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九三式魚雷三型

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九三式魚雷三型(艦艇用、炸薬量を 780 kg に増加したタイプ)
全長 : 900 cm
直径 : 61 cm
重量 : 2,800 kg
射程 : 36 kt で 30,000 m、48 kt で 15,000 m
弾頭重量 : 780 kg

酸素魚雷(さんそぎょらい)とは燃料の酸化剤として空気の代わりに、空気中濃度以上の酸素混合気体もしくは純酸素を用いた魚雷である。
日本において単に酸素魚雷といった場合、第二次世界大戦中、唯一実用化され運用された大日本帝国海軍の九三式魚雷もしくは九五式魚雷を指すことが多い。
ロング・ランス(Long Lance、長槍)という愛称も知られているが、これは戦後にサミュエル・モリソンがつけた物である。

第一次世界大戦以後の魚雷の推進動力は、燃料と酸化剤である圧縮空気を搭載してエンジンを回す内燃機関型(熱走式)と、電池による電気モーター型(電気式)に大別される。前者は高速かつ長射程(航続力大)だが、多量の排気ガスの気泡が魚雷の航跡に明瞭な白線(雷跡)となって浮かび上がり、魚雷の存在も、撃ってきた方位も露見しやすい欠点がある。後者は雷跡が無いが、熱走式に比して出力が低く速力・射程とも劣ると、一長一短がある。
酸素魚雷は熱走式で圧縮空気に替えて純酸素を使用したものである。これにより排気ガスの成分はほぼ炭酸ガスと水蒸気のみとなる。蒸気は言うに及ばず炭酸ガスも海水によく溶けるため、酸素魚雷は雷跡をほぼ引かないという、電気式に準じる隠密性が特徴である。また、通常の熱走式よりも燃焼効率が大きく向上したことで速力(雷速)・航続力もさらにパワーアップした。純酸素の使用で多くの利点が得られることは広く知られていたが、激しい燃焼反応のため機関始動時などに容易に爆発するという技術上の問題点が立ちふさがっていた。そうした中、日本は1933年(昭和8年)、世界に先駆け酸素魚雷の開発に成功。以降、大戦を通じて唯一の酸素魚雷運用国となった。実用化にこぎつけたのは日本以外ではイギリスのみであった。そのイギリスも、純酸素ではなく、酸素を増加した、空気魚雷と酸素魚雷の中間のようなものである。
酸素魚雷は当時の他国魚雷の水準に比して、雷速と炸薬量で優り、射程は数倍、加えて航跡の視認が困難という高性能なもので、それによって戦争で連合軍の艦艇は多くの損害を被り、1943年に鹵獲されるまで連合軍は魚雷について知らなかった。一方で、酸素魚雷の整備性は良好とはいえず誤爆を防ぐために充分なメンテナンスを要し、また、速すぎる雷速の為、船底爆破用の磁気式の信管が使用できず、接触式信管を採用せざるをえないなどの短所もあった。後に日独技術交換により大日本帝国海軍からドイツ海軍へも試験供与されたが、戦略的位置付けの違いもあり、整備性の悪さなどからUボートでの使用には適さないと判断され、採用されていない。
第二次世界大戦以後の魚雷は、主として整備性を向上させた他方式のものが採用されている。しかしソビエト海軍では主力魚雷として電池式と酸素式の2方式を配備し、ロシア海軍でも酸素魚雷の運用が継続されている。これらは、第二次世界大戦で鹵獲されたドイツ魚雷の系譜を引いたものである。ドイツ製魚雷の改良型であるET46は電池式、採用1946年(昭和21年)、射程6km、速力31kt、炸薬450kgであった。冷戦初期のSAET55Mは電池式、音響誘導、採用1955年(昭和30年)、射程6km、速力29kt、炸薬300kgである。冷戦末期のUSET80は新型電池式(銀・亜鉛式、充電保存期間1年)、対潜対艦併用アクティブパッシブ音響誘導式航跡追尾機能、採用1980年(昭和55年)、射程18km、速力40kt、炸薬300kg、作戦深度1,000m超の信頼性と静粛性をあわせ持つ高性能電池式の魚雷であった。より高速で長射程な56-65Mはケロシン・過酸化水素タービン式、アクティブ音響誘導式、採用1969年(昭和44年)、射程12km、速力68.5kt、炸薬307kg、作戦深度2mから14mである。
過酸化水素式の魚雷には特有の整備性の悪さ(原潜クルスクの爆沈等、事故の多発)があるため、新型のケロシン・酸素タービン式が開発され使用されている。
また、海上自衛隊でも試製54式魚雷で電池式を採用したものの、72式長魚雷では酸素式を採用している。これらの魚雷は過酸化水素(過酸化水素をヴァルター機関の燃料として利用している魚雷もある)を使用しており、これらは大日本帝国海軍が装備した、酸素ガスを高圧充填していた魚雷とは世代が異なるものである。

