伊予市駅は、愛媛県伊予市米湊にある伊予市の代表駅です。四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅。駅名標のコメントは「平家ゆかりの五色浜の駅」。予讃線電化区間の終端、2008年3月15日のダイヤ改正により全列車が停車するようになりました。
伊予市駅西北方向に伊予市の中核施設や市街地が展開され市役所なども比較的近く、銀行などの施設もそちら側にあります。また駅の周り、北西方向は最近リニューアルされて第三セクターの商業施設「町家」ができ飲食店などが整然と立ち並んでいます。駅前を走る国道378号線を挟んで伊予鉄道郡中線の郡中港駅と向かいあっています。
この駅は1930年(昭和5年)2月27日、国鉄讃予線が松山駅から当駅まで延伸したのに伴い南郡中駅(みなみぐんちゅうえき)として開業しました。開業当初は讃予線の終着駅であったがおよそ1か月後の4月1日には高松駅から当駅までと多度津駅から阿波池田駅の間が予讃線とされたため予讃線の駅となり、また開業からおよそ3年後の1932年(昭和7年)12月には伊予市駅から伊予上灘駅までが延伸となったのでこの駅は終着駅ではなくなった。1933年(昭和8年)に予讃線は予讃本線に改称となりました。
この駅を大きく変えたのが1986年(昭和61年)3月の向井原駅から内子駅までの新線の開通でした。旧来の予讃線と内子廻りの新線との分岐駅は隣の向井原駅とされたがこの駅は事実上予讃線旧線(長浜経由)と新線(内子線内子経由)、そして松山方面と三方向の線路が集まる乗り換え駅となったのである。
その後この駅は1987年(昭和62年)4月国鉄の分割民営化により四国旅客鉄道予讃本線の駅になって現在に至っている。予讃本線は1988年(昭和63年)6月に予讃線に改称となっています。駅名は1955年1月1日の、伊豫郡郡中町、北山崎村、南伊豫村、南山崎村の合併により伊豫市が誕生したおよそ2年後の1957年(昭和32年)2月27日に伊豫市の代表駅として現在の伊予市駅(いよしえき)に改められています。
単式ホーム・島式ホーム混合2面3線を持ち単式ホームに接して駅舎のある地上駅。大きな駅舎は前面が新しく改装されモダンですが瓦葺の木造駅舎です。ホームに振られた番号は駅舎側から順番に1番線、2番線、3番線となっており1番線の線路が直線化された一線スルーの構造を持っている(速度制限はないが、すぐ西方に300R があるので下り列車は減速通過となります。しかし、当駅を通過する定期列車は現在設定されていない)。通常は上下線とも1番線に発着し、交換列車や折り返し列車のみ2,3番線を使用している。この駅は形式上は予讃線の非電化区間と電化区間の境目であり(大半の電車は北条方面から来ると松山駅が終着)、当駅から西側(伊予長浜方面および内子方面)が非電化、東側(松山方面)が電化となっているため、架線は当駅のホーム末端先100mで途切れている。伊予市駅には、信号扱所の跡など通票閉塞時代の遺物が残っています。
日中は有人駅(直営駅)であるがみどりの窓口の設置はない(POS端末が設置されている)。すべての特急列車が停車することもあり、駅員不在時においても利便を図るため最新式の自動券売機が設置されている。1980代中期に屋根付き跨線橋が設置されるまでは、2,3番線から改札のある1番線にはホーム間の軌道上に設置された踏切板を直接渡っていました。
1930年(昭和5年)
2月27日 - 国鉄讃予線の松山駅から当駅までの延伸により南郡中駅(みなみぐんちゅうえき)として開業。
4月1日 - 高松駅から当駅まで及び多度津駅から阿波池田駅までが予讃線とされる。
1932年(昭和7年)12月1日 - 国鉄予讃線が当駅から伊予上灘駅までが延伸となる。
1933年(昭和8年)8月1日 - 国鉄予讃線が予讃本線に改称となる。
1957年(昭和32年)4月1日 - 現在の伊予市駅(いよしえき)に改称となる。
1986年(昭和61年)3月3日 - 向井原〜内子間の新線開通により事実上の乗換駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により四国旅客鉄道の駅となる。
1988年(昭和63年)6月1日 - 予讃本線が予讃線に改称となる。
1990年(平成2年)11月21日 - 伊予北条駅から当駅までが電化。
電報略号 イシ
クン(南郡中駅時代)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 625人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1930年(昭和5年)2月27日
乗換 郡中港駅(伊予鉄道郡中線)