2サイクルエンジン、50CC、3馬力。スイスのパルカ社から技術導入し、国産で初めて実用化された折りたたみ式のタランク型ポータブルスクーター。
シートは2人乗り用。持ち運びできるようになっていたが、重量は43KGあり、もと抱えるには大変。当初は輸出専用車として製造されたが国内でも価格49,000円で一部販売された。
20年後の1981年に同じアイデアで、ホンダから50CCのモトコンボが発売された。
平野製作所(ひらのせいさくしょ)はかつて日本に存在したモペッド、スクーター、織機、アイスクリームストッカー等を製造するメーカー。
1920年2月に愛知県名古屋市中川区に織物機械のメーカーとして創業。(1940年7月に株式組織に変更。)
1930年代に入るとオート三輪の製造にも少数ではあるが着手している。
1953年にスクーターの製造も始め、ヒラノポップC28-60を発表。
1954年にはC28-60のモデルチェンジであるC29-60と100ccのヒラノポップ100を販売した。
1955年にはヒラノポップポニーCP、ヒラノモペットST1を販売した。
1956年には165ccのヒラノポップ165と121ccのヒラノポップマンリーCMを販売。
1957年には121ccのヒラノマンリーFNと80ccのヒラノポップポニー80を販売。
1958年にはヒラノポップマンリーFNの一部の車種にバッテリーフラッシャーを追加。
1959年にはヒラノポップマンリーFNの標準装備とした。
1960年には175ccのヒラノポップマンリーFEの他、フランス、バルモビルスクーターを参考に海外輸出用として生産した日本初の折り畳みスクーター、ヒラノバルモビル50を発売した。
1961年10月には名証2部に上場。その後繊維業不況が起こったため資金繰りが悪化し、1962年10月に銀行取引停止処分を受けて倒産。