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金比羅前駅 JR四国)鳴門線

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金比羅前駅は、徳島県鳴門市撫養町木津にある、四国旅客鉄道(JR四国)鳴門線の駅である。駅番号はN08。

かつて金比羅神社の参拝客で賑わったが現在は利用客も少なく閑散としています。駅の周辺は住宅地です。


単式1面1線ホームの地上駅。ホームに待合所が設置されています。無人駅。駅前に金刀比羅神社あり。教会前駅と教会の位置関係に非常に似ている。

路線バスの鳴門市営バス(金刀比羅前バス停、駅前ではなく、踏切を渡った駅裏手側の道沿い)。駐輪場は設置されておらず、駅前に自転車が並んでいます。

ホーム待合所にはFRP製の椅子が設置されています。駅名の由来である金比羅神社は、駅正面100m弱のところにあります。

1916年(大正5年)7月1日 - 阿波電気軌道(後の阿波鉄道)の金比羅前停留場として開業。
1933年(昭和8年)7月1日 - 阿波鉄道国有化。同時に停車場となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

電報略号 コン
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1916年(大正5年)7月1日
備考 無人駅

 


2000G燃料給油車 海上自衛隊

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各航空基地に配備され航空機にJP-5燃料を給油する燃料給油車。
日野自動車で生産されている。

乗員 3人
車輌重量 14,730kg
最大積載量 16,000kg(タンク20,000リットル)
全長 11.990m
全幅 2.490m
全高 3.300m
登坂能力 0.37(tanθ)
最小回転半径 9.7m


タンク容量 200リットル
最高速度 100km/h
エンジン 型式:F20C 気筒数:V8 総排気量:19,688cc 最高出力:355ps/2,200rpm
トランスミッション 型式:常時噛合式 変速段数:前進7段・後進1段
製作 日野自動車、東急車輌(タンク架装)
備考 固定翼航空機に対する給油支援用。

教会前駅 JR四国)鳴門線

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教会前駅は、徳島県鳴門市撫養町木津にある、四国旅客鉄道(JR四国)鳴門線の駅。駅番号はN07。

駅の近くには駅名の由来である教会はキリスト教ではなく天理教撫養大教会が駅の真正面100mほどのところにあります。駅前の道路には、鳴門線と並行して走る鳴門市営バスが運行されているが、便数はバスの方が少ない。

単式1面1線のホームをもつ地上駅。かつてあった駅舎は撤去されてなく、ホームにFRP製椅子のベンチとベンチの部分を覆う上屋のみの無人駅です。待合室、駐輪場はありません。

古枕木を再利用したホーム柵があったのですがスチール製に変わっています。2010年度にバリアフリー対応工事が実施され、ホームの嵩上げが2両分の長さ全てに渡って行われた。

またバリアフリー対応工事に際しては、スロープが新たに設けられた。


1924年(大正13年)1月1日 - 阿波電気軌道(後の阿波鉄道)の天理教前停留場として開業。
1926年(大正15年) - 教会前停留場に改称。
1933年(昭和8年)7月1日 - 阿波鉄道国有化。同時に停車場となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

電報略号 ケウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1924年(大正13年)1月1日
備考 無人駅

 

豊潮丸 広島大学生物生産学部 附属練習船

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生物生産学部附属練習船「豊潮丸(324トン)」は、生物生産学部水産系コース学生の教育航海、水産環境学実験実習や、諸大学との共同研究において研究調査船として利用されています。

豊潮丸は教育航海や調査航海のため、1年のうち200日近く海上で生活をしている。

(1)生物系設備・装置 A 表層・中層生物採集

A‐1 表層水平曳網・・・1.丸稚ネット(動物プランクトン、稚仔魚採集)
・・・2.ニューストンネット(表層微細浮遊物)
A‐2 表・中層水平曳網・・・1.ORIネット
・・・2.多段開閉式ネット・環境計測システム(MOCNESS NET)
・・・3.表中層稚魚採集網(LC-20M-SMR)
・・・4.表中層プランクトン採集網(LCP-003型)
A‐3 表・中層鉛直曳網・・・1.VMPS
A‐4 海水採水・・・1.バンドーン採水器
・・・2.表面採水器
・・・3.ハイロート採水器
A‐5 その他
・・・1.水中集魚灯
・・・2.自動イカ手釣り機、手釣りイカ釣り
    タモ網、竿釣り、トローリング(曳縄) など


