魚雷調整プール 人間魚雷 回天 大神基地
魚雷調整場施設の一部にあり、回天を巻揚機にて、このプールに沈めて水漏れ等を検査していた。コンクリート製の構築物で回天1基がちょうど収納できる長さとなっています。
大神基地で最も面積の大きい魚雷調整場は基地の中心部に位置し、建物上屋は現存していませんが、コンクリート製の基礎の一部と擁壁の一部が残っています。
大神基地跡には、地下格納壕、魚雷調整場、変電所、浄水場プール等の跡が残っている。日出町では旧魚雷調整場横に回天の実物大レプリカを設置したことを皮切りに周辺跡地の整備を進め、2015年より回天大神訓練基地記念公園として公開されている。
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往時、基地内にあった回天神社は、大神基地跡付近の住吉神社境内に遷座し、回天の電動縦舵機(ジャイロ部分)、発停装置、燃焼器推進軸受等の部品が御神器として祀られ、回天の1/3模型や九三式魚雷機関が奉納されている。
人間魚雷「回天」は大東亜戦争(太平洋戦争)末期、日本の敗戦が濃くなる中、海軍によって考案され、昭和19年(1944)に山口県の大津島に最初に回天基地が設けられました。戦局の悪化とともに回天は決戦兵器としての役割が期待され、乗員の確保が急務となります。そのような状況下で、昭和20年(1945)に大神訓練基地が造られ、4月25日に「大神突撃隊」が開隊しました。
大神基地で訓練された搭乗員や整備員は、8月3日に愛媛県西海町に第21突撃隊第11回天隊として配備されが、出撃することなく8月15日に終戦を迎え解隊しました。
回天神社と基地遺構群回天慰霊祭
水雷壕、回天格納庫、実用頭部格納庫の横穴が残る小山には、回天神社があります。この神社は、当初大神突撃隊庁舎内に祀られていましたが、終戦後の昭和21年 (1946)に元隊員の懇願により住吉神社の境内に遷座されました。現在の神殿は平成13年(2001)に新築され、その横に回天の3分の1模型と海中より引き上げられた九三式魚雷後部が展示されています。
回天神社には、全国の「回天」搭乗員や整備員など1073名もの戦没者が祀られており、開隊日の4月25日には毎年慰霊祭が行われています。
平成26年には「回天実物大模型」が魚雷調整プール跡のそばに設置されました。翌年の平成27年4月には、実物大模型周辺が公園として整備され、「回天大神訓練基地記念公園」が竣工しました。記念公園は、駐車場・公衆トイレ・四阿(あずまや)などを備え、基地跡を見学される方の利便性に寄与しています。
平成28年5月、平和への祈りを込めて「青年像及び母妹像」(町内在住の彫刻家・辻畑隆子氏の作)が記念公園内に建立されました。
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