三条駅(さんじょうえき)は、京都府京都市東山区にある、京阪電気鉄道の駅。駅番号はKH40。京都市営地下鉄東西線の三条京阪駅と連絡しており、また周辺地域は「三条京阪」と呼ばれる。
駅名
地下鉄開業以前から、バス停の名称や地域名として「三条京阪」と呼ばれている。PHP研究所によれば、これの由来は「三条通の京阪前」に由来するとのことで、京阪の三条駅から転じたものではない。
「三条京阪」は周辺の地名ではなく、京都と大阪とを結ぶ京阪本線、および京都と大津とを結んでいた京津線との乗換駅であり、京阪の京都市内のターミナル駅でもある三条駅前のことを、三条通京阪前と呼んでいた事に由来する。なお、京阪の駅名は三条駅となっており「京阪」を冠しない(ただし、定期券、駅ビルの看板は「京阪三条」となっている)。
待避設備を備えた島式2面4線のホームを持つ地下駅で、京都市の中心部にある七条駅 - 出町柳駅間では最も規模が大きい。改札・コンコースは地下1階、ホームは地下2階にある。改札口は北改札と中央改札の2か所。地下1階の改札内には京菓子などの土産店、イスとテーブルが置かれた飲食物の自動販売機コーナーがある。
身障者対応エレベーターは中央口南側2基設置され、コンコース地上間は南北2つの駅ビルの中に設置されている。このほか、地下鉄東西線・三条京阪駅のエレベーターも使用可能である。北改札口内のトイレには階段があるが、車イス使用可能な多目的トイレは中央口改札内に設置されている。また、地下鉄東西線の三条京阪駅とは、地下1階(コンコース階)の改札外の連絡通路で結ばれている。
駅ホームのカラーリングは東海道五十三次の終点・大阪ビジネス街とを結ぶ古都の玄関口・そのにぎわい、華やかさにふさわしい染めの伝統色「うすあけ(ピンク)色」が採用された。七条駅 - 出町柳駅の「京都地下駅の色彩計画」が、平成4年2月15日 - 第7回『公共の色彩賞-環境色彩10選』(主催「公共の色彩を考える会」(財)日本色彩研究所)に選ばれ、表彰状のレプリカがコンコースに設置されている。
のりば
番線 路線 方向 行先
1・2 ■鴨東線 上り 出町柳行き
3・4 ■京阪本線 下り 中書島・枚方市・淀屋橋・中之島線方面
鴨東線開業後は、奇数番線(1番線と3番線)を主本線、偶数番線(2番線と4番線)を待避線にする配線となった。なお、現在もすべてのホームが四条方からの進入・出発に対応している。
出町柳方に引き上げ線が1本設置されている。定期列車では平日朝の当駅止まりの普通2本と準急1本と一部の回送列車が使用するほか、京都競馬場での競馬開催時や正月ダイヤなどで運行される当駅止まりの臨時列車でも使用される。
2016年3月19日のダイヤ改正で、上り(出町柳行き)の一部列車で緩急接続が逆(快速特急「洛楽」・特急・快速急行が2番線、普通・準急が1番線)になっていたが、2018年9月15日のダイヤ改正で上り急行以上の種別は全て1番線を発車するようになった。
全ホーム8両編成の停車が可能。発車メロディが導入されている。
モニュメント
駅のコンコース階には「鴨川ピラー」(富樫実作、三条北ビル前)」・「朱甲面」(清水九兵衛作)・「牡丹」(山口華揚作)などのモニュメントが設置されていた。このうち「時代祭行列絵図」(西協友一作、中央改札口付近)は、京阪特急(8000系電車)2階建車両の側面デザインにも採用されていた。なお、当駅は時代祭行列コースの最寄り駅の一つとなっている。
けいはんインフォステーション
コンコースに設置された駅事務室を兼ねた総合案内所。地下1階の中央改札口近くに位置する。京阪電車と京阪バスの案内。京阪バスの場合は京阪バス三条案内所でも対応している。
列車運行管理システム、ADEC(自立分散式運行管理システム)の19駅ある各信号取り扱い駅の1つで駅制御装置が配置され信号機やポイントの制御から駅の案内放送や行き先表示まで自動化されている。災害対策として防災管理盤により駅設備は常時監視されている。万が一の火災発生時には防火防煙シャッターの制御・排煙機の運転、避難路確保のための自動改札機の開放、火災発生表示機の点灯・運転指令所への通報が自動またはワンスイッチでおこなえる。地下駅の構内でも警察無線や消防無線が使えるように無線通信補助設備や防災電話などが完備されている。また水害対策として川端通西側の出入り口には床板が起き上がる止水板が設置されている。このほか地下施設には三条受電変電所が設置されていて関西電力荒神口変電所より送電された交流60Hz77KVの電気を直流1,500Vに変換して電車線に送電するだけでなく10,000KVAの変圧器2基で交流6,600Vに変圧して当駅だけでなく周辺の地下駅施設・信号機などに送電している。