  B 底生・底泥生物採集
B-1 底層曳網
・・・1.LCネット(底生魚類、甲殻類採集)
・・・2.ビームトロール(桁網)
・・・3.そりネット(底生プランクトン、甲殻類採集)
B-2 底泥採集
・・・1.簡易ドレッジ
・・・2.スミスマッキンタイヤ式採泥器
・・・3.エクマンバージ採泥器
・・・4.G.S型表層採泥器(アシュラ)
・・・5.KK式簡易採泥器
B-3 底層成魚等採集
・・・かご網、アナゴ筒 など
(2)海洋環境系設備・装置
  C 航走連続測定
C-1 表層連続観測装置
・・・表層水の水温、塩分、クロロフィルを連続測定
C-2 多層式超音波流向流速計(ADCP)
C-3 海底地形探査装置(320kHz)
C-4 高機能魚群探知機(38kHz)
C-5 カラースキャニングソナー(24kHz)
C-6 漁網監視装置 SCANMAR
  D 停船鉛直測定
D-1 911plusCTDシステム・・・鉛直方向に水深2000mまでの水温、塩分、クロロフィル、溶存酸素、光量子等を測定
D-2 透明度板
D-3 水中テレビカメラ装置 Mitsui RTV-100MKⅡS
   水中テレビカメラ装置は、自走式ビークルを遠隔操作し、水中を観察する装置です。
(3)気象環境系設備・装置
E 気象観測装置
E-1 自動気象観測装置・・・風向・風速、気温、海水温、湿度、気圧、日射量、光量子、波高
E-2 マイクロ波波高計
E-3 デジタル水温計
E-4 アネロイド型気圧計
E-5 水色標準液
E-6 ガラス製温度計
(4)船位等基礎資料設備・装置
F-1 GPSコンパス
F-2 GPS航法装置(2台)・・・観測点の正確な位置を提供します(船内LANへ出力)
F-3 レーダー
F-4 音響測深機・・・観測点の水深を提供します
F-5 カラー魚群探知機・・・観測点の水深を提供します(船内LANへ出力)
F-6 電子海図情報表示装置
(5)観測ウインチ装置
G-1 CTDウインチ
G-2 船首観測ウインチ
G-3 曳網ウインチ
G-4 観測ウインチ
G-5 起倒式Aフレーム
G-6 起倒式ランプドア
G-7 船首観測ダビット
G-8 CTDクレーン
G-9 船尾観測クレーン
(6)その他教育支援設備
H-1 セミドライ研究室
    911plusCTDシステム、ADCP、MOCNESS NET、海底地形探査装置、
    漁網監視装置等の操作を行います。
    作業台
    流し台
    実体顕微鏡
    低温恒温器 など
H-2 ウエット研究室
    試料の一次処理、保存を行う区画です。
    冷凍冷蔵庫 2台
    試料処理台
    純水製造装置
    表層連続観測装置本体
    流し台(清水、温水、海水) など
H-3 教室兼学生食堂
    机・椅子 20人分
    32インチ型液晶テレビ
    32インチ型マルチモニター
    液晶プロジェクター
H-4 船内LANシステム
H-5 映像配信装置
H-6 ダイビング用空気圧縮機
H-7 試料保存用冷凍庫 (長船首楼甲板)
H-8 船外通信
H-9 作業艇


船舶番号Official number  140428
最大搭載人員 乗組員 12名, 教員 2名, 学生 18名   合計 32名 (臨時定員 62名)
信号符号 Call sign  7JBU
漁船番号 HS 1-24
燃料油槽容積  71.20m3
船種 汽船・漁船(第3種)
水槽容積  41.60m3
船級  JG
推進装置  電動、全旋回式縦軸推進機 2基 
船質  鋼
所有者  広島大学
長さ(全長)Over all length  40.50m
長さ(垂線間長)Length between perpendiculars  35.50m
幅  (型)Breadth (mid)   8.50m
深さ (型)Depth (mid)   3.70m
国際総トン数Internatoinal gross tonnage  400.00トン
総トン数Gross tonnage  256.00トン
無線装置  250W SSB無線電話装置
 インマルサット-C型 1台, 国際VHF 2台
速力 10.5ノット 船舶電話  衛星船舶電話(090-3022-4347)
航続距離  2,900海里
漁業種類  船尾式トロール漁業
航海日数  10日
交通艇  FRP交通艇 1基 

昭和23年11月 広島青年師範学校実習船として元海軍特務駆潜艇(135排水トン)を大蔵省より所管換(定けい港 福山市)
昭和24年 6月 広島大学水畜産学部実習船豊潮丸(初代)設置(総トン数79トン)(定けい港 福山市)
昭和29年11月 改造により増トン(総トン数102トン)
昭和34年 3月 実習船豊潮丸(二代目)設置(総トン数71.84トン)[下関林兼造船所]
昭和41年12月 二重ベッドの改善のため増トン(総トン数81.05トン)
昭和42年 4月 教育課程の変更により従前の海技免許取得が廃止されたが、
乗船実習、漁業学実習などの航海は、続けて行うこととした。
昭和53年10月 附属練習船豊潮丸(三代目)設置(総トン数320.73トン)国際航海取得[因島内海造船所]
昭和63年11月 広島大学生物生産学部附属練習船基地設置(定けい港 呉市)
平成 6年11月 改造により増トン(総トン数323.88トン)
女子便所・シャワー室設置、国際総トン数取得
国内総トン数323.88トン
国際総トン数374.00トン
平成18年11月 附属練習船豊潮丸(4代目)設置(総トン数256トン)
電気推進 全旋回式縦型推進装置[三井造船株式会社 玉野事業所]

