大久野島 /幹部用防空壕
毒ガス資料館の近くの幹部用防空壕。コンクリートで作られて、その上には盛り土があり回りを石垣で築かれていました。この隣に製図場があって、機械製図、あるいは木工製図をやっていて誰でも入れたとのこと。入口が2つあり半地下で中は、高さ約2m・幅約2m・長さ約5mの広さでカマボコ型。他の防空壕と比べて、強固に造られています。
防空壕は、敵方の航空機の攻撃(空爆、機銃掃射)及びミサイル攻撃から避難するために地下に造られた施設。避難壕です。日本では第二次世界大戦中に、アメリカ軍をはじめとする連合国軍機による銃後への大規模空襲が現実のものとなり、空襲の危険から逃れるため、1944年頃から学校の校庭、強制疎開跡の空き地、個人宅内などに大量に作られるようになりました。空襲警報が鳴ると、身近なところに造られた防空壕に身を隠しました。