二河水源地は,呉の名勝二河峡にあり,付近一帯は戦後に二河峡公園となっている。
呉鎮守府の軍用水道施設のひとつ。
1889(明治22)築造。
旧海軍が,明治22年最初の取水場を二河川二河滝付近に築造し,ここから約4km離れた宮原地区の高台に明治23年に築造した宮原浄水場に通水し,呉工廠等旧海軍施設に給水したのが旧海軍水道(旧軍港水道又は鎮守府水道)の嚆矢である。
二河峡の水源地につくられた石造りの坑門で、上部に「呉鎮守府水道」と刻まれた標石が置かれています。
第2海軍鎮守府建設委員会が,明治19年に用地買収を開始し,同21年12月から築造に着手し,同22年9月に竣工した石造りの取水場である。 取水場取水口の水路は一つの大きな岩の中央部をくり抜いたものである。
明治23年4月21日の鎮守府開庁式に御臨幸された明治天皇は,有栖川宮殿下に取水場設備を代閲させられた。
築造当時は,他軍港の水道施設と比べて設備が過大すぎると評価された。
その後,昭和20年の終戦に至るまでの間,呉軍港の発展,拡張に合わせて,旧海軍は次つぎと施設を拡張,築造した。施設は,本庄水源地,戸坂浄水場,三坂地水源地,石内浄水場などであるが,戦前は海軍専用施設であったため,市民がその恩恵を受けることはなかった。戦後の連合軍への給水は,旧海軍水道施設の一時使用許可によってその任を果たすことができたが,これらの水道施設を呉市は昭和25年6月公布の旧軍港市転換法によって、呉市は昭和27年(1952年)に国から譲与を受け、市民給水の一水源として利用してきました。
昭和32年(1957年)以降は工業用水道事業の水源として、築造以来、すでに一世紀を超えた現在も取水しています。1998(平成10)年に国の登録有形文化財に指定されました。
アーチ形の開口部両脇に柱型を現した丁寧なつくりで,わが国初期の水道施設の一つとして貴重な施設です。歴史的価値と取水場周囲のすぐれた景観もあって「近代水道100選」に選定されている。現在は,工業用水道水源として利用。 1日最大取水量:12,000㎥
所在地:呉市大字荘山田村、呉市二河峡公園内
駐車場:約10台(無料)
指定: 国登録
指定年月日:【登録年月日】平成10年10月9日
法量:
石造坑口
流入側高さ2.80m,幅3.10m
流出側高さ4.67m,幅3.28m
長さ11.8m