島原駅は、長崎県島原市片町にある、島原鉄道島原鉄道線の駅です。線内でも最大の利用者数を誇る文字通りの中心駅として揺るぎない地位を占めています。
駅前は島原市の市街地が広がっています。長崎県南部地方、島原半島の行政・経済の中心地です。島原駅の駅前(駅西側)を国道251号が島原鉄道線に並行して通っています。
急行は駅から終点(南島原駅または島原外港駅)まで、各駅に停車いたします。
相対式2面2線ホームを持つ地上駅。平成元年建築の駅舎は島原城の大手門をモチーフにした貫禄ある特徴的な駅舎です。駅の漢字が「驛」と旧漢字で記され、事務所には明治天皇・皇后両陛下の御写真と日の丸の旗、それに神棚も有ります。
有人駅で線内で数少ない自動券売機・窓口が備えられています。待合室の売店では土産物も多数取り扱われています。連絡乗車券も発売しています。
改札口付近もお城をイメージしたデザインの装飾が施されています。ホームと駅舎は警報機付きの構内踏切で連絡しています。
島原駅構内の中央部に「島原の子守唄」の銅像や溝には錦鯉が泳いでおり水の都島原、歴史の町島原を物語っております。
島原市:江戸時代、有馬氏に代わり島原に移った松倉氏が島原城を築城したことから城下町の形成が始まる。松倉氏は島原城築城や海外出兵を口実に飢饉の中でも過酷な年貢を取り立て、他方では捕らえたキリシタンを雲仙に連行し熱湯を浴びせて拷問するなどの弾圧を繰り返したため、領民の反発を招き、1637年、近世最大の一揆として名高い島原の乱につながる。乱の鎮圧後、松倉氏に代わり島原藩主は高力氏、松平氏と移り、荒廃した島原半島と島原藩は復興していく。島原の歴史でもうひとつ忘れてならないのは雲仙岳の火山活動である。1792年、雲仙岳は火山活動を開始、当初は小規模な活動にとどまり、物珍しさから領民が見物に行こうとするほどであったが、その後大地震で雲仙岳東側の眉山(現在の島原市街地から間近に見える)の一部が崩壊、流れ出した土砂が島原城下を襲って多数の死傷者を出しただけでなく、有明海に流れ込み対岸の肥後に大津波となって押し寄せた。日本における有史以来最大の噴火活動として「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、現在も九十九島の景観などにその名残を残す。そして、記憶に新しいのが1990年から5年あまりにわたって続いた噴火活動である。火砕流と土石流の被害から逃れるため地域住民は長期の避難生活を強いられることとなり、雲仙岳には溶岩ドームが形成され最高峰の平成新山となった。現在では急速に復興を遂げ、雲仙の玄関口として多くの観光客を受け入れる観光都市となっています。
1913年(大正2年)9月24日 - 開業。
1984年(昭和59年)9月30日 - 貨物営業廃止。
1989年(平成元年)12月22日 - 現駅舎落成。
2008年(平成20年)3月 - 構内踏切に警報機・遮断機設置。
所属路線 ■島原鉄道線
キロ程 40.5km(諫早起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 1,622人/日
-2005年度-(島原鉄道線内44駅中第1位)
開業年月日 1913年(大正2年)9月24日