状態:カットモデル 上屋無
塗装悪い
第2・第3動輪とその上方部、炭水車の後半分が取り払われている。客車オハ61 1030と並べられている。
所在地:JR九州小倉総合車両センター
小倉工場製造、九州内のみで活躍した機関車。
車歴;
1941-01-24製造→納入;国鉄;D51542→
1941-01-29配置[門鉄達57];大里→
1941-02-04配属;門司局→
1941-07-14直方→
1941-10-24鳥栖→
1945-11-17出水→
1951-07-29借入;人吉→
1951-08-09返却→
1955-08-01現在借入;南延岡→
1970-10-22若松→
1970-01-06全検→1974-05-07休車→
1974-07-23小倉工場廃車上申[小工機334]→
1974-08-20廃車[工車569];若松→
D51形蒸気機関車(D51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。
主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。
この他に、台湾総督府鉄道向けに32両、胆振縦貫鉄道(1944年(昭和19年)に国有化)向けに5両(再掲)が製造され、戦後はソビエト連邦サハリン州鉄道向けに30両、台湾鉄路管理局向けに5両、朝鮮戦争における国連軍向けの標準軌仕様機が2両製造されており、製造総数は1,184両に及ぶ。また、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に1両(200号機)が継承され、翌1988年(昭和63年)には東日本旅客鉄道(JR東日本)で1両(498号機)が復籍し、この2両が動態保存されている。JR東日本の498号機は復籍後の初仕業で来日中のオリエント急行を牽引して復活、西日本の200号機は2017年(平成29年)に山口線のSLやまぐち号で、本線運転に復帰した。
現場の機関士にも操作性の良さから人気があり「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。また、「デコイチ」という愛称もある。