また停電時に備え1000KVAのガスタービン発電機が2基設置されている。さらに2015年、駅構内の照明設備がLEDに更新された。これは一般社団法人「低炭素社会創出促進協会」からの補助金の交付を受けての事業で併せて出町柳-七条間の地下線の照明、清水五条駅・七条駅もLED照明化されたことにより年間100万kwhの電力量削減をみこんでいる。1949年までは京津電気軌道の三条大橋駅も隣接していた。京津電軌は京阪と合併し、1949年には三条駅として統合されている。1987年には京津線は京津三条駅として分離したが、京都市営地下鉄東西線の開通により京津線の三条 - 御陵間が廃線となり、京津三条駅も廃止されている。京都市電の駅こそなかったが、京都市街地の重要なターミナル駅の一つである。かつては、京阪電気鉄道の京都におけるターミナル駅であることを強調するため、「京都三条駅」「三条京都駅」と呼称していたこともあった。2017年頃から大阪府内の駅の発車標などにて「[京都] 三条」の表記を再開している(正確には「京都」の部分が四角囲み)。1951年(昭和26年)の地図では、駅名が「けいはんさんじょう」と表記されるなどした例もみられる。
当初は京津電気軌道(後の京阪京津線。廃止)の三条大橋駅として開業し、そこに琵琶湖疏水と鴨川に挟まれた堤防上を北上してきた京阪本線の終点として三条駅が開業、その後の京阪による京津電軌の吸収合併で両者が統合されるという経緯を辿った。なお、京阪本線五条 - 三条間は元来京都市電気局の軌道法に基づく特許線であり、京阪本線はその特許を借用して路線を開業したことから、特許借用期限切れの前後には特許返還を求める市会の一部勢力への対抗措置として京津線との一体性を強調する運輸施策が行われるなど、京阪本線五条 - 三条間存続のために様々な方策が採られた。地上時代には京阪本線が鴨川と琵琶湖疏水に挟まれた立地、しかも用地の所有権が軌道特許を保有する京都市側にあったがゆえに地形の自由な改変が出来なかったことなどから、特に京阪本線ホームの設置には様々な制約が存在した。そのため、疏水上に橋梁構造の基礎部を架設してその上に駅舎を設置し、さらに4番線ホームを鴨川に張り出して設置するなど、様々な制約の下で可能な限りの面積を確保した、特異な配置となっていた。のちに1番線ホームが設置された琵琶湖疏水を渡る線路がもともとの本線で、2-4番線は側線であった。また、60型「びわこ」号が走行した京阪本線と京津線の連絡線は1923年(大正12年)にはすでに完成していた。連絡線は京阪本線の優等列車速度向上で直通列車が廃止された後も残されていたが、1969年に撤去された。しかし、その痕跡は京津三条廃止まで長く残された。当駅は長年にわたって京阪本線系統の終点および大津方面へ連絡する京津線の起点であることから両線の乗り換え駅として、また隣接する三条京阪バスターミナルから洛北方面への乗り換え駅として、京都市内の交通網において重要な役割を果たしてきた。だが、年間乗降客数では京都市内有数の繁華街である祇園や四条河原町に挟まれた立地の祇園四条駅が常に上回っており、鴨東線開業以降は新たな終点となった出町柳と大差ない乗降客数で推移している。
利用可能な鉄道路線
京阪電気鉄道
京阪本線 - 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面
鴨東線 - 出町柳方面
京阪本線の終点かつ鴨東線の起点となり、実際に当駅で折り返す運用が少数残っているものの、基本的に両線は当駅を介して一体のダイヤが組まれているため、事実上折り返し可能な途中駅として取り扱われている。
京津線 - 琵琶湖(びわ湖浜大津・坂本比叡山口・石山寺)方面
長らく京阪本線とは改札内で直接乗り換えることが出来たが、1987年(昭和62年)に京阪本線が地下化し、改札外乗り換えで京津線のみしばらく地上に残っていたが1997年(平成9年)には地下鉄東西線に三条 - 御陵間の区間を譲り、京津線の三条 - 御陵間は地下鉄東西線として事実上地下化し、以降京津線は地下鉄東西線経由(地下鉄 三条京阪駅)で三条に乗り入れることとなった。
なお、ほか路線の駅とは地下通路で連絡している。
京阪大津線の各駅から京阪本線系統の各駅へ切符で行く場合は、三条京阪駅まで購入し、乗り換え駅である当駅から再び切符を購入しなければならない。また、車内においての放送で三条駅からの乗り換え案内の際、「地下鉄東西線と京津線 琵琶湖方面はお乗り換えです」との案内も行っている。