立道駅 JR四国)鳴門線

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立道駅(たつみちえき)は大正5(1916)年7月に開業、徳島県鳴門市大麻町姫田新田にある四国旅客鉄道(JR四国)鳴門線の駅です。

駅番号はN06。駅の南側には、田園風景が広がっています。

ホームは単式1面1線の地上駅。無人駅で、国鉄時代には小さなスレート葺きの駅舎があったが、現在はホーム上に開放型の待合室を持つだけである。

ホームは半分しか舗装されていません。2010年度にホームの一部嵩上げが行われ、4両分あるホームの内、中央よりの2両分のみが嵩上げされています。嵩上げ量は、ごくわずか。

ホーム待合所の中には木製の長椅子が設置されています。
便所は待合室に男女共用の汲み取り式がある。駅前の道路には、鳴門線と並行して走る鳴門市営バスが運行されているが、便数はバスの方が少ない。

駅周辺には「立道」という地名はなく、姫田地区から辰巳方向(南東)に駅ができたので「辰巳地」が転じて「立道」となったという。他に、立道駅より南へ当時では珍しい約1.5km以上に及ぶ直線道があり、「道が立って見える」→「立つ道」が転じて「立道」となった、周辺の道が龍のように曲がっているからとの説もある。

1916年(大正5年)7月1日 - 阿波電気軌道(後の阿波鉄道)古川~撫養間開業にともない立道停留場として設置。
1933年(昭和8年)7月1日 - 阿波鉄道国有化。同時に停車場となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR四国に継承。

電報略号 タミ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1916年(大正5年)7月1日
備考 無人駅

池谷駅 JR四国)鳴門線・高徳線

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池谷駅は、徳島県鳴門市大麻町池谷柳の本にある、四国旅客鉄道(JR四国)の駅である。

駅番号は高徳線がT04、鳴門線がN04。元の大麻町の中心は板東駅の周辺であり、本駅の周辺の集落は小さい。

駅の周辺は田圃が多く、駅前も少々寂しい。阿波DANCE - ロケ地として当駅が使用された(劇中での名称は「鳴戸池谷駅」)。

四国旅客鉄道
■高徳線 (T04) - 当駅の所属線。


■鳴門線 (N04) - 線路名称上は当駅が起点であるが、ほとんどの列車は高徳線経由で徳島駅に発着する。

V字形に分岐する高徳線、鳴門線それぞれに島式1面2線、計2面4線のホームがある地上駅。

複雑な形状の瓦屋根をもつ木造駅舎です。当駅を通過する特急「うずしお」は1番のりばを通過するが1線スルーでは無いため、勝瑞側を制限60km/h、板野側を制限40km/hで通過する。

両線の間にある駅舎と双方のホームは以前、跨線橋ではなく構内通路だったが今は無蓋跨線橋で結ばれている。

2012年7月11日から無人駅となった。自動券売機は設置されていない。わたしの旅スタンプが置いてあったが、無人化の影響か勝瑞駅で管理するようになった。待合室には木造長椅子が2脚設置されています。


便所は、改札内に男女共用の汲み取り式がある。
以前は特急「うずしお」のほとんどが停車して鳴門線の利用者の便を図っていたが、半数程度が乗降客の多い勝瑞駅停車に変更された。

その後、鳴門線の利便性低下を憂う鳴門市からの要望によりダイヤが見直され、一部が池谷駅と勝瑞駅の両方に停車するようになった。

当駅を通過する列車の利用客に限り池谷・勝瑞間は「区間外乗車」の扱いとなる。


のりば
1・2 ■高徳線 板野・志度・栗林・高松方面(徳島方面から)
徳島・■牟岐線直通阿南・牟岐方面 (高松方面から)


3 ■鳴門線 鳴門行き (徳島方面から)
4 ■高徳線 徳島行き (鳴門方面から)
■鳴門線 鳴門行き (始発)


