新幹線200系電車は、かつて日本国有鉄道(国鉄)およびこれを承継した東日本旅客鉄道(JR東日本)が設計・製造・保有した新幹線電車である。1982年(昭和57年)に開業した東北新幹線・上越新幹線の初代営業用車両。
昭和57年(1982)の東北新幹線および上越新幹線の開業に合わせて、昭和55年(1980)に登場。東海道新幹線の青帯に対して、緑帯を配色し、耐雪・耐寒性を向上させたのが特徴です。
東北・上越新幹線で開業から長らく活躍した200系新幹線電車の222形パンタグラフ付き先頭車「222-35」は、平成18年(2007)10月からさいたま市大宮区の「鉄道博物館」に登場当時を想わせるオリジナル塗色の姿で展示されています。
200系は、1982年(昭和57年)の東北新幹線および上越新幹線の開業に合わせて、962形試験車を基本として量産化され1980年(昭和55年)に発表された。100系(1985年登場)よりも発表が早いにもかかわらず系列・形式番号が200系と大きいのは、200系の登場当時の付番体系が、東北・上越新幹線系統の車両の百の位には偶数を、東海道・山陽新幹線系統の車両の百の位には奇数を与えるようなものだったためである。1980年から1986年にかけて688両が製造された後、民営化後の1991年に二階建て車両12両が追加製造され、総製造数は59編成700両である。
E2系以降の新型車両の増備により、1997年から廃車が進み、2013年(平成25年)3月15日限りで定期営業運転を終了し、同年6月までに全車が廃車となった。なお、本系列の廃車によって国鉄時代に製造された新幹線電車が本線上から全て姿を消している。
構造
200系は落成時の営業最高速度に従って番台が区分された。具体的には、1980年から製造された基本番台は営業最高速度が210km/hであるのに対し、1983年以降に製造された1000・1500・2000番台では、いずれも240km/hとなっていた。 なお、基本番台の中にも240km/hおよび275km/hの走行対応が可能なように改造された車両が存在していた。
車体
200系の先頭車には、2種類の前面形状のものがあり、一つは国鉄時代に製造された0系に似た「丸目丸鼻」(ラウンドノーズ)のもの、もう一つは国鉄分割民営化後に製造された100系に似た「流し目」(シャークノーズ)のもの(200番台、2000番台)である。なお、0系に似た先頭車の運転席の側窓は、0系2000番台と同じく開閉可能な状態で製造された。また、200番台は225形もしくは226形中間車からの改造車、2000番台は新製車である。
200系の設計は、正面から見た造形デザインの類似や基本的なサイズ等は0系ベースであるものの、特徴的な曲面を描くスノープラウ・「鼻」の部分が若干伸びていること・雪対策のされた吸気口と雪切り室の空間、といった目立つ造形上の違いだけでなく、実際には以下に述べるように大幅な変更がある。まず第一に雪対策として、0系では床下機器の凸凹に張り付いた雪が凍りつき氷塊となった後に落下して砕石を跳ね上げる等のトラブルがあったことから、車体下部まで一体のボディーマウント構造の2重床構造とし、床下機器は2重床の間にある。これによりトラブルを根絶すると同時に、車輛システムとしては耐雪・耐寒性を向上させ。そのような構造で0系同様の鋼製車体とすると、重量が過大となることから、アルミ合金製である。詳細には、試験車の951形がベースであり、構体骨組は加工性や溶接性に優れた7N01(Al-Zn-Mg)を、車体外周部には耐食性に優れた5083(Al-Mg)を、車体側面部から屋根にかけての曲線部には7N01よりも押し出し加工性に優れた7003(Al-Zn-Mg)を使い分けることで、構体重量7.5t(0系比3tの軽量化)を実現した。ただし後年登場した2階建て車両(248形・249形)は、製造コストや電動機非搭載の観点から普通鋼製となった。
電動機を冷却する際に、外気とともに取り込んだ雪を分離するために、雪切り室が設けられた。先頭部のスカートはスノープラウと一体化した形状である。豪雪地帯を走ることから、線路面上に積雪があっても支障なく走行出来るよう設計され、確認試験も行われた。
車体塗装は、クリーム色をベースに窓の部分に緑14号の帯を配した。この色使いは寒冷地を走行するため雪解けの新芽のイメージから選んだとされている。登場時には「緑の疾風(みどりのはやて)」の愛称があった。
走行機器
主回路制御は0系の低圧タップ制御に替えて、架線からの交流25kVを主変圧器の2次巻線を不等6分割(1:1:2:2:2:2)し、それにサイリスタと呼ばれる半導体素子とダイオードを取付けたブリッジ(整流回路)を取付けて、6分割構成としたサイリスタ・ダイオード混合ブリッジとし、電圧比1の巻線のブリッジをサイリスタによる位相制御とし、他の巻線のブリッジはオン・オフ制御によるバーニア制御の位相制御とすることにより、2次巻線の6分割のブリッジを10分割のブリッジに相当する位相制御とし、それにより整流・制御された直流電源で主電動機を駆動するバーニア連続位相制御が採用されている。
