車掌が乗務していた最後の車両。登場時は3000型と名乗っていた。最大30両が在籍し、行き先表示が大きいものと小さいもの。運転手側のドアが自動ドアのものと手動のものなど微妙に仕様の違うものが存在した。
ほぼ全路線で使用されていたが、500型と同様高馬力なため、坂道の多い3系統生麦=東神奈川駅前=横浜駅前=御所山=長者町5丁目=山元町)、7系統で使用されることが多く、特に本牧線廃止以降は1300型は3系統専用車両となったため、全廃の1年前3系統の廃止に伴い廃車となった。このため、3系統廃止時には、通常1500型で製作されていた装飾電車が1300型(1301号・1303号)で製作された。
終戦直後の1947年(昭和22年)に汽車会社で製造された3扉車です。
全長は約14m・定員は120名
戦後混乱期における輸送力の確保を目的に製造された車両で、戦後初めて製造された大型ボギー車となった。全長13.6mと1000型よりも大型化されており輸送力向上に貢献したが、物資が不足していた時代に製造された車両であり、製造当初は比較的簡素化された車両も存在していたようである。当初は3000型という形式がつけられていたが、翌年に1300型へと改番されている。1947年中に一挙に30両が製造されており、大型車体を駆使することで復興期の輸送に一役買っている。
尚、1300型と同形の車両は大阪市電や西鉄にも導入されており、同車は戦後間もなくの時期を代表する車両と言っても過言ではない。1961年以降には車体更新が行われ、ウィンドヘッダーの一部撤去や戸袋窓にHゴムが用いられるなど体質改善がなされた。
ただし同車はワンマン化対応はなされず、路線縮小と同時に廃車が進み1971年までに全車両が廃車された。尚、ツーマンのまま存置された車両の中では最も遅くまで活躍した車両となっている。現在は1311号車が市電保存館に静態保存されている。
地方の路面電車が都電のスタイルを真似をすることが多かったようですがこの電車は大阪市電1700形に良く似ています。
旧形式は3000型でしたが、戦前製の2600型(=後の1200型)があったので、それに続けて付番したようです。