1951 Mercury coupe
エンジン:4184cc 馬力:112hp
マーキュリー(Mercury )はアメリカのフォード・モーター社が1938年から生産していた自動車のブランド名。最終的にはアメリカ合衆国、メキシコ、プエルトリコ、アメリカ領ヴァージン諸島、中東のみで展開されていたが、一般向けは2010年10月3日に最後の1台であるマリナーの生産が終了し、レンタカー向けも2011年1月4日に最後の1台となったグランドマーキーが生産ラインを離れ、70年以上にわたるブランドの歴史に幕を閉じた。
フォード・モーター社のラインナップにおいて、大衆車ブランドのフォードと高級車ブランドのリンカーンの中間に位置づけられた、中級~準高級カテゴリーの車種であった。ブランド名の由来はローマ神話に登場する商業神メルクリウスの英語名にちなんだものである。1930年代に至るまで、フォード・モーターには大衆車のラインナップを担う「フォード」、そして高級車のラインナップを担う「リンカーン」の2ブランドしか存在しなかった。しかしフォード・モーターのライバルのゼネラルモーターズ(GM)は、中級車だけをとっても「ビュイック」、「オールズモビル」、「ポンティアック」の3ブランドを擁しており、対GM戦略上、フォード・モーターも新たに中級車ブランドを立ち上げる必要に迫られていた。
無論フォード・モーターも中級車市場の伸びに手をこまねいていたわけではなく、GMが『廉価なキャデラック』というスタンスで製造・販売していた「ラサール」への対抗車種として「リンカーン・ゼファー」を投入するなどの対策は取っていたが、GMのビュイックが「40型」というモデルの投入によって全米4位にまで上りつめたという事態を受け、フォード・モーターも中級車市場対策に本腰を入れるべく新車種の投入を決断する。
フォード・ブランドの上級ブランドとしてスタートしたマーキュリーは次第にリンカーン・ブランドの弟分的性格を強めていき、第二次世界大戦中の民生用自動車製造中止の時期を経た1945年に、フォード・モーターの社内でマーキュリーとリンカーンの両部門が統合され、『リンカーン・マーキュリー部門』となった。
1950年代の好景気を元に販売台数を伸ばす中、1958年に新車種「エドセル」が独立ブランドのもとに発売され、『マーキュリー・エドセル・リンカーン部門』になったが、1960年のエドセルの発売中止に伴い、当時のフォード2世会長の指示のもと、再び『リンカーン・マーキュリー部門』に戻り、この体制がブランドの廃止まで続いた。マーキュリーはその長い歴史の中で、『フォード・ブランドの兄貴分』という性格と『リンカーンの弟分』という性格の間を揺れ動き続けていたが、やがてマーキュリーはフォード・ブランドとの明らかな違いを打ち出せなくなり、販売不振に悩むことになる。マーキュリーは1993年に48万台以上の売り上げを達成していたが、その後2000年代に入り売り上げの下落が続き、最盛期の半分を割る20万台にまで売り上げが落ち込んだ。1999年にはカナダ市場から撤退し、アメリカでも2007年末に最後のマーキュリー専売ディーラーが閉店してリンカーンとの併売ディーラーのみとなった。2010年時点でマーキュリーブランドのラインアップは4車種にまで減った。
このような状況からマーキュリーブランドの廃止がたびたび囁かれていたが、2008年7月にフォード・モーターは小型車に注力する新戦略を発表し、その中で北米地域ではフォード、リンカーン、マーキュリーの3ブランドを引き続き維持するとしていた[1]。また、フォード・フォーカスと同じグローバル・コンパクトカー・プラットフォームをベースとする新しい小型車を、2011年初めにマーキュリーブランドで発表する計画もあった[2]。しかし、2010年6月2日、フォードはマーキュリーブランドを閉鎖し、フォードブランドおよび今後拡大を図るリンカーンブランドに注力することを正式に発表した[3]。2010年10月3日に、一般向け最後の1台である「マリナー」をカンザスシティの工場で完成させた。アメリカ政府やアメリカ海軍、レンタカー会社向けに少数のマーキュリーモデルの製造が続いたがそれも短期間で、2011年1月4日午前7時46分、グランドマーキー・アルティメート・エディションの最後の1台がカナダ・セントトーマス工場を後にしたことで、ブランドの歴史に幕を閉じた。