因美線の美作河井駅です。快速は1日1往復のみ停車する駅で、岡山県津山市加茂町山下にあります。
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1999年10月にCTC化されるまでは、当駅が岡山支社と米子支社の指令上の境界駅と位置づけられていました。CTC化以前から一貫して、当駅の設備は岡山支社管内となっています。
駅構造はホーム1面1線を有する地上駅。かつては島式ホーム1面2線と駅舎側に留置線1本を有する合計1面3線の駅だったが、急行「砂丘」の廃止時に駅舎から見て最も奥にある線路を本線とし、他の2線は本線から分断され、停留所となりました。これらの線路の一部は撤去されています。
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現在は棒線駅のため、津山方面行きと智頭方面行きの双方が同一のホームより発車いたします。
駅舎とホームは構内踏切で連絡している(但し跨ぐ線路は本線から分断された線路であるため、今となってはただの通路となっている)。津山駅管理の無人駅であり、自動券売機や乗車駅証明書発行機は設置されていません。
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駅の南西には、かつてラッセル車の向きを変えるために使用されていた手動の転車台が存在しました。使用されなくなって以降は土中に埋まっていましたが、2007年4月に掘り起こされました。この転車台は2009年2月に近代化産業遺産の認定を受けています。
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1931年(昭和6年)9月12日 - 因美南線 美作加茂駅~当駅間延伸により開業。当初は終着駅であった。
1932年(昭和7年)7月1日 - 当駅~智頭駅間が開通(因美線全通)、途中駅となる。
1997年(平成9年)11月29日 - 無人化、棒線化。
1999年(平成11年)10月2日 - CTC化。
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所属路線 ■因美線
キロ程 48.5km(鳥取起点)
電報略号 カイ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 22人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1931年(昭和6年)9月12日
備考 無人駅
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駅の周辺(構内)に矢筈城跡、説明看板がありました。(矢筈城跡保存会)
矢筈城は高山城ともよばれ、戦国時代に美作国と因幡国にかけて勢力を有した草刈氏の築いた城で、岡山県内では最大級の山城であるとのこと。天文元年(1532)に衡継が築いた山城で、以後、景継・重継の三代の居城となりました。標高756メートルの山上に設けられた主郭は全国屈指の高さにあり、山麓との比高差は426メートルという険しい山上に位置する要害城である。
矢筈城主草刈氏は毛利氏に属して尼子氏、ついで織田信長の命を受けて中国攻めの陣を進めた羽柴秀吉と戦った。その間、草刈氏は美作の強豪として美作北部に勢力を保持した。ところが、毛利氏の処遇に不満をもった景継は織田方の誘いに心を動かされ毛利陣営から離脱しようとしたが露見、景継が毛利氏に粛清されたのちは弟の重継が当主となり果敢に羽柴勢に抗戦を続けた。本能寺の変を契機として毛利氏は秀吉と和睦、天正十二年 吉川元春の命を受けて矢筈城を開城するまで一度も落城することはなかった。