独特のホーム配置、ホームは駅舎を中心として二股に分かれて設置されています。
高徳線よりも鳴門線の方が場内有効長が長い。鳴門線側には側線の跡があります。

1916年(大正5年)7月1日:阿波電気軌道(後の阿波鉄道)古川 - 撫養間開業と同時に設置。
1923年(大正12年)
2月15日:当駅 - 鍛冶屋原間開業により、分岐駅となる。但し撫養方面から鍛冶屋原方面に直通する形での分岐であり、高徳本線成立の前に現在地に駅が移転している。
2月19日:大麻比古神社参詣客満載の撫養発鍛冶屋原方面行きの客車が駅構内で脱線転覆。5人死亡、重傷者9名
1933年(昭和8年)7月1日:阿波鉄道国有化。
1961年(昭和36年)2月:貨物取り扱い廃止。
1971年(昭和46年)4月1日:勝瑞駅 - 当駅間の阿波市場駅が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR四国に継承。
2008年(平成20年)9月13日:停車していた普通列車のドアの一つが閉まらなくなり、次駅の勝瑞駅までドアが開いたまま走行するトラブルが発生。

電報略号 イタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 106人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1916年(大正5年)7月1日
所属路線 ■高徳線
駅番号 ○T04
所属路線 ■鳴門線
駅番号 ○N04
備考 無人駅
*ほとんどの列車が徳島駅まで乗り入れ

DF50形ディーゼル機関車

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DF50形ディーゼル機関車は、日本国有鉄道(国鉄)のディーゼル機関車の一形式です。

非電化亜幹線の無煙化のため、1957年(昭和32年)に先行試作車が製造され、以後1963年(昭和38年)まで増備されたディーゼル機関車で、国鉄初の本格的に量産されたディーゼル機関車であった。
当時は液体変速機の製造技術が未熟で、動力伝達方式には1953年 (昭和28年)製造初年のDD50形同様、ディーゼルエンジン直結の発電機で発電した直流電力で主電動機を駆動する電気式が採用された。機関車の出力制御は19段のノッチによるエンジンの回転数制御で行い、これによって発電電圧を上げ下げして主電動機の回転数を制御した。発電機にはDD50形 でも採用された「差動界磁付励磁機式発電機」が用いられた。これによって、主電動機に負荷がかかって回路電流が増大すると、自動的に発電機の界磁が弱まり、発電電圧が低下して、定出力特性が得られた。またエンジン自体への負荷増大もエンジンガバナーで感知し、発電機の他励界磁の回路に抵抗を加えて界磁を弱め、発電電圧を下げる方法もとられた。なお、主発電機は出力は700kW(450V 1560A)(500番台では780kW(500V 1560A))であった。


主電動機は出力100kW(500番台では110kW)の直流直巻電動機(MT48形)が6台で、2台永久直列3回路であった。全界磁での連続定格速度が17.5km/h(500番台では19.5km/h)と極めて低速であったが、6動軸のため、重量列車の引き出しは可能で、また50%と30%の弱界磁制御もできたため、軽負荷であれば90km/hでの高速運転も可能であった。 重連総括制御可能な点もDD50形と同様であったが、非力さから重連運転常用を前提に片運転台で製造されたDD50形と違い、本形式は亜幹線で一応単機運用ができることを主眼に設計され、両運転台となった。車体は貫通扉を有するやや後傾した妻面を持つ、同時期に製造されたED70形交流電気機関車と似た箱形車体であった。


線路規格の低い乙・丙線での使用を考慮し、軸重を14t以下に抑えるため6動軸とし、更に国鉄車両としては初めてB-B-B型軸配置を採用し、中間台車の横方向へのずれを許容して曲線通過時のレール横圧の軽減を図った。このB-B-B型軸配置 は以後設計の日本の6動軸機関車の標準となった。駆動方式はつりかけ式であった。

DD50形が暖房用蒸気発生装置を持たず、冬季の旅客列車牽引時に暖房車を必要として不便であったため、本形式は暖房用のボイラー(蒸気発生装置)を搭載した。なお、1 - 7号機は量産試作車で、前面形状、中間台車位置、機器配置などが量産型とは若干異なっていた。
エンジンは、当時の新三菱重工がスイスのスルザー社と技術提携して製造した直列8気筒直噴式の三菱神戸スルザー 8LDA25A(連続定格1,060馬力、1時間定格1,200馬力)を搭載した基本番台と、川崎重工と日立製作所がそれぞれ西ドイツのMAN社と技術提携して製造したV型12気筒予燃焼室式の川崎 MAN V6V 22/30mA、あるいは日立 MAN V6V 22/30mA(ともに連続定格1,200馬力、1時間定格1,400馬力)のいずれかを搭載した500番台とがあった。基本番台に搭載された三菱神戸スルザー 8LDA25Aは、DD50形に搭載された三菱神戸スルザー 8LDA25の過給機の一部を改造して高過給とし、燃料噴射ポンプ・プランジャ・ノズル・ピストンなどの変更を行って2割弱の出力増強を実現したものであった。
エンジン音はメーカー別に特徴があり、中速機関のスルザー型は焼玉エンジンのような「ポンポンポンポン」というリズミカルな音、同じく中速機関ながら、スルザー型よりやや高速な機関を搭載するMAN型は「ドドドドド」と連続した低音である。MAN型の中には、キハ181系のようなターボ音を発するものがあった。

