大久野島に太平洋戦争中、旧陸軍造兵廠火工忠海製造所が置かれたことにより電力を供給する為に1929年に建てられた発電所です。
ガスの本格的製造が開始される頃になると電力不足が心配され、火力発電所は増築される事となりました。第二発電室は第一発電室よりも大きく、発電機も高出力の物が設置されていました。建設時は外壁を迷彩色に塗装され、目立たないように工夫されていました。軍事施設が建設されて間もない頃、火力発電所は2階建ての小さな建物であったが、毒ガスの製造が本格的になるにつれ、より多くの電力を必要とした為、側面に3階建ての大規模な建物が増設され、現在の姿となった。
発電場に隣接する旧ポンプ室。
重油炊きのディーゼル発電所で、当初は240V発電機3台、1933年には3300V発電機3台、さらに1934年には2台を増設し、計8基態勢でした。戦時中は発電機の燃料となる重油の供給が困難となり、本州から海底ケーブルを介して島へ電力供給を行っていました。戦後、8基のディーゼルエンジン発電機は全て進駐軍に接収されフィリピン等へ送られました。
戦局が悪化して毒ガスの生産を縮小した1944年からこの発電所は通常の兵器を作る工場になりました。作られていた兵器は「ふ号作戦」と言う名目での風船爆弾でした。
朝鮮戦争時には米軍が弾薬庫として使用。検査工室と発電所入口でもあるトンネル入口、発電所本体の正面には「MAG2」と書かれている。
「MAG」とは、弾薬庫を意味する「Magazine(マガジン)」の頭文字3文字から取られた略号です。