MM'ユニットを採用し、M車(221形・225形)には主制御器と抵抗器が、M'車(222形・226形)には主変圧器・整流装置・補助電源装置・空気圧縮機・集電装置が搭載される。
主制御器は、電動カム軸式である CS47 を採用する。発電ブレーキにおいて抵抗器を使用したバーニアチョッパ制御が行われるため、転換カムと抵抗カムのほかにフリーホイールダイオードや過飽和変流器を搭載する。保守点検が必要となるカム接触器や電磁接触器を機器前面に、コイルや抵抗器を後面に配置し、重量は940kgである。
主変圧器は、送油風冷式外鉄形である TM202 を採用する。一次巻線は2,350kVA、主回路用の二次巻線は2,100kVA、補助電源回路用の三次巻線は250kVAの定格容量を備える。シリコーン油とポリアミド絶縁物を主体とする特別A種絶縁を採用することにより、TM201(0系)と比較して容量比で64%の小型・軽量化がなされ、ボディーマウント構造や耐寒性材料の採用により耐寒耐雪対策が図られている。また、点検する部品を車体の一側面に集中させて向けることで保守や点検を容易化を図り、ボディーマウント内の空気を冷却用として使用している。
主電動機は、直流直巻式電動機 MT201 を採用する。連続勾配や降雪時の走行抵抗増加対策で連続定格出力が 230kW に増強され、冷却方式を雪切り装置による他力通風方式に変更した[8]。他力通風方式を採用することで冷却ファンが不要となり、スペースを活用して鉄心を20mm延長することで MT200B(0系)と同寸法ながら出力を向上させた。さらに、長さ68mmの長尺ブラシを採用して摩耗代を長くとり、軸受構造には第2グリース室を設けて潤滑寿命を長くすることで無保守走行距離の延を図っている。
台車
電動車台車はDT201、付随車台車はTR7002と呼称され、電動車は0系と同等のものを装着する。着雪による動作不良を防ぐために、バネ部分にカバーが装着されている。
ブレーキは、電動車では0系と同じく発電ブレーキを高速域での減速に使い、低速域では空圧油圧変換式ベンチレーテッド車輪ディスクブレーキを使用する。H編成組成時に新製された2階建て車両の248・249形は200系唯一の付随車であったが、同じく付随車2階建て車両を有していた100系とは異なり、渦電流ブレーキを設置せず、ディスクブレーキを車軸に2枚設置した。
IS式軸箱支持装置、枕バネは0系と同様に採用された。
運転台
主速度計は0系が針が横に動くアナログ指針式であったが、本系列では、LEDランプが横に向かって点灯するバーグラフ式となり、0系と同じく右奥に故障した際に使用されるバックアップの補助速度計が配置されているが、補助速度計は格納式となっており、前方視野を妨げないよう常時使用しない場合においては収納され、必要な場合のみ横にある取出しハンドルを操作することで、バネの力で上昇する仕組みとなっている。車両故障が発生した場合には、0系がユニット表示灯と呼ばれる表示装置により、列車のどの車両に異常が発生したかを表示灯で確認してから、人間がその車両まで行き故障個所に対処しなければならなかったのに対し、本系列では、運転台にいながらにして故障表示や必要な各種情報を表示するとともに機器の遠隔解放ができるシステムが装備された。日本の鉄道車両では初めて運転台に単色プラズマキャラクタディスプレイによるモニタ支援装置を装備した。9.6kbpsのFSK (Frequency Shift Keying) モデム伝送によるもの。ドットマトリクスによる片仮名・アルファベット・数字のみを、8行×33文字(合計264文字を同時に表示可能)で表示していた。
たとえば走行中は、2行目に「ウンテンジョウタイ」、4行目に「TIME 00:00:00 キロ 12.2」、5行目に「SPEED 206 ノッチ B 3 」、6行目に「ATC 110 ジョウヨウ * 」7行目に「カイホウ」などのように表示されていた。
これらは21世紀初頭の現在においても通用する設備であり、乗務員の作業が大幅に軽減された。
車内設備
普通車の座席は0系と同様の海側3列、山側2列の合計横5列配置で、0系で試行されたオレンジ基調の簡易リクライニングシート (D-23, D-32) が採用された。本系列では座席前後間隔は980mm、3列座席は集団離反で回転出来ないものとなった。後年、モケットは交換された。
