西巣鴨駅(にしすがもえき)は、東京都豊島区西巣鴨三丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅。駅番号はI 16。南東250mには都電荒川線新庚申塚駅があります。
島式ホーム1面2線の地下駅。エスカレーターとエレベーター(A4出口 - 改札階と改札階 - ホーム階の2基)が設置されている。
ホームの巣鴨寄りには階段の躯体があるが、現在は壁で覆われており、改札口としての機能を持っていない。
切符売場には券売機が2台とICカードチャージ機が1台設置されています。改札口にはICカード専用機も設置され改札機は5台です。
のりば
番線 路線 行先
1 I 都営三田線 巣鴨・白金高輪・目黒・東急線方面
2 高島平・西高島平方面
巣鴨撮影所
巣鴨撮影所は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現在の東京都豊島区西巣鴨4丁目、西巣鴨交差点の近く)にあった撮影所である。
1919年(大正8年)、「天然色活動写真株式会社」(天活、1914年創立)が開設した。正法院や妙行寺など、寺社の多い巣鴨の地の利を活かしてロケーション撮影を行ない、時代劇などを製作したが、当時は日活(日本活動写真株式会社)が圧倒的に強く、天活の基盤は脆弱であった。1920年(大正9年)には天活は、もと天活創設者だった小林喜三郎(関東の興行師。アメリカの大作映画『イントレランス』の日本興行で成功したのは有名)が日活から脱退した人々と新たに創立した「国際活映」(国活)に買収される形で消滅した。
国活は、この巣鴨撮影所で、新派の俳優を加え現代劇も製作し日活の対抗勢力たろうとしたが、経営が悪化し配給が滞りわずか4年で倒産した。その後巣鴨撮影所は一旦、天活消滅後大阪の撮影所を引き継いで発足していた帝国キネマの撮影所となり、さらに1928年(昭和3年)、前年末に河合徳三郎が発足したB級映画専門会社「河合映画製作社」が手に入れた。河合映画は徹底した娯楽路線で次々配給先の映画館ネットワークを広げ、1933年(昭和8年)に「大都映画」となった。
1942年(昭和17年)、大都は合併により大映になり、同社は同年、巣鴨撮影所は閉鎖した。かわって巣鴨に入る映画会社はもはやなく、かつて日本最大の映画量産地だった巣鴨から、映画製作の活気は失われた。
撮影所跡地には、のちに「豊島区立朝日中学校」が建てられた。同校も合併統合により、2001年(平成13年)に廃校となった。元校舎は2004年より「にしすがも創造舎」になり演劇の稽古場などに使われている。
1968年(昭和43年)12月27日 - 都営地下鉄6号線の駅として開業。
1978年(昭和53年)7月1日 - 都営地下鉄6号線を都営地下鉄三田線に改称。
駅番号 ○I 16
所属事業者 PrefSymbol-Tokyo.svg 東京都交通局(都営地下鉄)
所属路線 I 三田線
キロ程 16.0km(目黒起点)
電報略号 鴨(駅名略称)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 27,322人/日
-2014年-
開業年月日 1968年(昭和43年)12月27日
乗換 新庚申塚停留場(都電荒川線)