餘部駅(あまるべえき)は、兵庫県美方郡香美町香住区余部字ナワテにある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。国内最大のトレッスル橋で知られた駅で第3回近畿の駅百選選定駅です。山の中腹にあり、地上からは細い通路を登り5~10分かかります。
余部橋梁が駅のすぐ東側に架かる。橋梁を望む展望台が駅裏手にあったが、橋梁の架け替え工事で山側に線路を通すため掘削されるのに伴い、2008年(平成20年)4月11日をもって一時閉鎖された。しかし、新旧橋梁切替時期から再開を望む声が多く寄せられたことによって、香美町の定例議会で再開の提案が2010年9月に可決され、補修工事後2010年11月3日に再開された。
余部の集落は鉄橋の直下にあり、駅からは長い坂道を下りていく必要がある。この坂道には階段がなく、雪の積もる冬場には滑落の危険があるほど急である。また幅が狭いため自動車は通れず、駐車場が坂道のふもとに設置されている。この道も橋梁工事のため2008年(平成20年)2月に一部付け替えられている。
駅名と地名の読みは同じだが、漢字表記が異なる。この駅の開業が1959年(昭和34年)であり、1930年(昭和5年)に開業した姫新線の余部駅(よべえき)との重複を避けたためとされる。マスコミにおいては「余部駅」と表記されることもある。
豊岡駅管理の無人駅で、自動券売機や乗車駅証明書発行機も設置されていない。
駅の開業は地元住民の要望が強く反映された。余部橋梁が完成してから1950年代まで、余部集落住民が山陰線を利用するためには、列車の合間を縫って徒歩で余部橋梁を渡り、トンネルをくぐって隣の鎧駅まで行く必要があった。1955年(昭和30年)、地元住民が駅設置の実現化に向け、国鉄に強く働きかけたり、小学校児童が県知事に駅設置を願う手紙を書くなどの行動が展開された結果、駅設置が決定した。建設の際は住民たちも駅造りを手伝い、その様子を描いた壁画がホーム傍に立てられていたが、新橋梁建設工事開始後は周辺案内板等と共に撤去されている。
浜坂方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。分岐器や絶対信号機を持たない棒線駅で、ホームは豊岡方面と浜坂方面の共用である。駅のトイレは閉鎖された為、利用の際は下の集落に降りなければならない。
余部橋梁の架け替え前は、ホームは浜坂方面に向かって左側であった。そこから線路とは反対方向に集落に下りる通路が通じていたが、橋の架け替えに伴いこのスペースに新たに線路を通すことになったことから、構内踏切が設置されて新たな通路が設けられた。新橋の供用開始に伴う線路の付け替えで、構内踏切は解消されている。
ホーム中ほどにはコンクリートブロック造の待合室が設置されています。待合室内には長椅子が設置されています。
橋の架け替えによる営業再開に際して、旧橋で使用されていた鋼材を切断したベンチがホームに設置されている。
1959年(昭和34年)4月16日 - 国鉄山陰本線の鎧駅 - 久谷駅間に新設開業。旅客営業のみ。
1986年(昭和61年)12月28日 - 余部鉄橋列車転落事故が起こる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2004年(平成16年) - この年より、春休み、ゴールデンウィーク、夏休みなどの多客時に臨時快速列車あまるべロマンの運行が開始され、同列車の停車駅となる。
2008年(平成20年)2月29日 - 余部橋梁工事のため、仮設の通路と踏切が設置される。
2010年(平成22年)7月17日 - 余部橋梁工事のため、同日から列車が運休(バス代行)となり、営業を一時休止。
2010年(平成22年) 8月12日 - 余部橋梁の架け替え完成に伴い、営業を再開。ホームから見て従来とは反対側に線路が移設される。
電報略号 アマ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 98人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1959年(昭和34年)4月16日
備考 無人駅