川西航空機に指示された。川西では、空技廠と共同で改造に取り組み、1933年(昭和8年)12月に試作1号機が完成した。機体構造が鋼管または木製骨組に羽布張りで後退角の付いた上翼を持つ点は九一式中間練習機と同じだったが、主翼や尾翼の形状の変更、上翼の取り付け位置変更が行われ、実用性向上のため細かい改良がなされていた。審査の結果、安定性、操縦性、実用性とも申し分のない機体となったため、1934年(昭和9年)1月末に九三式中間練習機として制式採用されました。

制式採用後、川西で60機が作られたのを皮切りに、九州飛行機や日本飛行機、日立航空機、中島飛行機、三菱重工業などの海軍と関係を持った航空機製造会社のほぼ全てによって大量生産が行なわれた。これは軍が主力企業以外の民間工場にも航空機制作の習熟を行なわせる施策をとっていたための持ち回り当番とされている。九三式中間練習機は海軍のあらゆる練習航空隊に配備され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結まで用いられた。安定性・信頼性が非常に高く扱い易いながらも、同時に高等曲技飛行も可能なほどの操縦性を持ち合わせ、多くの練習生がこの機体から巣立っていった。水上機型(K5Y2)も相当数生産され、水上機の搭乗員養成に一役買った。一部の機体は民間でも使われ、訓練飛行や空中写真撮影などに広く用いられた。
第二次世界大戦の中期以降は、実用機の性能向上から本機は初歩練習機として使用されることも多くなってきた。931空所属機は対潜哨戒任務の空母艦載機として運用された。戦争末期には目立つことから機体上面は濃緑色に塗られ、さらに実用機不足と当機がアルコール燃料でも稼動可能なことから、機体全体を濃緑色で塗装した上に後席に増槽としてドラム缶を装着し、機体の限界に近い250kg爆弾を積み込んでの特攻に駆り出され、駆逐艦1隻(キャラハン)を撃沈している。
陸上機、水上機合計5,591機が生産され、この内半数近くは日本飛行機製であった。製造機数の多さと練習機という任務から、終戦時に残存していた機体数は海軍の機種の中では最も多かった。
戦後、インドネシア独立戦争にて九三式中間練習機はインドネシア共和国軍によって練習機等として広く使われた。だが、ほとんどはオランダ空軍による飛行場への爆撃により、1947年(昭和22年)年までにはほぼ破壊されてしまった。

翼幅: 11.00 m
全長: 8.05 m
全高: 3.20 m
翼面積: 27.7 m²
全備重量:1,500 kg
エンジン: 日立「天風」空冷9気筒星型 340 Hp×1
最高速度: 210 km/h
上昇率: 3,000 m まで 13.5 min
最高到達高度: 5,700 m
航続距離: 1,020 km
乗員: 2 名
武装:
7.7mm旋回機関銃×2
33kg爆弾×2


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