基本番台が新三菱重工業・汽車製造・日本車輌製造で65両、500番台が川崎車輌・東京芝浦電気・日立製作所で73両、計138両が製造された。
本線での客貨運用が可能な最初の実用的ディーゼル機関車で、北海道を除く日本各地の非電化亜幹線と一部非電化幹線で特急列車から貨物列車まで幅広く運用された。特にトンネルの多い路線では、蒸気機関車の煤煙から解放される無煙化の効果が大きかった。なお、旧線時代の奥羽本線の矢立峠越えの区間(秋田・青森県境)などの急勾配区間では、補機として使用されたケースも多かった。
しかし本形式は日本のディーゼル機関車としては過渡期の存在で、最たる問題はエンジンの出力不足であった。主電動機の広範な弱界磁制御により、この貴重なエンジン出力を低速から高速までの広い速度領域で有効に使い、全車軸を駆動軸として動輪上重量を大きくとり、勾配でも空転を起こさずに登坂できたが、出力不足故、著しい速度低下をきたし、D51形蒸気機関車の代替にはならなかった。また、平坦区間でも加速性能は低く、C57形蒸気機関車程度に留まった。しかし当時の技術では、軸重14tの電気式ディーゼル機関車に、これ以上の出力のエンジンを搭載することは不可能であった。
このように牽引性能が不十分であったことに加え、エンジンに外国メーカーのライセンス品を使用せざるを得なかったため調達コストが高く、動力近代化のための大量増備に適した機関車とはなれず、後続の液体式 ディーゼル機関車DD51形の登場までのつなぎ役に留まった。


1962年(昭和37年)には1,000馬力級エンジン2基を搭載した純国産の幹線用ディーゼル機関車DD51形が登場したため、本形式の製造はその翌年の1963年(昭和38年)限りで終了し、その後は主要幹線から順次DD51形が導入され、本形式は比較的軽負荷な運用の多い亜幹線に転用された。昭和50年代に入ると電化の進展もあって多くが廃車となった。


その中で日豊本線では、北部からの電化進展に伴って運用域は年々狭まったものの「富士」や「彗星」などの寝台特急運用で1979年(昭和54年)の全線電化直前まで非電化区間の牽引を務めた。最後まで残った寝台特急運用は、紀勢本線の寝台特急「紀伊」の牽引であった。しかし、1979年(昭和54年)6月には上り列車のみDD51形に置き換えられ、下り4003列車の亀山駅 - 紀伊勝浦駅間およびその回送である回4003列車の紀伊勝浦駅 - 新宮駅間についても亀山機関区配置機の運行終了直前の1980年(昭和55年)2月にDD51形に置き換えられた。


最後まで主力車として残った四国でも、1981年(昭和56年)10月に定期旅客運用を離脱し、同時にMAN型の500番台が全廃された。1983年(昭和58年)9月には貨物運用も終了した。同年9月25日に運転された、臨時急行列車「サヨナラDF50土佐路号」をDF50 1+DF50 65の重連で牽引したのを最後に運用を終了。1985年(昭和60年)1月21日付けで、最終貨物列車を牽引したDF50 34が廃車されたのを最後に、3両の保存機を除いて完全に消滅した。

0番台の3両のみが現存する。 1号機は廃車後、解体されることなく国鉄多度津工場に保管され、1983年に準鉄道記念物に指定された。同車は1987年に車籍復帰し、四国旅客鉄道(JR四国)多度津工場に保存されていたが、2007年10月13日の展示を最後に車籍を残したまま愛媛県西条市の伊予西条駅に隣接する四国鉄道文化館へ搬入され、同年11月26日より展示公開されている。多度津時代は動態保存でしばしば構内運転も行われたが、移動後は静態保存である。
また、4号機は大阪市東淀川区の菅原天満宮公園に静態保存された。18号機は大阪市港区の交通科学博物館に静態保存されていたが2014年4月に閉館となり、保存車両は2016年に梅小路蒸気機関車館を拡張してオープンする京都鉄道博物館に移管される予定となっている。
なお、1、4号機は先行量産機であり、前面窓の形状および屋根肩部の丸みが深い等、量産機である18号機と比較して差異を有する。
500番台は全機解体され、保存車はない。

