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コロナ(CORONA) 2代目 T20型

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コロナ(CORONA)は、トヨタ自動車が1957年から2001年まで生産・販売していた、セダンを中核とするCDセグメント相当の乗用車である。トヨタ車として初めて日本国外でも生産された車種である。車名の由来,英語の「太陽冠」から。

カローラ、クラウンとともに トヨタの伝統的なセダンであり、中核的な位置づけになる車種である。高度経済成長期には日本のマイカー代表車種として、広く親しまれたクルマである。
特に地方都市では 小型タクシーとしても多く用いられた。1960年代から1970年代 コロナの競合車種は 日産のダットサン・ブルーバードであった。このブルーバードとコロナが繰り広げた 熾烈な販売合戦が「BC戦争」と呼ばれるものである。
1957年7月の初代以来11代の系譜をたどったが、2001年以降はコロナ名称は消滅。後継モデルは「コロナプレミオ)」→「プレミオ」の名とともに系統を継承している。

2代目 T20型(1960年 - 1964年)
1960年4月 - フルモデルチェンジ。トヨタが総力を挙げてダットサンセダン(1959年にダットサン・ブルーバード(310系)にモデルチェンジ)打倒を目指して開発された本格的な小型乗用車であった。当時のオペル・レコルトを彷彿とさせるデザインは当時の日本車の水準を越えた流麗もので、当時増加傾向にあった女性ドライバーには特に好評であった。車体は先代同様4ドアセダンのみで、ライトバンおよびシングル/ダブルピックアップは引き続きコロナラインとして別シリーズであった。販売キャンペーンも新しい方式が取られ、発表に先立ち1960年2月頃から新聞紙上に車体デザインの輪郭や一部分を露出して人気を煽る「ティザーキャンペーン」が日本で初めて実施された。設計上最大の特徴は1枚リーフとコイルの組み合わせによるカンチレバー式のリアサスペンションであった。優れた操縦性と乗り心地を実現したが、当時未舗装が多かった地方の道路でタクシーとして酷使されると、耐久性不足が露呈された。また、ピラーが細くスマートなボディも強度不足が指摘された。こうして主にタクシー業界で不評が広がり、当初好調に立ち上がった販売も1960年末頃には伸び悩むようになり、小型車市場でのダットサン・ブルーバードの優位は、T10系の時代と変わらず続き、トヨタは乗用車メーカーとして国内2位の座に甘んじることになった。トヨタは状況を回復すべく必死で対策を講じた。


1961年3月 - 小型タクシー枠が拡大されたことを受けて、クラウンと同じ新規格一杯のR型1,453cc60馬力を搭載した「コロナ・1500」(RT20系)を投入、同様に1,200cc版を投入したブルーバードに対しパワー競争で差をつけた。さらに10月には「コロナ・1500デラックス」(RT20D系)を追加し、自家用車向け販売を強化した。また、特に女性ドライバーに人気があることからイージードライブ装置付きモデルに早くから力を入れ、2速オートマチックトランスミッションの「トヨグライド」(トルクコンバーター付きだがLとDの変速は手動であった)、自動クラッチ(電磁クラッチ)の「サキソマット」(通常の3速MTのクラッチ操作のみ自動化、トヨグライドより性能ロスが少ない)が追加された。また、1500登場と同時に問題のリヤサスペンションをコンベンショナルなリジッド半楕円リーフスプリングに変更した。
1962年 - 日本で最初のカラーCMとなる「コロナ・1500デラックス」のテレビCM放映。「スタント・ドライブシリーズ」の1つとして制作されたもので、内容は色とりどりのドラム缶の上を走行したり、砂ボコリを上げながら蹴散らすというものだった。
1963年4月 - オーストラリア・ビクトリア州・ポート・メルボルンにあった自動車組み立て会社オーストラリアン・モーター・インダストリーズにてトヨタ・ティアラ (Tiara)として生産が開始され、これが日本国外で生産された初めてのトヨタ車となった。なおオーストラリアン・モーター・インダストリーズは後にトヨタが買収し、1985年にトヨタ・オーストラリアとなる。
1963年5月 - 第1回日本グランプリ、ツーリングカー1300 - 1600クラス「C-5」に出場し、1位から3位までを独占した。宿敵ブルーバード・1200は別クラスになったことも幸いしていたが、コロナが丈夫で高性能であることをアピールする好機として、トヨタは盛んにこの戦果を宣伝した[注釈 5]。T20系はまた、対米輸出の戦略車種としても位置づけられ、こちらでも「トヨタ・ティアラ」(クラウンの『王冠』と意味を重ねたネーミング)として1,900ccエンジンを搭載して輸出されたが、1960年にビッグスリーが相次いでコンパクトカーを発売して輸入車に反撃を開始したこともあって、トヨタの期待に反して販売は伸び悩み、アメリカ市場から一時撤退することとなる。

トヨペット・コロナ(2代目)
T2#型
4ドアセダン
1960 Toyopet Corona 01.jpg
コロナライン
1962 Toyopet CoronaLine 01.jpg
販売期間 1960年4月 - 1964年
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
3ドアバン
トラック
エンジン P型 1.0L 直4
R型 1.5L 直4
駆動方式 FR
変速機 2速AT / 3速MT
サスペンション 前:ダブルウイッシュボーンコイル
後:トレーリングアームコイルリーフ
全長 3,990mm
全幅 1,490mm
全高 1,440mm
ホイールベース 2,400mm
車両重量 940kg
ブレーキ 4輪ドラム
最高速度 110km/h
1000 3速MT(前期型)


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