1987年(昭和62年)に登場した200, 2000番台は100系と同じ1,040mm間隔となり、フリーストップ式のリクライニングシート、3列座席も回転出来るようになった。ただしこの200, 2000番台は先頭車のみで、当時、中間車は3列座席回転不可能だったため、格差が生じていた。
後年、JR東日本は3列席を「本体部のみ回転」させる方式を考案した。これは両端の手すりを残して回転させるもので、座席間隔を広げることなくフリーストップのリクライニングシート化を実現させた。まずは1990年(平成2年)にH編成の中間車のうち、指定席普通車となる車両を座席交換し、さらに該当車両は拡大した。なお、この方式は西日本旅客鉄道(JR西日本)も0系で採用した。
後述のK編成リニューアルに関しては、簡易リクライニングだったものに関してはE4系と同等品に交換された。普通車の3列座席も全体が回転する構造となっているが、両端のひじ掛けを曲げる、背すりを鉛直にするなどの工夫で座席間隔980mmのまま回転可能とした。既に「本体部のみの回転」だったものに関してはモケットの張り替えのみが行われた。
空調機器は多雪地域・寒冷地を走行する事から冷房専用のAU82形となり屋根上の車体端部に設置した、暖房は電気ヒーターを別に使用した。これは、0系のAU56・57 (ヒートポンプ式)では比較的温暖地の東海道・山陽でも暖房能力が不足気味であった事から変更された。
222形 (M’c)
普通席を備える制御電動車。奇数各形式とペアを組んで使用される。八戸・新潟向き運転台を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。先頭形状は221形と同じ。1991年以降、-25, 26, 30, 34, 35, 1001 - 1003, 1501 - 1510, 1512, 1515, 1517, 1518には400系もしくはE3系との併結用に分割・併合装置が先頭に納められている。
222-35(E35→F56編成12号車→K11編成8号車→K31編成10号車)
埼玉県さいたま市大宮区の鉄道博物館に保存されており、車内や床下が見学できる。また、併結用連結器の展開・収納も実演されている。
新幹線200系電車
G45編成 大宮駅
G45編成 大宮駅
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
製造所 川崎重工業・近畿車輛・東急車輛製造・日本車輌製造・日立製作所
製造年 1980年 - 1986年・1991年
製造数 700両
運用開始 1982年6月23日
運用終了 2013年3月15日(定期運用)
2013年4月14日(臨時運用)
廃車 2013年6月
投入先 東北新幹線・上越新幹線・長野新幹線(現・北陸新幹線)
主要諸元
編成 8両(8M/ G・K編成)
10両(10M / G・K編成)
12両(12M/ E・F・H編成)
13両(12M1T / H編成)
16両(14M2T / H編成)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流25,000V 50Hz
(架空電車線方式)
最高運転速度 210 km/h(E・G編成)
240 km/h(F・K編成)
245 km/h(H編成)
275 km/h(F90 - F93編成)
設計最高速度 250 km/h
起動加速度 1.6 km/h/s
減速度(常用) 2.6 km/h/s
編成定員 749名(K編成10両・先頭車1500番台売店無)
895名(F編成12両・先頭車1500番台)
1,235名(H編成16両・先頭車2000番台)
885名(E編成12両・全車基本番台)
いずれも組成方法や組込み車両の相違により総定員は多少異なる
編成重量 697 t(F編成)
編成長 250.3 m(10両K編成)
全長 25,150/26,050 mm
25,000 mm(中間車)
全幅 3,380 mm
全高 4,470 mm
車体高 4,000 mm
車体 アルミニウム合金
普通鋼(248・249形)
台車 IS式ダイレクトマウント空気ばね台車
DT201(電動車)
TR7002(付随車)
主電動機 直巻整流子電動機MT201形
主電動機出力 230 kW
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 2.17
編成出力 12,880 kW(16両H編成)
11,040 kW(E,F,12・13両H編成)
9,200 kW(10両G,K編成)
7,360 kW(8両G, K編成)
制御方式 サイリスタ連続位相制御
制動装置 発電ブレーキ(チョッパ連続制御)・電気指令式空気ブレーキ
保安装置 ATC-2型、DS-ATC
Wikipedia laurier W.png第23回(1983年)
ローレル賞受賞車両