豊予要塞の一部として、4つの砲台が設置されたが現在では砲台を見学することが出来ず、佐田岬灯台の北側の岸壁と、大島の東側の岸壁に2ヵ所づつトンネル式の砲座が築かれている。
佐田岬第1砲台:大正13年(1924年)9月起工、昭和元年(1926年)11月竣工、スカ式12cm速射カノン砲4門(対馬要塞大平高砲台から移設)守備は豊予要塞重砲兵連隊第五中隊。 ・佐田岬第2砲台:昭和元年11月起工、昭和2年10月竣工、15cm速射カノン砲4門・佐田岬第3砲台:昭和5年(1930年)竣工、30cm長榴弾砲4門・佐田岬第4砲台:昭和5年(1930年)竣工、30cm長榴弾砲4門・新砲台:昭和20年7月頃、12cm榴弾砲4門
1945(昭和20)年に6ケ月間の突貫工事で急造された砲台で、佐田岬灯台直下に2門と当時離島だった大島(御籠島=みかごじま)。現在はコンクリートで繋がれ、出荷調整のための三崎漁協の天然の「いけす」《畜養池》になっている)2門、38式12cm榴弾砲が据え付けられた(この工事で、4人が死亡している。洞窟内でダイナマイトを仕掛けている最中に突然スイッチが入れられ爆発したのである)。
配置兵員数も約1000名を超え、要塞の強化がはかられ、正野地区約3キロ以内は一大軍事基地となっていたが、交戦することなしに敗戦(無条件降伏)に至った。
戦時中、現地司令部、炊事場や医療現場として利用された壕には、ディーゼル発電機を据え付けた跡が残っている。
ピークを一つ挟んで東側のキャンプ場が砲台施設跡で、西面には地下式発電所跡がある。現在はキャンプ場の倉庫になっている。
このキャンプ場周辺には井戸や貯水槽、船着場などの施設跡が点在している。
探照灯格納庫には迷彩塗装が施されていた。
環状路には100m程レールが敷かれ探照灯を移動させていたが、現在は観光用の散策路として舗装されている。
第一砲台観測所・測距儀の基礎と観測窓・地下式で、内部は東側に測距儀の置かれていた半円形の部屋と、その西には四分の一円の副観測所らしきものがある。
それぞれ南側に鉄枠の観測用のスリットが開けられている。