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零式艦上戦闘機二一型(A6M2b)

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零式艦上戦闘機の派生型(れいしきかんじょうせんとうきのはせいがた)では、太平洋戦争を通して大日本帝国海軍(以下、海軍)の主力戦闘機として生産された零式艦上戦闘機

当時の日本の軍用機の名称は採用年次の「皇紀」の下2桁を冠する規定があり、零戦の制式採用された1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、その下2桁の「00」から「零式」とされた。


「零戦」と略され「れいせん」「ぜろせん」と呼ばれる。このうち「ぜろせん」と読むことについて「戦時中、英語は敵性語として使用を制限されていたから『ぜろせん』と読むのは誤り」「“ゼロファイター”の和訳が戦後に一般化した」と言われることがあるが、戦時中の1944年(昭和19年)11月23日付の朝日新聞で初めて零戦の存在が公開された際には「荒鷲 などからは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されていることから、「れいせん」「ぜろせん」どちらの呼称も誤りではない。

 

零式艦上戦闘機図面集   海軍航空技術廠 原書房

 


当初、発動機の換装は一号、二号、機体の改修は一型、二型と表されていた(○○式○号艦上戦闘機○型)が、1942年夏に連続した二桁の数字(最初の桁が機体の改修回数、次の桁が発動機の換装回数を示す)で示すように変更されたため、既存の一号一型/一号二型は一一型/二一型と改称、二号零戦/二号零戦改と仮称されていた新型零戦は三二型/二二型と命名された。後に武装の変更を示す甲乙丙を付与する規定を追加。
連合軍が零戦に付けたコードネームはZeke(ジーク)だが、パイロットからは直訳調のZero Fighter(ゼロファイター)やZero(ゼロ)と呼ばれた。ただし三二型は出現当初、それまでの二一型とは異なり翼端が角張っていたためか別機種と判断され、Hamp(当初はHap)というコードネームが付けられた。

零戦二一型(A6M2b)
真珠湾に向け赤城を発艦する零戦二一型
二一型は一一型を基に空母への搭載を前提として本格的に量産された型である。一一型同様、採用当時の制式名称は「零式一号艦上戦闘機二型」だった。零戦の翼幅12mは空母のエレベーター寸法を考慮して決められていたが、実際に運用してみると不都合が多く(翼端がエレベーターに当たるため斜めに載せなければならないなど)[、翼端を50cmずつ折り畳める機能が追加された他、一一型では省略されていた着艦フックや無線帰投方位測定器といった艦上機用装備も追加された(着艦フックや無線帰投方位測定器は一一型の後期生産18機も装備または装備可能になっている)。

真珠湾攻撃を始めとする太平洋戦争の緒戦に実戦投入され、その長大な航続距離と卓越した運動性能、20mm機銃2挺の大火力はアメリカ軍に衝撃を与え、当時の日本軍の快進撃と相まって多くの零戦伝説を生み出すこととなった。開戦直前に起きた下川事件の対策として主翼強度を増す設計変更が行われた結果、採用当初には509.3km/hだった最高速度が533.4km/hにまで向上している。生産数は三菱製が740機、昭和19年春まで生産された中島製(ライセンス生産)が2,821機であった。

型名 零戦二一型
機体略号 A6M2b
全幅 12.0m
全長  9.05m
全高 3.53m
翼面積 22.44m²
自重  1,754kg
正規全備重量  2,421kg
発動機  栄一二型(離昇940hp)
プロペラ ハミルトン定速3翅 直径2.90m
最高速度 533.4km/h(高度4,550m)
上昇力  6,000mまで7分27秒
実用上昇限度 10,300m
降下制限速度 629.7km/h
航続距離 全速30分+1,433km(正規)/全速30分+2,530km(増槽あり)
武装 九九式一号20mm機銃2挺(翼内・携行弾数各60発)
九七式7.7mm機銃2挺(機首・携行弾数各700発)
爆装 30kg爆弾2発又は60kg爆弾2発
試作機完成 1940年7月

 

HOBBY MASTER 1/48 零式艦上戦闘機二一型 日本海軍第十二航空隊 3-116 完成品 【スケール】1/48   ホビーマスター(Hobby Master)

 


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