設計最高速度 90 km/h
全長 16,400 mm
全幅 2,932 mm
全高 3,987 mm
車体材質 普通鋼
車両質量 冬85.1t / 夏81.2t(基本番台)
冬84.5t / 夏80.6t(500番台)
軸配置 B-B-B
軌間 1,067(狭軌) mm
総出力 600kW(基本番台)
660kW(500番台)
機関 直列8気筒直噴式 8LDA25A(基本番台)
V型12気筒予燃焼室式 V6V 22/30mA(500番台)
機関出力 1,060PS/800rpm/125,600 cc(基本番台)
1,200PS/900rpm /136,778 cc(500番台) (連続定格)
主電動機 直流直巻電動機 MT48
主電動機出力 100kW 225V 520A(基本番台)
110kW 250V 520A(500番台)(連続定格)
歯車比 4.235(72:17)
駆動装置 吊り掛け駆動
台車 DT102(両端台車)
DT103(中間台車)
制動方式 EL14A空気ブレーキ
製造メーカー 新三菱重工業・汽車製造・日本車輌製造・川崎車輌・東京芝浦電気・日立製作所

 

 

救命胴衣LPU-N1 海上自衛隊

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航空機搭乗員が航空機に乗るとき常時装備し、海に遭難したとき救命具として水に浮くためのもので、炭酸ガスにより膨らむ。緊急時には十秒以内に自動で膨張し、27.2kgの浮力を得る。

救命胴衣本体はいくつかのポケットが装着されており、着水後に航空機が水没した際に安全に脱出する緊急用空気ボンベや様々なサバイバルキットが装備されている。

浮遊性能:①反転時間 5秒以内
     ②水面から口までの距離 12cm以上
     ③後傾斜角度 30~60度
*2mの高さからの着水でも異常なし。
*吊り上げ索によるピックアップも可能 

製造者:藤倉航装株式会社


蔵本駅 JR四国)徳島線

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蔵本駅は、徳島県徳島市蔵本町二丁目にある四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅。全特急列車が停車する。

駅番号はB02。徳島大学医学部と付属病院の最寄り駅です。学生と通院患者の利用が多い駅です。

徳島市西部の中心。徳島大学蔵本キャンパスを中心とした学生の町でもある。駅の近辺はまとまった商業地域となっている。しかし、最近は郊外型の店舗に押されて駅付近のスーパーマーケットや映画館の閉鎖が続くなど、少々さびしい状況になっている。
しかし、徳島大学病院をはじめとする県内でも規模の大きな病院の集中する地帯であることから平日を中心に相当数の利用者が当駅を利用していると見られる。これも2001年10月のダイヤ改正後の特急列車の全停車に繋がっていると考えられる。

戦前には陸軍の基地の最寄駅として賑わっていたため、中間駅でありながら規模は大きい。


1983年(昭和58年)春に徳島県内でも先駆となる自動券売機を設置したものの、1985年(昭和60年)2月1日、合理化により自動券売機も撤去の上、無人駅(簡易委託駅)化された。その後同年4月に当時の四国総局特有の「特殊簡易委託制度(Aタイプ簡易委託)」に移行し、JR四国に継承された後も駅窓口にて乗車券(硬券)類を引き続き発売していたが、1994年(平成6年)頃、再び自動券売機を設置の後、無人駅となった。無人化後しばらくは徳島駅より駅員を派遣して出札業務を行うこともあったが、現在は窓口が完全に使用不能にされてしまっている。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、阿波池田に向かって左側に古くからの大きな木造駅舎があり、また反対のホームを結ぶ開業以来の古い跨線橋をもつ。陸軍の基地の最寄駅としての理由で広い構内を持ち、ホームの有効長もかなり長い。間口の大きい改札口にはラッチが残っています。


駅舎の元待合室だった部分にはコンビニ(ビッグキヨスク)があり、駅舎の西半分は無人化後JR四国系列の不動産屋の事務所となっていたが、その後居酒屋に衣替えした。当初はJR四国資本の居酒屋「0番線」であったが、現在はテナントとして別の居酒屋が入居している。
徳島線の高速化完成当初、特急「剣山」は全て当駅を通過していたため、1番線が一線スルー化された上下本線となっている。
駅広場には第二次世界大戦中につくられた湧水・蔵清水があり、1991年(平成3年)に給水設備が設置された。


のりば
ホーム 路線 行先
1 ■徳島線 阿波池田・穴吹方面
徳島方面
2 ■徳島線 徳島方面(当駅の行き違い列車のみ)
3番線跡は現在、保線用留置側線として使われている。
ホームの上屋下には多数の椅子が設置されています。


