国鉄オハ31系客車は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が1927年から導入した、国鉄で初の鋼製車体をもつ客車の形式群。なお、この名称は国鉄が定めた正式の系列呼称ではなく、1927年より製造されたオハ44400形(のちのオハ32000形→オハ31形)と同様の車体を持つ客車を総称する、趣味的・便宜的な呼称です。
1926年9月23日、山陽本線安芸中野 - 海田市間で、折からの雨が原因で築堤が崩れて特急列車が脱線転覆し、34名が死亡する大事故が発生した(山陽本線特急列車脱線事故参照)。事故の被害が拡大した原因の一つが木造客車の脆弱性にあると考えられたため、鉄道省は翌年度から木造客車の製造を中止して鋼製客車の製造に切り替えることとして本系列が設計され、1927年3月に先行試作車4両が竣工し、1927年8月に量産車の第一陣が竣工した。
素材こそ鋼製に変わったものの、車体構造は木造制式客車の最終形であるナハ23800形などとほとんど変わらなかった。
つまり、魚腹式の強固な台枠を備え、その上に鋼材による柱や梁を組立てて、そこに外板をリベットを用いて打ち付ける、という従来通りの構造設計が採られており、当初は重いアンチクライマーが車端部に取り付けられるなど、自重軽減に対する意識はほとんど皆無といってよい。
車体長は2軸ボギー車は17m、優等車を中心とする3軸ボギー車は20mで、台枠は原則的には17m級の一般型がナハ23800形のUF15の設計を継承するUF17、荷物車用がUF18、20m級の一般型がUF44、荷物車用がUF46で、いずれも台車中心間の中梁が大きく膨らんだ魚腹台枠となっている。
台車は木造車時代以来の明治45年型を基本とするTR11 - TR13(2軸ボギー台車)およびTR71・72(3軸ボギー台車)で、いずれも本来は船舶用として八幡製鉄所が製造供給していた球山形鋼(バルブアングル)を側枠に使用する、イコライザー式台車である。なお、汎用2軸ボギーのTR11と合造車用2軸ボギーのTR12、同じく優等車用3軸ボギーのTR71と荷物車用3軸ボギーのTR72は基本的にはそれぞれ同一設計で、TR12・TR72では輪軸が10t長輪軸からより高強度の12t長輪軸に変更されている。さらに、荷物車用2軸ボギーのTR13では12t長輪軸を用いるTR12を基本としつつ、側梁の補強やつりあいバネの強化などによって大荷重に耐えられるよう設計変更がなされている。
自動空気ブレーキ装置は当初、ウェスティングハウス・エア・ブレーキ(WABCO)社の設計によるP弁を使用するPF・PMブレーキ装置であったが、量産中にブレーキ弁が変更されており、日本エヤーブレーキ社の手によって1928年に開発・実用化されたA動作弁を使用するAVブレーキ装置が1929年度分より制式採用され、P弁を搭載する在来車についてもこの新型ブレーキへの換装を実施して階段緩め機能の付加など、保安性の向上が実現している。これも特急列車脱線事故の残した影響の一つであった。