富士山麓電気鉄道モ1形電車
富士山麓電気鉄道モ1形電車は、富士急行の前身である富士山麓電気鉄道が1929年(昭和4年)の路線(現在の大月線)開業に合わせて日本車輌製造本店で新造した電車である。
全長15m、前面非貫通の両運転台の電動車である。新造当初は2個パンタグラフであった。開業時に1 - 5の5両が新造された。開業後、形式記号がモからモハに変更され、1942年(昭和17年)に日立製作所で増備された7, 8はモハ1形となっている。
6は、モ1形と同様に開業時に用意された日本車輌製造本店製の電動貨車モワ1形(1)である。1934年(昭和9年)には、旅客車の必要から小手荷物三等合造車に改造され、モハニ6形(6)となった。同車は1941年(昭和16年)に車体を2m延長のうえ全室三等車に改造され、モハ1形に編入(番号不変)された。
1952年(昭和27年)および1953年(昭和28年)に1 - 6は、従来の車体を廃棄し、日本車輌製造東京支店で17m級の新造車体に載せ替えられ、モハ500形(501 - 506)となった。これは、車体の老朽化というよりも、車体の大型化による輸送力増強を図ったものと考えられる。
1953年11月には、日本車輌製造東京支店で509が新製されている。
1961年(昭和36年)に501 - 504は近代化改造を受け、前面に貫通扉が設置されたほか、車内照明の蛍光灯化、ドアエンジンの取り付けが行われた。座席は観光輸送対応のためクロスシートとされた。また、一部は片運転台化され、両運転台車はモハ3600形、片運転台車はモハ3630形と改称された。形式称号は改造初年が昭和36年であることにちなむ。モハ3630形は、末尾番号の同じクハ3660形(旧クハニ800形)と編成を組んだ。番号の新旧対照は、次のとおりである。
501 - 504 → 3631, 3601, 3602, 3632
近代化改造は、1964年(昭和39年)および1966年(昭和41年)にも行われたが、工事内容は簡略化され、座席はロングシートのまま据え置かれた。改造は、日本車輌製造東京支店で施工された。形式称号は、1961年施工車と同じモハ3600形、モハ3630形である。番号の新旧対照は、次のとおりである。なお、3604は旧モハ600形(603)で、本系列とは出自を異にする。
505, 506, 509 → 3633, 3634, 3603
1977年(昭和52年)に導入された5200系への走行機器供出や5700形への代替により、1994年(平成6年)に事業用として残されていた3602, 3603を最後に全車が廃車、解体されている。
一方、車体載せ替えの対象から外された7, 8は、車体はそのままで507, 508に改番された。両車は1969年(昭和44年)に側扉と側扉間の窓を全て埋められ、荷物車モニ100形(101, 102)に改造された。荷物輸送や事業用貨車の牽引、また扉間の側板を利用した「広告車」としても使用されていたが、1982年(昭和57年)の荷物輸送廃止に伴い廃車された。
1の車体について
なお、1は501に改造したときに発生した旧車体が上田丸子電鉄へ譲渡され、クハ251→モハ4257となっている。同車は1983年(昭和58年)に廃車された後、富士急行が引き取り、創業60周年記念企画として製造時の姿に復元した上で河口湖駅前に静態保存されている(但し、パンタグラフは上田時代の1個のままである)。ちなみに、この時の台車は東急デハ3450形3458のものが使用されている。