1899年(明治32年)9月12日:開業。
1983年(昭和58年)春:自動券売機を設置。
1985年(昭和60年)
2月1日:自動券売機を撤去し、無人駅(簡易委託駅)化。
4月:特殊簡易委託制度(Aタイプ簡易委託)に移行。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により四国旅客鉄道が継承。
1994年(平成6年)頃:自動券売機を再度設置し、無人駅化。
1999年(平成11年)3月13日:徳島線の急行列車「よしの川」廃止に伴い、一部の特急「剣山」が停車するようになる。
2001年(平成13年)10月1日:すべての特急「剣山」が停車するようになる。

電報略号 クモ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 424人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1899年(明治32年)9月12日
備考 無人駅

駅名標の中にには四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスのキャラクターシールが貼られているのがあります。

鮎喰駅 JR四国)徳島線

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鮎喰駅(あくいえき)は、徳島県徳島市南島田町四丁目にある四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅です。

国鉄末期に開業した新しい駅です。駅番号はB03。

駅周辺は徳島市郊外の住宅地で、新しい住宅も増えている。

また、駅の北側に少し行けば徳島県道30号徳島鴨島線があり、近郊型の店舗も散在する。周囲の人口の増加と共に利用客も増加している。

また、駅の南側から1kmほど離れたところに徳島県立城西高等学校があり、同校の生徒の利用もある。

阿波池田に向かって右側に簡便なホームがある1面1線、交換不能の地上駅(厳密に言うと、盛土高架駅)です。ホームには短い上屋がありFRP製の椅子が三脚、ごみ箱、灰皿があります。

徳島側から見ると鮎喰川橋梁を渡る前の堤防へ向かって上り坂になっていて、ホーム自体もやや傾斜しているように見える。ホーム幅は狭い。築堤上のホームへは、道路から屋根なしの階段を30段程登っていくことになる。


無人駅で駅舎は無いが、駅の入り口に簡易な小屋があり自動券売機が設置されている。駅前の駐輪場は舗装のみで上屋はありません。

1934年(昭和9年)9月20日 開業。
1941年(昭和16年)8月10日 営業停止。
1986年(昭和61年)11月1日 臨時乗降場として再開業。1934年の開業時には、今より西側の鮎喰町に駅はあった。今の所在地である庄町で再開業時したが、駅名は当時のままとなった。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国に承継。駅に昇格。

電報略号 クイ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 168人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1934年(昭和9年)9月20日
備考 無人駅

移動用多重通信装置(O/H) J/TRQ-502

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装置は2局により構成されています。航空警戒管制多重通信網の代替および緊急時の見通し外区間の通信の確保を目的とした、移動用見通し外多重通信装置です。

2,300MHz帯を使用し、対流圏散乱、山岳回折または、これらの組み合わされた伝搬路において電話36回線を伝送する事ができます。

この装置は、空中線装置2基を使用し、空間および周波数の4重ダイバーシティ受信方式を採用しており、高品質で信頼性の高い回線を構成する事ができる。移動は73式大型トラックに積載できる他、CH-47、C-1、C-130などの航空機により空輸が可能となっています。


-40℃~+50℃の周囲温度、また6度の傾斜地でも展開・運用ができ、高感度受信方式に加え半分割方式パラボラ空中線、大電力クライストロン、空中線装置展開の油圧駆動の採用および最大比合成方式の開発等システム性能の向上がはかられています。

シェルタはアルミ材が主として採用され衝撃・振動等に強く、内装も機器類を背面に設置する事により広い空間を設けて作業性に富んだ構造となっています。

1.通信装置(J/TRT-501)1台  
2.受信/端局装置(J/TRR-501)1台
3.空中線装置(NAS-91/TRQ)2基
製作 日本電気


麻植塚駅 JR四国)徳島線

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麻植塚駅(おえづかえき)は昭和の初め(昭和9年)に開設されました。

旧・鴨島町市街地の東の外れ徳島県吉野川市鴨島町牛島にある四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅。

戦時中に一時休止し、16年の期間を経て1957年にようやく復活した駅。駅番号はB08。難読駅名の一つです。駅周辺は住宅地です。

阿波池田に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅で駅舎はなく、ホームと短い上屋、待合所のみを有する構造です。

ホームには緩いスロープで連絡します。踏切を挟んで駅北側に設置された駐輪場があり利用者は多い。

1934年(昭和9年)9月20日 - 開業。
1941年(昭和16年)8月10日 - 休止。
1957年(昭和32年)11月1日 - 営業再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道が承継。

電報略号 オツ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1934年(昭和9年)9月20日
備考 無人駅

 

鴨島駅 JR四国)徳島線

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鴨島駅(かもじまえき)は、徳島県吉野川市鴨島町鴨島にある、四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅。駅番号はB09。乗降客数は徳島線の駅で最も多い。
吉野川市の代表駅で駅前には商店街があります。国鉄時代から全特急列車が停車する徳島線の主要駅です。