九三式魚雷は酸化剤として酸素を使用する魚雷で、酸素魚雷として知られている。本魚雷は1933年に制式採用された。九三式という名称は皇紀2593年の末尾2桁数字による。この魚雷は、酸素と石油燃料を使用して強力な機関出力を得られたため、炸薬重量の大きな弾頭を搭載でき、高速かつ長射程を得ることができた。本魚雷は重量が2.8トンから3トン近くあり、弾頭の炸薬は480kgを搭載する。エンジン推力は64kgfである。この出力は全重3トン近い魚雷を速度52ノット (96km/h) で走行させる。出力発揮は13分45秒間にわたり、射程は22kmに達する。大日本帝国海軍は九三式魚雷の最大性能仕様を、公的には速度42ノットで射程11,000mと発表していた。これは速度で実際より10ノット遅く、射程は実際の半分である。本魚雷の動作中の排気はほぼ二酸化炭素で、排気の気泡による航跡を消し去った。この特性から日中の発見は困難だった。しかし全ての魚雷に共通する欠点として、熱帯の海で夜戦に使用した際には、魚雷の高速水中走行により夜光虫が発する仄かな光の航跡が発生することは不可避だった。
九三式魚雷は直径61cmの水上用魚雷で、40ノットの高速でも30km以上の射程を持つ優秀な魚雷であった。主に駆逐艦に搭載され、搭載する駆逐艦には空気から酸素を抽出する、酸素生成用の空気圧縮機が搭載されていた。魚雷に酸素が使用されていることは極秘事項であったため、防諜上の理由から酸素は『特用空気』『第二空気』と呼ばれた。九三式魚雷を含む、日本製魚雷は実施部隊での信管の調整が可能とされており、現場では「不発にしたくない」という意識から衝撃尖を過敏に設定していたことが多く、それはしばしば目標に命中する前に自爆する「早爆」を招いた。第三次ソロモン海戦においては重巡「愛宕」、「高雄」が最良の射点から発射した九三式魚雷が戦艦「ワシントン」に命中直前の位置まで達したが、ワシントンの航跡波(縦波、P波のこと)による衝撃で駆走中に早爆をおこした例があった。命中していればワシントンに甚大な損害を与えたことが予想されたため、設計部門の担当者はこの信管の調整機能をつけたことを「最大の痛恨事」と回想した。
戦歴では、九三式魚雷の10,000m以遠での発射は、目標艦船が魚雷が接近するまでの数分間を直進するときにのみ有効だった。この10,000mを時速52ノット (96km/h) の酸素魚雷が走るには6分15秒を要する。こうした条件としては、重巡洋艦隊が戦場を高速で離脱してゆく駆逐艦隊を全速で追跡するとき、また水面下の潜水艦に照準されたまま、航空母艦が予定進路どおり航行する状況等がある。これは1942年の南太平洋の戦場で有効性が実証された。

