石山駅は、「瀬田の唐橋」「石山寺」へのJRの最寄り駅になっています。滋賀県大津市粟津町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅です。
周囲には大規模工場が立地し大津市南部の住宅地への入口にあたる駅のため利用客が多い活気ある駅です。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれている。日中時間帯は1時間あたり7本が停車する。朝晩は本数が多くなる。乗客は滋賀県内の駅では南草津駅に次いで多く、JR西日本全体の駅では33番目に多い。
島式ホーム2面4線に外側待避線を持つ地上駅で橋上駅舎(昭和45年3月改築)を有しています。橋上庭園があり、人工地盤の床はカラータイルで装飾されています。きっぷ売り場には券売機は4台設置されみどりの窓口があります。改札口の横にキヨスク、みどりの窓口の横にデイリーイン石山店があります。
直営駅(大津駅の被管理駅)。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象カードも利用可能。
石山駅プラットホーム
ホーム 路線 方向(線路) 行先 備考
1 ■琵琶湖線 下り(外側線) 京都・大阪方面 全ての特急と一部列車
2 ■琵琶湖線 下り(内側線) 京都・大阪方面
3 ■琵琶湖線 上り(内側線) 草津・米原方面
4 ■琵琶湖線 上り(外側線) 草津・米原方面 全ての特急と一部列車
新快速・普通とも主に内側線ホーム(2・3番のりば)に停車する。外側線ホーム(1・4番のりば)は「はるか」・「びわこエクスプレス」と朝ラッシュ時の新快速・草津線直通電車(下りは一部除く)が停車する。1番線は下りの待避線、6番線は上りの待避線でいずれもホームなし。回送・貨物列車の待避に使用されています。外側線からの待避線の分岐がある都合上、場内信号・出発信号を持つ。ただし、上下線間の渡り線はなく、内・外側線の転線もできない。
各のりばに出発反応標識が設置されています。ホームがカーブしていることもあって終日ホーム係員が常駐し旅客整理及び客扱終了合図を行っています。
2007年まで専用線発着の車扱貨物を取り扱っており、貨物列車の設定があったが、現在は臨時車扱貨物のみを取り扱っており、そのため貨物列車の発着は無い。
駅北側にある日本電気硝子大津事業所へ関西日本電気が保有する専用線が上り線側から分岐し、石油輸送を行っていました。そのため塩浜駅〜当駅間に石油輸送貨物列車が運行されていました。
駅南側にある東レ滋賀事業場へ専用線が下り線側から分岐し、石油輸送を行っていた。災害時など公共性の面があり権利だけは残っている。但し線路は2009年7月頃に全て撤去されており、国道1号との平面交差の踏切のレールも外され溝は埋められ、踏切信号も撤去されたが、専用線の路盤と踏切警報機のみ残存している。交通科学博物館で静態保存されている1801号機(鉄道記念物)は、1964年に国鉄に寄贈されるまではこの専用線での入換作業で使用されていました。
1930年(昭和5年)4月25日 、東京発下関行き急行第5列車(14両編成、牽引機C53 30(国鉄C53形蒸気機関車)、乗客約650名)が石山駅に差し掛かり下り本線から中線へのポイントを通過した時脱線転覆し、13名が重軽傷を負った。石山駅はカーブになっており、普段は通らない中線への渡り線も急角度で、そこに遅れを取り戻すため高速で進入した事が原因とされた。木造客車ならば1926年(大正15年)9月23日の山陽本線特急列車脱線事故のように粉砕していた所だが、半鋼製客車だったため被害は少なく済んだ。機関士は100円の罰金刑を受けた。
この事故を受けて、山陽本線河内駅構内の配線と速度制限の調査が行われ、誤ったポイント付け替え工事がされた事が、9ヶ月後の山陽線急行列車脱線事故の原因となったという。
1903年(明治36年)4月1日 - 官設鉄道東海道線(1909年より東海道本線)の草津駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間に新設開業。旅客取扱のみ。
1908年(明治41年)3月15日 - 貨物取扱開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
2005年(平成17年)
2月5日 - コンコース、エレベーター、エスカレーター使用開始。
4月1日 - 京阪石山駅が隣接する位置に移転。
2007年(平成19年)3月18日 - 貨物列車の設定廃止。
電報略号 イシ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 24,475人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1903年(明治36年)4月1日
乗換 京阪石山駅(京阪石山坂本線)
備考 直営駅
みどりの窓口 有