宿毛駅(すくもえき)は、高知県宿毛市駅前町一丁目にある土佐くろしお鉄道宿毛線の駅で、同線の終着駅です(ただし書類上は起点駅)。駅番号はTK47。四国最南端かつ高知県最西端の駅です。
当初、現在の東宿毛駅を宿毛市の中心駅として予定し、愛媛県側への延伸も考慮した中間駅として計画されていました。ところが建設時に宿毛駅は市の中心部から西方に約1km程離れた現在の位置へと変更されました。 人口分布から見ればいささか不便と思われたが、市中心部と臨港部の片島地区の双方に便宜を図ったためともいわれる。
現在の駅舎は当駅より西方の城辺(愛媛県南宇和郡愛南町)・宇和島方面への線路延長を前提としない構造であるため、延長するには頭端部分を撤去しなければならない。
市中心部へは、隣接の東宿毛駅が近いが、当駅開業後周辺がにわかに発展し始め、逆に今までの市中心部が寂れるという現象が生じ始めています。
駅にはバス乗降場があり高知西南交通と宇和島自動車が使用しています。片島岸壁・中村・足摺岬・土佐清水・宇和島方面への路線があります。
高速バスは神戸(三宮)・大阪駅・京都駅方面行「しまんとブルーライナー」、繁忙期期間に限り東京(新宿)行の夜行高速バス「しまんとエクスプレス」号が乗り入れています。
相対式2面2線の高架ホーム(頭端式構造)を持ち、夜間滞泊が設定されています。ただし特急列車は中村駅まで回送されています。レールの終点には車止めが置かれ、その先に位置する2本のホームの連結部に駅舎1階と連絡する階段及びエレベーターが設置。みどりの窓口設置駅です。
のりば
番線 路線 方向 行先
1・2 宿毛線 上り 中村・窪川・高知・高松・岡山方面
当駅の発車メロディはかつてJR東日本府中本町駅で使用されていたものと同じ曲を使用しています(ちなみに同じ土佐くろしお鉄道の阿佐線ではJR四国管轄の後免駅以外でこの曲は接近メロディとして使われている)。
1997年(平成9年)10月1日 - 開業。駅舎は波形の屋根が特徴。
2005年(平成17年)3月2日 - 岡山発の特急「南風17号」が車止めを乗り越えて駅舎の壁に衝突する事故が発生し、宿毛線が全線不通になった。
4月7日 - 東宿毛〜中村間で普通列車のみ営業運転再開。宿毛〜東宿毛間はバスによる代行輸送。
宿毛駅構内の線路が使用可能になり、列車は宿毛〜中村間で運転再開していたが、当駅の改札がまだ使用不能なため、宿毛〜東宿毛間は回送扱いで運転されていた。
6月13日 - 東宿毛〜中村間で特急列車営業運転再開。宿毛〜東宿毛間は回送扱い。
8月22日 - 駅舎復旧工事が本格的に着工。
10月28日 - 駅舎復旧工事完成。駅舎の屋根は平形に。
11月1日 - 営業再開。同時に宿毛線全線で営業運転を再開
電報略号 スク
駅構造 高架駅
ホーム 相対式 2面2線
開業年月日 1997年(平成9年)10月1日
備考 有人駅・みどりの窓口設置
宿毛線(すくもせん)は、高知県宿毛市の宿毛駅から高知県四万十市の中村駅に至る土佐くろしお鉄道が運営する鉄道路線。日本鉄道建設公団建設線(宿毛線)を引き継ぎ、開業した路線である。
改正鉄道敷設法別表第103号「愛媛縣八幡濱ヨリ卯之町、宮野下、宇和島ヲ經テ高知縣中村ニ至ル鐡道及宮野下ヨリ分岐シテ高知縣中村ニ至ル鐡道」のうち、前段の「…宇和島ヲ經テ高知縣中村ニ至ル鐡道」の一部である。その関係で、起点は中村線と接続する中村ではなく、宿毛です。