九三式魚雷の射程と速度の設定例
22,000m / 52ノット
33,000m / 41ノット
40,400m / 36ノット
日本海軍は従来、瀬戸内海、広島県・呉市の阿賀南・大入で魚雷実験を実施していた。しかし1933年に長射程の九三式魚雷が登場し、生産魚雷の海軍領収時の発射テストのため、さらに大きな場所が必要となった。その後、1937年ごろにはすでに、発射試験場は同じ瀬戸内海、広島県の隣の山口県・徳山市の大津島が使われていた。この射場からは四国に向けて十分な直線走行距離がとれた。この基地は後に回天の母港となった。
純粋酸素を使用するための技術
頼惇吾技術少将は戦後しばらく経過したころ、この九三式魚雷について執筆説明した。
九三式魚雷の最大の課題は、内蔵された2気筒機関が始動する際の燃焼制御である。始動時にいきなり純粋酸素を使えば、爆発事故が発生する。「燃焼を制御しつつ、純粋酸素を使用する」装置が酸素魚雷を成立させた秘密であった。九三式魚雷では、始動初期の酸化剤に比較的低圧の空気が用いられた。空気から酸素への遷移状態においては、混合器に送られる純粋酸素の割合を次第に増加した。燃焼は激しくなるが、気筒内の燃焼状態は制御状態にあり、制御不可能な爆発的燃焼は発生しない。機関の運転が定常状態に移行すると、空気は完全に酸素におきかわる。機関は純粋酸素で燃料を激しく燃焼して最高出力状態となる。

九三式魚雷には、純粋高圧酸素に満たされた主気室、結合弁、小さな13リットルの圧縮空気室があり、この結合バルブは逆流を防止している(不帰弁)。そして圧縮空気タンクは調圧器(圧力調整器)を通して燃焼室に導入される。起動時は、通常空気による穏やかな燃焼でスタートし、安定して作動する。圧縮空気が消費されて圧縮空気タンクの圧力が低下するにつれ、結合弁を通して酸素が主気室から圧縮空気室に供給される。圧縮空気タンクはすぐに全て酸素で満たされ、その後は最後まで酸素による猛烈な燃焼が継続する。

この魚雷は慎重な取り扱いを必要とする。九三式魚雷を装備する軍艦はこの型の魚雷を使うために酸素発生器を装備する必要があった。

九三式魚雷の構造詳細
大日本帝国海軍、呉海軍工廠の水雷設計技手だった赤城良三(海軍技手養成所16期、1943年当時は魚雷実験部および第二水雷部兼務)はノンフィクション作家のインタビューに答え、彼の戦時中のノートを使って実際の九三式魚雷の構造・仕様動作を詳細に説明した[8]。

