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枇杷島駅 JR東海)東海道本線・東海交通事業

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枇杷島駅(びわじまえき)は、愛知県清須市西枇杷島町七畝割(ななせわり)にある、東海旅客鉄道(JR東海)・東海交通事業 (TKJ) の駅です。

JR東海の東海道本線とTKJの城北線が乗り入れる接続駅となっており、TKJの終点駅です。名古屋駅の隣駅ですが、庄内川を越え、駅間が4kmも離れているので、閑静な住宅街になっています。

島式ホーム2面4線を持つ地上駅です。2社の共同使用駅であり、改札を共用しています。TKJ城北線用の短いホームは、名古屋駅と稲沢駅を結ぶJR東海の貨物線「稲沢線」の本線上に設けられていることから、貨物列車の運転状況によって発着番線が変わる。また、構内北側の稲沢線から、東海道新幹線の高架の下を潜る保線車両留置線が分岐しています。


2008年(平成20年)12月に橋上駅舎が完成し、東西自由通路が設置され、駅の東側に駅前広場が新設された。自由通路は大きな窓と高い天井あるため、明るく非常に開放的な雰囲気を演出しています。また、2009年(平成21年)3月に駅西側の駅前広場が整備された。なお、かつての地上駅舎は、駅の西側を通るJR東海東海道新幹線の高架下に設置されていました。


駅設備はJR東海が保有し同社の名古屋駅の管理下でTKJに業務委託されており、実際の業務はTKJ社員が行っている(JRの駅としては業務委託駅)。TKJ直営の出札口は持たず、JR東海のみどりの窓口があり、両社線の乗車券類を扱う。

他に自動券売機1台、TOICAチャージ機、自動改札機3台が設置されている。改札口、東海交通事業とは共同使用駅です。

枇杷島駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1・2 〓TKJ城北線 - 小田井・勝川方面


3 ■JR東海道本線 下り 岐阜・大垣方面


4 上り 名古屋・岡崎方面

1886年(明治19年)4月1日 - 官設鉄道(のちの国鉄→JR)が熱田駅から延伸した際の終着である清洲駅(初代)として、現在地からやや離れたところに開業。
1886年(明治19年)5月1日 - 官設鉄道が当駅から一ノ宮駅(現 尾張一宮駅)まで延伸し、途中駅となる。


1891年(明治24年)10月28日 - 濃尾地震により本屋が全壊する[2][3]
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称が制定され、東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
1906年(明治39年)4月16日 - 移転し、枇杷島駅に改称する。
1980年(昭和55年)10月1日 - 専用線発着を除く貨物の取扱を廃止する。
1985年(昭和60年)3月14日 - 荷物の取扱を廃止する。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)と日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
1993年(平成5年)3月18日 - 東海交通事業 (TKJ) 城北線が尾張星の宮駅から延伸し、当駅に乗り入れる。


1995年(平成7年)12月1日 - 大阪セメント専用線が廃止される。
大阪セメントのセメント包装所への専用線があり、セメント輸送貨物列車が到着していた。
2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の駅が廃止され、貨物の取扱いが名実ともに終了する。
2006年(平成18年)11月25日 - IC乗車券「TOICA」のサービス開始に伴い、当駅における供用を開始する。
2008年(平成20年)12月13日 - 橋上駅舎の供用を開始する。
これに伴い駅の東側にも出入口が設置される。

電報略号 ヒワ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 3,335人/日(降車客含まず)-2009年-


開業年月日 1886年(明治19年)4月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 東海道本線(JR東海)
所属路線 東海交通事業城北線
備考 共同使用駅
業務委託駅
みどりの窓口 有(係員不在時間あり[1])
* 1906年 清洲駅(初代)から改称。
** この間に五条川信号場有り(当駅から2.0km先)。


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