四国における鉄道建設は遅れていたが、1900年(明治33年)に愛媛県北宇和郡の有志によって四国循環鉄道建設促進運動が起こされ、この際に初めて宿毛が鉄道の経路として挙げられた。この運動の影響もあって、1922年(大正11年)4月の改正鉄道敷設法別表第103号に予定線として掲載されることになった。1945年(昭和20年)には予讃本線(後の予讃線)が、1951年(昭和26年)には土讃本線(後の土讃線)が全通するが、その後の建設をめぐって争いが展開されることになった。私鉄の宇和島鉄道が建設した路線は国鉄が買収して宇和島線(後の予土線)となり、1953年(昭和28年)に江川崎まで完成していた。これをそのまま窪川まで延長して四国循環鉄道を完成させる「窪江線」の構想と、中村・宿毛を経て海岸沿いに宇和島までを結ぶ構想が対立した。しかし最終的には両者とも建設する方針となり、1970年(昭和45年)に中村線(後の土佐くろしお鉄道中村線)が、1974年(昭和49年)に予土線が全通した。
宿毛線は四国循環鉄道の海岸周りの路線の一環として計画されたもので、宇和島 - 中村間が1962年(昭和37年)3月29日に調査線、1964年(昭和39年)6月25日に工事線となった。発足したばかりの日本鉄道建設公団(鉄道公団)に対して、9月28日に運輸大臣が宿毛 - 中村間について基本計画の指示を行った。1972年(昭和47年)に工事実施計画の認可が行われ、着工は1974年(昭和49年)2月1日となった。当初の仮称駅名は宿毛、平田、有岡、東中筋(国見)、中村で、後に請願駅として東宿毛、工業団地、具同の3駅が追加された。
当初、平田駅付近から有岡駅付近までは、実際に建設された路線よりも1 kmほど北側を経由することが予定されていた。国道56号と2回交差し、東中学校と宿毛工業高校の間を通過する計画であった。しかし中筋川の影響で軟弱地盤となっている地帯を通過することから、1978年(昭和53年)に計画変更された。これと同時期に有岡駅は周辺の開発計画に合わせて起点側(宿毛側)へ120 m移動された。しかしこれに関して軽微な変更として工事実施計画の添付書類の変更として運輸省に報告したところ、工事実施計画の変更として認可を得る必要があるとされ、最終的にはこの変更は1987年(昭和62年)の土佐くろしお鉄道による工事実施計画認可によって承認されることになった。この経路変更により約300 m路線長が短縮された。
しかし、日本国有鉄道(国鉄)の経営悪化が進んだことから、1980年(昭和55年)12月27日に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が施行された。この法律では建設中の地方鉄道新線について、予想輸送密度が4,000 人/日を下回るものについて建設凍結を定めており、これに該当した宿毛線は1981年(昭和56年)10月に工事凍結となった。この時点で宿毛線の工事は用地の46%、路盤の29%まで進捗していた。
国鉄再建法では建設中の地方鉄道新線の第三セクター方式での引き受けが可能であると定めており、1986年(昭和61年)2月8日に地元首長らが宿毛線と阿佐線(ごめん・なはり線)を統一した第三セクターで引き受けることで合意した。同年4月7日に中村線が第三次特定地方交通線に選定され、これの引き受けも行うことで合意されて、5月8日に土佐くろしお鉄道株式会社が発足した。1987年(昭和62年)に宿毛線の鉄道事業免許が交付され、3月12日に工事が再開された。この際の工事施行計画により、宇和島起点54k000mから78k134mまでの工事であったものが、宿毛起点に変更されることになった。
建設再開当初は最高速度100 km/hで計画されていた。しかし高速道路の建設が進展して、高速バスとの競争が見込まれることから、四国旅客鉄道(JR四国)が振り子式の2000系を導入して高速化を図っていたことに合わせて高速化事業を行うことになった。もとより直線主体の線形であったこともあり、緩和曲線の延長や分岐器の改良など小規模なもので済み、計画で2億円、実績で1億8500万円の高速化事業で120 km/h対応とされた。
1997年(平成9年)10月1日に開業を迎えた。