京津電気軌道(後の京津線)が三条大橋東詰の場所に三条大橋駅(後の三条駅)を開業したのが始まり。
1987年の京阪線ホーム地下化に際し、地上駅のまま取り残された京津線の三条駅(以下、京津三条駅)との旅客の接続にあたっては上下移動を伴っていたことから、接続時間にある程度の余裕を持たせるよう微調整が行われた。これは基本的に、日中を中心に大阪方面からやって来た京阪線特急が四宮駅折り返しの京津線普通と、京阪線急行が浜大津駅発着の京津線準急と接続するダイヤが組まれていたが、正確には「京阪線特急と京津線準急との連絡時分調整」を目的としたものであった[43]。浜大津方面からの京津線電車は当駅到着前に、地下にある京阪線の駅へは改札外乗り換えとなる旨を案内していた。平日夕ラッシュ時に京津線も10分間隔になると、大阪方面から到着した京阪線特急から浜大津行き準急へ約5 - 6分の待ち時間で連絡できる時間帯もあり、淀屋橋駅から浜大津駅の間は1時間14分、さらに石山坂本線に乗り継いで坂本駅までは1時間32分、石山寺駅までは1時間35分でそれぞれ到達できた。なお京阪線の各駅、および鴨東線開業後は叡山電鉄各駅から大津線への(連絡)乗車券も発売していた。
地下化から鴨東線開業までは1番線が急行、2番線が普通(淀屋橋行き)、3番線が普通(宇治行き)、4番線が特急と平日夕ラッシュ時の普通(淀屋橋行き)が使用していた。京津三条駅には定期券の発売所がなく、購入は地下のコンコースにある売場まで行く必要があった。なお、この売場では現在も京津線や地下鉄東西線に乗車できる一部の企画乗車券(「湖都古都・おおつ1dayきっぷ」「京都地下鉄・京阪大津線1dayチケット」)を取り扱っている。ほかに嵐電にも乗車可能な、「京都嵐山・びわ湖大津1dayチケット」も発売されている。
1985年4月22日ダイヤ改正から平日朝夕に限り、淀屋橋駅 - 樟葉駅間の急行で8両運転が開始されたが、当駅を含む八幡市駅以東の急行停車駅は地下線開業までホームの8両対応改築が見送られていた。なお、地下線開業と同時に既設の駅もホームの改築が行われ、1987年6月1日より京阪線全線での急行8両運転が実現している。
1912年(大正元年)
8月15日 - 京津電気軌道(現在の京津線)の三条大橋駅が開業。場所は三条通上にあった。
12月13日 - 三条大橋 - 三条間に特許が下りる。
1915年(大正4年)10月27日 - 京阪電気鉄道の三条駅開業。
1917年(大正6年)5月29日 - 三条大橋 ‐ 三条間が単線開業。
1922年(大正11年)12月28日 - 京阪電気鉄道・三条駅の拡張工事完了。
1923年(大正12年)2月20日 - 京津電気軌道の三条大橋 - 三条間が複線開業し、三条駅東側に移転(のちの京津三条駅)。
1925年(大正14年)2月1日 - 京津電気軌道が京阪電気鉄道に合併され、同社京津線となる。
1934年(昭和9年)9月21日 - 室戸台風で停電、運休。24日京阪線運行再開、27日京津線運行再開。
1935年(昭和10年)
6月29日 - 鴨川水害、京阪線ホームが破損・隣接する三条大橋も倒壊流失。
7月2日 - 京津線仮復旧、運行再開。
7月3日 - 京阪本線仮復旧、運行再開。
1939年(昭和14年)‐ 京阪線3連化に伴い、琵琶湖疏水を渡る本線を単線化し、1番線を設置。
1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
1949年(昭和24年)
10月31日 - 午前9時15分停車中の車内でアセチレンガス発生器が爆発、土木課社員1名即死・乗客1名軽傷。
11月1日 - 京津線の三条大橋駅を京阪本線三条駅と統合。
11月30日 - 三条総合駅竣工。
12月1日 - 会社分離により再び京阪電気鉄道の駅となる。
1951年(昭和26年) - 駅中店舗がオープン。
1955年(昭和30年)10月17日 - バスセンター拡張工事竣工。
1958年(昭和33年)7月15日 - 南口バスセンター改良工事竣工。
1960年(昭和35年)8月30日 - 台風16号による鴨川の増水で川の上に張り出したホームの一部が落下。
1961年(昭和36年)3月1日 - 駅改札内に「のれん街」開業。
1963年(昭和38年)
4月8日 - 駅構内に「味のれん」開業。
4月15日 - 旧字体の「三條」を新字体の「三条」に表記変更。
8月20日 - ホーム屋根、その他改造工事竣工。
1966年(昭和41年)4月1日 - 三条変電所が竣工、使用開始。京阪初の無人変電所。
