津軽要塞(つがるようさい)は、津軽海峡を守備範囲とした大日本帝国陸軍の要塞である。
津軽要塞は津軽海峡を防備するために新たに設けられた要塞である。
日露戦争中の明治38年5月19日、山縣有朋の提案をきっかけに明治42年策定の要塞整理案で前身の旧函館要塞の備砲の撤去が進み、1916年(大正5年)には御殿山第一砲台及び薬師山砲台を廃止した。
大正8年の要塞整理案により津軽要塞が新規に設置される。昭和に入り竜飛崎砲台及び汐首岬砲台及び大間崎砲台を完成させて、1927年(昭和2年)には旧函館要塞を吸収する。
ワシントン海軍軍縮条約で解体された戦艦伊吹の主砲も転用され、津軽海峡の封鎖が可能となった。
また新設砲台への軍事物資や兵員輸送目的で戸井線(五稜郭駅-湯の川駅-戸井駅)、大間線(下北駅-奥戸駅、大畑線はその一部)の建設が急がれた。
太平洋戦争が始まり各地の要塞が軍に隷属すると、津軽要塞も1943年(昭和18年)2月5日軍令陸甲第10号により北部軍に編入され、その後1944年(昭和19年)3月16日大陸命第967号により第5方面軍戦闘序列に編入され第5方面軍隷下となった。
室蘭の防備も担当し、津軽要塞重砲兵連隊の第3中隊を配置していた。同中隊は後に第8独立警備隊に編入され、建設中の室蘭臨時要塞に展開して室蘭の防備に当たったが、1945年(昭和20年)7月の室蘭艦砲射撃では射界と射程の関係で何の反撃もできなかった。その他、北海道空襲などに際して、津軽要塞各部隊は対空戦闘を実施している。
津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡
津軽海峡防備のために昭和12年に砲台が築かれました。津軽要塞重砲兵聯隊は北部軍(昭和十九年より第五方面軍)の直轄部隊で、津軽海峡の防備を担っていました。竜飛崎砲台には十五センチ砲四門が配備されました。
現在、砲や砲台跡は破壊されほとんど残っていません。観測所と第二砲座の一部、付属施設の一部が残るのみです。
海軍の遺構としては監視所と無線通信所がありましたが、これも望楼以外の施設は残っておらず、望楼も埋没処分されています。
観測所の下側に第一、第二砲座がありました。第二砲座のコンクリートの一部が残っています。合計4つの砲座が並んでいました。
津軽半島
陸軍施設
竜飛崎砲台 - 45式15cmカノン砲4門で射程26200m。昭和11年10月竣工
津軽要塞隷下部隊
昭和18年2月5日軍令陸甲第10号により北部軍に編入された時の隷下部隊
津軽要塞砲兵連隊(宮沢文雄 中佐:昭和17年5月22日 -)
独立高射砲第31大隊
函館陸軍病院
昭和19年3月16日大陸命第967号により第5方面軍戦闘序列に編入された時の隷下部隊
津軽要塞重砲兵連隊(宮沢文雄 大佐:昭和17年5月22日 -)
独立高射砲第31大隊(堀口喜平 少佐:昭和19年8月22日 -)
独立歩兵第285大隊(松崎重二 大尉)
独立歩兵第290大隊(浦喜之衛見 大尉)
第1要塞歩兵隊(小堀鍵治 大尉)
第2要塞歩兵隊
独立野砲兵第36大隊