ED17形は、日本国有鉄道(国鉄)並びにその前身となる鉄道省が、1930年(昭和5年)から1950年(昭和25年)にかけて、旅客用電気機関車等の改造により製作した直流用電気機関車である。
本形式の改造種車となったのは、1923年(大正12年)から1925年(大正14年)にかけてイギリスから輸入された電気機関車群である。いずれもイングリッシュ・エレクトリック社(English Electric & Co.,/英国電気)で製造されたもので、具体的には先に挙げた4形式28両のうちの27両である。これらの英国電気製電気機関車は、同社のディック・カー(Dick Kerr)工場で製造されたことから、「ディッカー」あるいは「デッカー」と呼ばれた。また、その無骨な外観から鉄道ファンによって「クロコダイル(ワニ)」という愛称も与えられている。ED17形への改造は、3次にわたって実施された。
英国電気が製造した本グループは、国有鉄道が導入した輸入電気機関車の最多数を占めていたが、故障の多発に悩まされた。特に「デッカー・システム」として知られる、電動カム軸式多段制御器をはじめとする電装品は、製造当時の段階では最新鋭の、言い換えれば使用実績の少ない未成熟なシステムであったため、その実用化には問題が大きかったようである。これらの不具合は、検修陣の努力により徐々に克服されていったが、太平洋戦争後に主幹制御器や電動機などの主要機器のほとんどは国産機器に交換され、面目を一新、1970年代まで使用された。
最初に本形に改造されたのはED50形17両で、1930年から翌年にかけて電動機から動輪に動力を伝える歯車の歯数比を増大して、勾配の多い中央本線(新宿 - 甲府間)の電化開業用に転用したものである。この改造によりED50形は全車が本形式に編入され、ED17 1 - 17(番号はED50形時代を踏襲)となった。次いで1931年から1935年(昭和10年)にかけて、ED52形4両(3 - 6)が同様の改造を受け、ED18形(初代。ED18 3 - 6)となっている。
次にED17形が増加するのは、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)にかけてである。軍需輸送の増加で貨物用電気機関車の増備が必要となったことに伴うもので、ED52形2両、ED51形3両が改造を受け、ED52形(1・2)がED17 22・23に、ED51形(1 - 3)がED17 24 - 26となっている。
この間、23号機と25号機が、戦災により1946年(昭和21年)1月に廃車となっている。
3次分となるのは、1949年(昭和24年)から1950年にかけて装備改造により編入したもので、ED18形(初代)3両、ED13形2両で、ED18 4 - 6がED17 19 - 21に、ED13 1・2がED17 27・28となっている。
また、1954年(昭和29年)及び1955年(昭和30年)には、本形式が入線困難な支線区で使用するため、軸重軽減を目的として2軸台車をDD10形と同様に中間遊軸付きで軸配置A1Aのものへ新製交換する工事が実施され、該当車はED18形(2代)に改められている(ED17 17・16 → ED18 1・2)。
主要諸元
(ED50形改造機の諸元を示す)
全長:12,340mm
全幅:2,800mm
全高:3,965mm
重量:59.80t
電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)
軸配置:B+B
主電動機:MT6A形(端子電圧675V時定格出力210kW、定格回転数550rpm)×4基
1時間定格出力:840kW
1時間定格引張力:10,000kg
動力伝達装置:1段歯車減速、吊り掛け式
歯車比:18:78=1:4.33
制御方式:非重連、抵抗制御・直並列2段組合せ・弱め界磁
制御装置:複式電動カム軸接触器式
ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ、手用ブレーキ
経歴:本形式は、誕生のきっかけとなった中央東線では、勾配線区であることから客貨両用として使用された。その後、F級電気機関車の投入により、支線に転じ、仙山線のほか身延線や飯田線といった買収電化線区で貨物列車牽引用に使用された。
最後に残ったのは飯田線の4両(12・14・15・20)で、これらは豊橋機関区に配置され、1972年(昭和47年)6月まで使用された。
保存:トップナンバーの1号機は、1970年の廃車後、地元の要望などにより山梨県甲府市の舞鶴城趾公園に静態保存されたが、1997年(平成9年)に大宮工場(現在の大宮総合車両センター)に移され外観の整備がなされた。同機は、2007年(平成19年)10月14日、さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館で保存展示されている。