ブルー・リッジはフィラデルフィア海軍造船所で1970年11月14日に就役した。
海軍の指揮統制機能を持つ同艦は200名を超える士官および1,200名以上の兵員が生活でき、小さな町と同等の機能を有する。
1971年2月11日、艦長ケント・J・カーロール大佐の指揮下ブルー・リッジは処女航海に出航、マゼラン海峡を経由して母港のカリフォルニア州サンディエゴに向かった。
1971年から1979年までブルー・リッジはサンディエゴを母港とし、第7艦隊の揚陸部隊旗艦として西太平洋に展開した。
ベトナム戦争中の1972年6月28日にはグエン・バン・チュー南ベトナム大統領がアメリカ海軍将官との会議のため乗艦した。
7月18日にはタイガー島での活動に対して戦闘行動章が与えられた。また、8月9日にはベトナムでの作戦活動に対して戦闘効率章が与えられた。
1973年にも北ベトナム海域での支援活動に対してベトナム戦役メダルが与えられた。
1975年4月のサイゴン撤退では多くの功績を挙げ、グエン・カオ・キ元南ベトナム副大統領の脱出にも貢献し優秀部隊勲功章および海軍部隊勲功章を受章した。
1979年10月以来ブルー・リッジは第7艦隊旗艦として神奈川県の横須賀港を母港としている。ブルー・リッジは毎年西太平洋およびインド洋での訓練演習に参加している。同艦は湾岸戦争時、砂漠の盾作戦および砂漠の嵐作戦に旗艦として9ヶ月半参加した。
ブルー・リッジはしばしば日本、香港、シンガポール、インドネシア、マレーシア、タイおよびオーストラリアを含む西太平洋およびインド洋の港を訪問している。1989年と2004年には中華人民共和国の上海を訪れた。また1996年と2003・2006年にはロシアのウラジオストクを訪問している。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に際しては、シンガポールから補給物資を日本に向けて輸送した。