オーフュースMk.805(推力1,815kg)
ブリストル・エンジン社
ブリストル・エンジン社は、もともとは第一次世界大戦以前からあった自動車メーカー、ブラジル・ストレイカー社の後身のコスモス・エンジニアリングという別個の会社だった。1917年に、コスモス社は空冷式星型エンジン開発の依頼を受けた。それは後にブリストル マーキュリーとなる、14気筒の複列のものであった。彼らはこれを1918年に完成させたが、注文はわずかだった。しかしより小型でよりシンプルな9気筒のタイプは大きな成功を収めた。このエンジンはブリストル ジュピターとして知られている。
第一次世界大戦後、軍需が急速に減ったことによりコスモス・エンジニアリングは経営危機に瀕した。航空省はブリストル飛行機がコスモス社を買収するように促した。ジュピターは1920年代を通してアームストロング・シドレー・ジャガーと争ったが、ブリストル社はその設計により多くの力をつぎ込み、結果として、1929年にはジュピターが明らかに優位に立っていた。1930年代には、彼らはスリーブバルブ原理にもとづく新たな星型エンジンの系列を開発し、それは世界で最も強力なピストンエンジンに発達して、1960年代まで販売されていた。
1956年にエンジン部門は「ブリストル・エアロ・エンジン(Bristol Aero Engines)」と名を変えたが、ブリストルの機体製造部門が他社と合併してBACをつくったのと同じように、1958年にアームストロング・シドレー社と合併して「ブリストル・シドレー」となった。1966年、ブリストル・シドレーはロールス・ロイスによって買収され、ロールス・ロイスはイギリス唯一の大規模航空エンジン企業となった。ロールス・ロイスは、ブリストル・シドレーによって開発されたエンジンについてもロールス・ロイス・ブランドで生産することとしたため、オリンパス・ターボジェットエンジンやペガサス・エンジンもみな「ロールス・ロイス」の名を冠することとなった。ブリストルによって与えられた古典的な名称は、イギリスの河川の名前から付けられるロールス・ロイス社の製品の中で、かろうじてその由来を示している。
ブリストル・シドレー オーフュース(Bristol-Siddeley Orpheus)はブリストルエアロエンジンが開発した一軸式のターボジェットエンジンである。フォーランド ナットやフィアット G.91のような軽戦闘機や練習機向けではあるが、後にはオーフュースはホーカー・シドレー ハリアー(別名「ジャンプジェット」)向けのロールス・ロイス社の推力偏向式ターボファンエンジンであるペガサスエンジンの最初のコアに使用された。
名前の由来はオルペウス(オルフェウス)の英語読み。
このエンジンは1952年、フォーランド・エアクラフト社向けの推力5,000ポンド級の練習機や軽戦闘爆撃機向けのエンジンを開発を求められた事に始まる。 スタンレー・ホーカーはロールス・ロイス社での初期の経歴の後、新しい会社を立ち上げて計画を立てた。彼は単純で整備が容易なエンジンをフォーランド ナット用に納入して1955年、飛行した。海面高度での静止推力は4,520ポンド(6,128 N・m)でオーフュース701は1段式のタービンで駆動される7段式の軸流式圧縮機を持っていた。
他のも主に練習機に搭載され、富士重工T-1A、ヒンドスタンHF-24マルートや実験機ハンティング H.126 やショート SB.5(英語版)がある。1957年、 NATOは軽戦闘機のエンジンと機体の設計コンペを行った。オーフュースはエンジン部門で勝ちフィアット G.91RとG.91Tにフィアット製造の派生型が搭載された。
1950年代、多くの会社が垂直離着陸機を開発しようとした。マイケル・ワイボールト(Michel Wibault)はターボシャフトエンジンで4機の大型の遠心式圧縮機を用いて推力を偏向させようとした。 ホーカー社の技術者達はオーフュースで大型のファンを回転させて空気を回転する噴射口から噴射する事を決めた。この実験システムの開発はペガサスエンジンへ繋がる。
オーフュースは1967年、コニストン湖でドナルド・キャンベル(Donald Campbell)によって水上速度記録に挑んだブルーバード K7ハイドロプレーンの動力として使用された。
また、まだ破られていないイギリスでの地上速度記録を樹立した自動車ヴァンパイアにも使用された。