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下曽根駅 JR九州日豊本線

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明治28年開業の下曽根駅は、福岡県北九州市小倉南区下曽根一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅です。駅周辺は北九州市郊外の住宅地です。

 

南口側は土地区画整理が行われたため、周辺は市街地を形成しており、商業施設なども多い。平成18年3月までは旧北九州空港への最寄り駅でした。

1962年(昭和37年)、鉄道敷設法の別表に「福岡県田野浦附近ヨリ曽根ニ至ル鉄道」が追加されました。これは北九州市門司区田野浦から当駅までを結ぶ計画で、現在休止中の田野浦公共臨港鉄道に接続するものであったと思われる。しかし、実際には工事に着工することもなく幻の計画となりました。

島式ホーム1面2線を有する地上駅で国鉄時代からの橋上駅舎を備えています。駅前広場も整備されています。


直営駅で、みどりの窓口があります。自動改札機が設置されておりワイワイカードおよびSUGOCAが使用可能。JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅です。駅舎内2階コンコースにはコンビニがあります。コンコースは自由通路にもなっているので、昼間は、多く買い物客などが利用しています。

 

のりば
1 ■日豊本線(下り) 行橋・中津・大分方面
2 ■日豊本線(上り) 小倉・門司港・下関方面

ホームは長い上屋がかかり、また幅もゆったりと取られています。ホーム南端には保線用の引き込み線があります。特急「ソニック」は下りは19 - 23時台に各1本、上りは6 - 7時台に3本の計8本停車する。柳ヶ浦駅発着列車はすべて停車する。また、快速列車はすべて当駅を通過する千鳥停車を実施しており、当駅は「特急が停車するのに快速が停車しない」という駅になっている。これは、東日本旅客鉄道の通勤特快が三鷹駅・吉祥寺駅を通過、京葉線の通勤快速は海浜幕張駅を通過、特急「成田エクスプレス」「わかしお」「さざなみ」の一部は停車するのと同様(なお国鉄時代の快速は当駅に停車していた)これは都心の中小都市代表駅に稀にある傾向です。

戦時中、下曽根駅から陸軍航空本部福岡支所(当時の支所の住所地は「小倉市大字曽根町大字横沼」)までの1,400mの区間に、火薬類などを運び入れる専用線があった。戦後の1946年(昭和21年)5月4日午前10時30分頃、この支所に集積してあった爆弾が突然爆発し、約一昼夜に亙って爆発が繰り返され1人が即死、6人が行方不明、16人が重軽傷を負ったほか、家屋6戸が焼失、6戸が全半壊、約1,000戸もの窓ガラスが割れるなどの大惨事となった。その爆発音は筑豊地区まで届いたという。この爆発により、駅も爆発物の破片によって窓ガラスはすべて割れ建物の壁は崩れ落ちるという大損害を受けた。幸いこの爆発の際には火薬を載せた貨物列車や旅客列車をすぐ避難させたため、駅での負傷者は出なかったという。しかしながら専用線はレールがぐにゃぐにゃに曲がり、停まっていたはずの貨車3両は跡形もなく消し飛んでいたらしい。この爆発事故については未だ事故原因が不明だが、近年では爆弾の集積所近くで子供の遺体が見つかったことから、打ち上げるとパラシュートが開きその風圧で信管が爆発するタイプの高射砲弾で子供たちが遊んでいたときに誤って爆発し、それが他の爆弾を誘発したものだとみられている。この専用線はその後1951年(昭和26年)に廃止され、この支所地も後に日本化薬の倉庫となるものの1977年(昭和52年)に廃止されて北九州市に売却され、現在は文化記念公園や小倉東高校になっている。

1895年(明治28年)10月25日 - 曽根駅(そねえき)として九州鉄道(初代) が開設。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道が国有化され帝国鉄道庁が所管。
1945年(昭和20年)5月1日 - 下曽根駅に駅名変更。
1946年(昭和21年)5月4日 - 元陸軍航空本部福岡支所にて爆発事故、駅舎がほぼ全壊(後述)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。

電報略号 シソ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 6,231人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1895年(明治28年)10月25日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
北九州市内駅
* 1945年に曽根駅から改称。

 

 


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