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特殊潜航艇「甲標的」気蓄器 海上自衛隊第1術科学校

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この気蓄器は海上自衛隊第1術科学校教育参考館の隣に展示してある特殊潜航艇「甲標的」の前にあります。

説明版より

この気蓄器(空気ボンベ)は、特殊潜航艇「甲標的」の舵を駆動する空気圧式操舵装置に空気を供給するために艦首部分に装備されていたものである。
艦船の操舵装置は油圧式が一般的であり、潜水艦の旋回を担う縦舵及び仰角を担う横舵の操舵装置も同様であるが、「甲標的」は船体を小さくするための工夫の一つとして、操舵装置を簡素で小型な空気圧式とし、操舵用に気蓄器2基が装備された
しかし、空気式操舵装置は、気蓄器の空気が尽きれば、舵が使用できなくなるという弱点があり、舵を頻繁に使用することが予想された真珠湾攻撃に参加した「甲標的」には推進動力用電池の一部を降ろして操舵用気蓄器5基が増設された。
真珠湾攻撃後、「甲標的」は、行動時間延長のための改良が加えられ、その一つとして、小型ディーゼル・エンジン式発動機の開発、装備に伴い、縦舵の操舵装置のみ(横舵はそのまま)は、空気圧式から電動ポンプ油圧式に変更された。

情勢の変化に適応できた特殊潜航艇(甲標的)
-攻撃兵器から防御兵器へ-中 村 秀 樹

おわりに から

日本海軍は漸減邀撃艦隊決戦構想に基づき、兵力整備(軍備)と訓練を重ねて大東亜戦争を迎えた。しかし、戦争の実態はことごとに戦前の予想を裏切るものとなった。短期決戦を企図したが長期戦となったため、艦隊同士の戦闘だけでなく、国家の継戦能力に関わる交通破壊戦や戦略爆撃が大きな意味をもつようになった。海上作戦そのものも、1 度の決戦で勝敗を決することはなく、島嶼争奪に伴う戦闘が連続した。その戦闘は航空兵力、特に空母機動部隊が重要な役割を果たした。しかし日本海軍は、主兵力として整備した戦艦、重巡洋艦を空母護衛等に活用することなく遊兵化させ、無理な作戦を続けた航空部隊と潜水艦部隊は、消耗を重ねる結果を招く。
甲標的も、艦隊決戦兵力として整備されていたが、作戦の実効性に疑問が呈され、開戦前に洋上襲撃から敵根拠地攻撃に用法が転換された。その着想は悪くはなかったが、甲標的の性能と搭乗員の練度が不充分なまま強行した真珠湾(第一次攻撃)では成果なく、改修と事前訓練に努めたディエゴ・スワレス(第二次攻撃)でやっと戦艦撃破他の戦果を挙げることができた。しかし、甲標的の性能上無理な作戦で生還者を得られなかった。狭隘な水道通過の必要がなく、近傍に味方拠点のあるガダルカナルの作戦ではやっと攻撃後の生還者を得た。フィリピン以降は航続力が増大した丙型を使用して自立作戦が可能となる。艇ごと生還できるようになったのである。フィリピンでは指揮官に人を得、情報収集、指揮通信、後方支援、行動計画等各分野で最も条件の整った作戦が実施され、甲標的としては最大の戦果を挙げることが出来た。ジリ貧となった感のある他の兵力に比べ、このように甲標的は戦訓を取り入れ改造と訓練を重ね進歩していった。しかし、元来弱小兵力で物的人的資源の絶対量が不足していたため、全般の戦況に影響を与えるに至らず、本土決戦準備の段階で急速整備されて、海軍兵力の柱の一つとなって終戦を迎える。小さいが、数少ない成功例に数えられる日本海軍の事績である。
甲標的が貴重な成功例となった要因は、いくつか考えられる。
甲標的が武器体系として小規模であったため、性能上の問題点の把握と改善が容易であったこと。関係者に高級将校が少なく、若い将校が中核だったため、柔軟で機敏な対応がとり易かったこと。部隊規模が小さく、意思疎通がよかったこと。搭乗員に滅私報国の意志が強く、犠牲的行動を厭わなかったこと。緒戦の真珠湾攻撃以来、部隊の士気を高いまま維持したこと、などである。これらは、ちょうど戦艦、重巡洋艦部隊とは反対の条件であり、逆に水上部隊の失敗の原因を探ることができるかもしれない。今日この教訓を考える時、かつての艦隊決戦主義に匹敵する対潜水艦戦中心主義で成長し、実戦の洗礼を受けることなく 50 年以上を過ごした海上自衛隊には、日本海軍の先例に学ぶべき点が多く、また真剣に学ばねばならないであろう。


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