1968年(昭和43年)7月7日 - 4番線竣工。
1969年(昭和44年)11月6日 - 京阪本線と京津線をつなぐ連絡線を撤去。
1981年(昭和56年)9月7日 - 1番線使用停止。
1983年(昭和58年)1月 - 京阪本線地下化工事の進展に伴い高山彦九郎像を移設して、そこに仮駅舎を設置使用開始。
1987年(昭和62年)
4月1日 - 京津線の三条駅を京津三条駅に改称。
5月24日 - 京阪本線三条駅地下化。京津線と分断。
7月15日 - 未明に発生した集中豪雨により浸水事故、終日運休。
1988年(昭和63年)9月1日 - 地下駅が終日全面禁煙化される。
1989年(平成元年)
3月29日 - 地下化工事で移設されていた高山彦九郎像が工事前の三条駅前に戻される。
10月5日 - 京阪鴨東線(三条 - 出町柳間)開業。京阪本線と京阪鴨東線との相互直通運転開始。事実上途中駅となる。
1994年(平成6年)3月21日 - 京阪線の駅事務所にて、ファクシミリサービス開始。
1997年(平成9年)
10月12日 - 京津線京津三条 - 御陵間廃止により京津三条駅廃止。京都市営地下鉄東西線に三条京阪駅が開業し、連絡駅となる。
12月19日 - 京阪駅に車イス用渡し板を配備。
1998年(平成10年)8月9日 - B1Fコンコースに京阪交通社の運営する「ぷらCafe」営業開始。
2003年(平成15年)
7月14日 - 京津三条駅跡地に新たに建てられた複合商業施設「KYOUEN」がオープン。
8月 - B1Fコンコースにインフォーステーションを新設。
2004年(平成16年)
1月24日 - コンコースにATM設置使用開始。
5月31日 - 京津線の京津三条駅跡地が整備され、駅前広場の使用が開始。
2007年(平成19年)
6月22日 - 機械式駐輪場「エコステーション21 三条KYOUEN」運用開始。
7月9日 - 自動定期券発行機の導入により定期券うりばを廃止。
11月23日 - B1Fコンコースにコンビニ「アンスリー」とベーカリーショップ「志津屋」がオープン。
2009年(平成21年)10月31日 - 「のれん街」リニューアルオープン。
2010年(平成22年)
4月14日-6月30日 - 地下コンコースで『京阪電車開業100周年記念パネル展』を開催。
6月 - 無人レンタサイクルステーション「まちかどミナポート京阪三条ステーション」運用開始。
7月5日 - 機械式駐輪場「エコステーション21 京阪三条東」運用開始。
7月22日 - バイク専用駐輪場「三条KYOUENバイク駐輪場」運用開始。
2014年(平成26年)6月26日 - 京阪駅ホームに異常通報装置設置使用開始。
2015年(平成27年)
日時不明 - 駅ホーム・地下コンコースの照明がすべてLED照明に更新される。
7月1日 - 京都市が駅前を「放置自転車の撤去強化区域」に指定。
11月16日 - インフォメーションセンターに定期券販売所を設置。
2016年(平成28年)
3月15日 - 事故情報などをリアルタイムに知らせる「旅客案内ディスプレー」を設置。
3月19日 - ダイヤ改正で日中の普通電車の運用が無くなり、準急・特急のみ停車する時間帯が生まれた。
5月29日 - 「KYOUEN」が全店閉店。
2017年(平成29年)
6月30日 - 定期券売り場の営業を終了。
9月14日 - コンコースに外貨自動両替機を設置、運用開始。
三条駅
さんじょう
Sanjo
◄KH39 *祇園四条 (0.7km)(1.0km) 神宮丸太町* KH41►
所在地 京都市東山区三条大橋東詰
北緯35度0分32.81秒 東経135度46分20.19秒
駅番号 KH 40
所属事業者 京阪電気鉄道
所属路線 ■京阪本線・鴨東線**
キロ程 京阪本線 - 49.3km(淀屋橋起点)
鴨東線 - 0.0km(三条起点)
電報略号 三(駅名略称方式)
駅構造 地下駅
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度- 35,225人/日
-2017年-
開業年月日 1912年(大正元年)8月15日***
乗換 地下鉄東西線(三条京阪駅)
京津線(浜大津方面)
備考 * 祇園四条方 - 京阪本線
* 神宮丸太町方 - 鴨東線
** 両線は直通運転
***京阪線の開業は1915年(大正4年)10月27日
1997年の地下鉄東西線開業に伴う路線廃止までは京阪京津線も発着していた(ただし、京阪本線が地下化された1987年以降は「京津三条駅」として改札外連絡)