この地は川西航空機姫路製作所跡地である。昭和二〇年(一九四五)六月二二日午前十時三〇分頃、米国B二九爆撃機九機の空爆により一瞬に焦土、死礫の山と化した。川西航空七四名、周辺住民六七名、等三四一名の死者、行方不明一〇名重軽傷三五〇名、罹災者一〇、二二〇名の被害を受けた。又同年七月三日深夜焼夷弾による姫路大空襲により死者一七三名行方不明四名、重軽傷一六〇名、罹災者四五、一八二名の被害を受け市内が焦土と化した。尚当時の人口は一〇七、六四三名であった。私たちは犠牲者の霊を慰めると共に人命の尊厳と平和を希求し、戦爭が地球上からなくなる事を心に念じ平成八年中核都市指定を記念してこれを建立する。
平成九年(一九九七)三月 城東地区連合自治会
基本情報
所在 JR京口駅前ロータリー
住所 兵庫県姫路市城東町字北神屋418-2
(JR京口駅 徒歩1分)
連絡先 都合により記載せず
建立者 城東地区連合自治会
建立年 平成9年3月
姫路空襲(ひめじくうしゅう)は、1945年6月22日と7月3日深夜から7月4日未明にかけて兵庫県姫路市が受けた2度の空襲のこと。
6月22日の姫路空襲
1945年6月22日9時50分ごろ、B-29爆撃機約60機が飛来し、播但線京口駅西にあった川西航空機姫路製作所を中心に約1時間爆撃を続けた。爆撃の目的地である製作所は全壊したほか、周辺の民家や道路、上下水道なども甚大な被害を受けた。製作所にいた徴用や学徒動員、社員など多くの従業員や周辺住民を含めた人的被害は、死者341人、被災者10220人。
アメリカ軍の作戦任務報告書による6月22日の爆撃データ
ミッション217
爆撃日時
1945年6月22日午前9時46分から同10時37分(日本時間)
爆撃部隊
アメリカ陸軍航空軍、第21爆撃集団所属、第58爆撃団
B-29爆撃機数
52機
投下した焼夷弾の種類、量
AN-M64 350.7米トン
計 350.7米トン
姫路大空襲
1945年7月3日16時23分(日本時間)、マリアナ諸島のグアム・サイパン・テニアンの3島4基地から、徳島・高松・高知、そして姫路への爆撃のため501機のB-29が出撃し、硫黄島を経由して、それぞれの都市へと向かった。同日深夜から翌未明にかけての約2時間、姫路市街地全域に焼夷弾が降り注いだ。火の手は姫路駅前から上がり、順次周辺へと拡大、町は火の海と化し、総戸数の40%が焼失。飾磨でも一部が被災した。
死者173人、重軽傷者160人余、全焼家屋約1万300戸、被災者45182人。
姫路城は天守に命中した焼夷弾が発火せずに焼失を免れ、その姿に勇気づけられた被災者もいたようである。
アメリカ軍の作戦任務報告書による姫路大空襲の爆撃データ
ミッション249
爆撃日時
1945年7月3日午後11時50分から翌日午前1時29分(日本時間)
爆撃部隊
アメリカ陸軍航空軍、第21爆撃集団所属、第313爆撃団
B-29爆撃機数
106機
投下した焼夷弾の種類、量
E46 546.6米トン
AN-M47A2 220.5米トン
計 767.1米トン