九三式魚雷の内部構造は魚雷先端から弾頭、気室、前部浮室、機関室、後部浮室、尾部舵、二重反転推進器に分けられる。

気室
主気室の殻の厚さは12mmである。九三式魚雷は長さ9mで直径61cmだが、この第2空気または高圧酸素の主気室は3.48mの長さがあり、魚雷全長の3分の1以上を占める。この主気室は魚雷の弾頭部と後部を接続している。機密名「第1空気」は機関を始動するために使用される。第1空気は初期圧力230気圧の高圧に圧縮された通常の圧搾空気のことで、13.5リットルの圧縮空気室に満たされている。機密名「第2空気」または酸素は強力な駆動力を生み出すために使用される。酸素の初期圧力は225気圧で、ニッケルクロームモリブデン鋼(戦艦の防御装甲用に開発された粘り強い特殊鋼)の合金ブロックを機械切削、くり抜きマシニング加工して製作された980リットルの主気室に満たされている。そして圧縮空気タンクは、比較的低い10気圧程度の一定圧力に保つ調圧器(圧力調整器)を通して混合室に接続されている。混合室では、酸素と石油燃料との混合気が生成され、そして燃焼室に導入される。
機関室
魚雷の外部殻は厚さ3.2mmの鋼板(後部のみは1.8mm)で、防水溶接されている。機関部の鋼板は、馳走中に機関の冷却のため、意図的に機関室に水が浸入するように工作されている。九三式改1魚雷は、灯油を燃料とする2気筒斜板機関を装備している。この機関には、機密名「第2空気」(実際には純度98%の酸素)を使う。空気の代りに酸素を使うので馬力があり、高速・長射程で重い弾頭を搭載できる。しかし、空気配管の内部にわずかでも油分が残っていると簡単に爆発事故をおこしてしまう。この配管の整備は九三式魚雷を運用する際には最重要だが、厄介な業務である。事前の整備でバルブと空気配管から油分を完全に除去するには4日から5日を必要とする。酸化剤に酸素を使用する機関を実戦運用中、という事は日本海軍では最高機密だった。酸素という言葉は禁止用語とされた。混合気は燃焼室に注入され、爆発がピストンを押し下げて1本のメイン・ドライブシャフトを回転駆動する。
前部・後部浮室
容量40.5リットルの制御用空気タンクがあり、魚雷の縦舵(垂直舵)や横舵(昇降舵)を制御する。これらの舵は横舵用深度計と縦舵用ジャイロスコープで制御され、高圧空気で操舵される。操縦用の制御空気タンク(操縦用気畜器)は230気圧の圧縮空気で満たされている。深度計は水面下の走行深度を制御する。魚雷は、手動で馳走深度を5mに設定される。水平走行用深度計は水面下の走行を一定深度に保つよう横舵を制御する。
尾部舵
尾部の縦舵計は、縦舵機用ジャイロスコープにより自動操舵して魚雷の進行方向を目標方向に制御する。ジャイロスコープは魚雷を目標に導き、後部発射管から逆方向に発射された魚雷でも回頭させて前方の目標に命中させることも可能である。これらの尾部縦舵と横舵は制御空気で制御される。ジャイロスコープは魚雷を発射するときに回転し始める。九三式魚雷のジャイロは直径15cm、厚さ7cmから8cmの分厚い円盤で、毎分8,000回転している。しかし、九三式魚雷が軍艦が35ノット以上の最高速度で疾走する状態から発射される状況に対応するには、このジャイロスコープの回転速度では問題があった。
二重反転推進器
機関室から伸びるドライブシャフトには傘歯車が付いており、二重反転式推進器を回転させる。プロペラは4枚羽根であり、この一方は時計回り、もう一方は反時計回りに駆動する。二重反転推進器を使用することで回転トルクを打ち消し、魚雷の推進方向を安定させている。
回天での技術的改善
回天では、ジャイロスコープの回転は圧縮空気駆動から電動になり、その回転速度は20,000回転に改善された。九三式魚雷の炸薬量は480kgである。これは長門型戦艦の装備した16インチ主砲の1t砲弾に匹敵する炸薬量だったが、回天ではこの炸薬量は3倍以上の1.55tに増加された。九三式魚雷1発の破壊力は、アメリカ艦隊型軍艦を沈没あるいは大破させるに十分な威力を戦歴で示している。一方、アメリカ海軍は大戦終盤の1945年6月、洋上攻撃を受けたイ367潜から発進した振武隊の回天1基が駆逐艦に命中したことを認めたが、九三式魚雷の3倍以上の炸裂火薬量をもつ回天の確実な命中を受けたにもかかわらず沈まなかったと主張した。

九三式魚雷は長さ9.61mだが、回天では14.75mに延長された。九三式魚雷の重量は約3tだが、回天では8.3tに増加した。九三式魚雷は水深20mの耐圧があれば十分だったが、回天は潜水艦の外部に搭載されるため、水深80m(潜水艦の深度限界の100mに近い)まで耐えるよう補強された。九三式魚雷は、最大速度52ノットで射程22,000mだが、回天は速度30ノット (55.6km/h) で航続距離23km、速度10ノット (18.5km/h) で航続距離78kmに変更された。回天は水面直下かつ低速での安定した走行性能をもつよう改善された。これは誘導を搭乗者による潜望鏡からのきわめて狭い視界によったためである。


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