駅舎側に相対式ホーム1面1線、反対側に島式ホーム1面2線をもつが、駅舎から一番遠いホームは使われていないため、実質相対式ホーム2面2線の地上駅で、互いのホームは古レールと木材を使用した跨線橋で連絡している。


大きな木造駅舎はすでに改装されており、内部には向かって左側にビッグキオスク、右側に旅行センター(ワーププラザ)がある。直営駅でみどりの窓口はないが、旅行センターが代わりの役割をもっている(ただし日曜日は休業)。

待合室には木製の長椅子とタッチパネル式自動券売機が設置されています。 窓口営業時間は7:00 - 15:00だが、11:00 - 12:00は閉鎖される。駅前広場は整備され、路線バスも乗り入れています。

のりば
駅舎側から、
1 ■徳島線(下り) 穴吹・阿波池田方面


2 ■徳島線(上り) 徳島方面

昔は2面3線であったが、現在は3番線は使用されていない。旧3番線となりは、元の貨物扱所の敷地跡が残っています。また1番ホーム横にも、元の貨物ホーム跡と留置側線があります。
ホームの上屋は長く、FRP製の椅子が多数設置されています。

駅前には当地出身の喜劇役者初代曾我廼家五九郎の当たり役「ノンキなトウサン」の像が立っています。

1899年(明治32年)2月16日:鴨島駅(かもしまえき)として開業。
1937年(昭和12年)12月1日:駅名の読み方を「かもしま」から「かもじま」に変更。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により四国旅客鉄道が承継。

電報略号 モシ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 900人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1899年(明治32年)2月16日
備考 直営駅
* 開業時から1937年までは「かもしま」で呼称。

貞光駅 JR四国)徳島線

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貞光駅(さだみつえき)は、徳島県美馬郡つるぎ町貞光字馬出にある、四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅です。

駅番号はB18。全特急列車が停車する。駅周辺は住宅や商店も多く、高校も近くにあり利用客が多い駅です。

また四国第2位の標高である剣山の下車駅で剣山への路線バスが連絡しています。

島式ホーム1面2線を有する地上駅。阿波池田に向かって左側に、手が入ってはいるが古い洋風木造の駅舎が残っており、ホームとは構内踏切で結ばれており留置側線も有ります。

ホーム中央には木造の上屋がありFRP製の椅子が設置されています。

業務委託駅、売店を兼ねた窓口では定期券と回数券のみ発売。

自動券売機があり待合室には木製の長椅子と登山者向けなのかコインロッカーが設置されています。

駅近くの貞光食糧工業の工場が駅構内とつながっており、かつては鉄道貨物輸送を行っていました。また銘菓「うず芋」製造・発売元の栗尾商店はかつて駅構内で立ち売りもしていた。

1914年(大正3年)3月25日:開業。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により四国旅客鉄道が承継。

電報略号 サミ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 458人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1914年(大正3年)3月25日
備考 業務委託駅

JR九州香椎線 キハ40・47形(アクアライナー)

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九州旅客鉄道(JR九州)には、キハ40形36両(すべて2000番台)とキハ47形106両(0番台61両・500番台2両・1000番台41両・1500番台2両)の計142両が承継された。廃車は1993年の日豊本線竜ヶ水駅の土石流災害で被災したキハ40形2両のみで、2013年4月現在140両が在籍し、九州島内各地(長崎地区を除く)で運用されている。キハ48形の配置は国鉄時代からない。


本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であり、民営化後も1987年から1989年にかけて全車に対して冷房改造が実施された。国鉄時代はバス用の装置を転用したのに対し、民営化後はサブエンジン方式のAU600Kにより行われた。また、近年は全車について屋根上の通風器が撤去されている。ワンマン改造については、大多数について施行済みであるが、方式には線区の事情に応じて数種の方式がある。また機関出力向上についても1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式または新番台区分が起こされている。

形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、多くのローカル線を抱える事情から1989年度よりワンマン運転対応化改造が実施され、キハ40形の全車とキハ47形の大半に施行されている。

また、1991年度から日本電装(1996年以降はデンソー)製のサブエンジン方式冷房装置AU34による冷房改造、1995年度からエンジンをコマツ製SA6D125H-1Hへ換装する工事が実施された。エンジン換装工事実施中は旧エンジン車との併結との関係で出力を265 PS/2,000 rpmに制限し、換装完了後順次330 PSへ引き上げているが、岡山気動車区所属のキハ40形2000番台の一部と3000番台は、2012年1月現在も265 PSのまま使用されている。また、液体変速機を同じくコマツ製のKTF3335A-1A(変速2段・直結3段、自動式)または新潟コンバータ製TACN-22系(変速1段・直結2段、自動式)へ換装する工事も行われたが、台車が元のままで1軸駆動であり、急勾配区間では軸重に対して出力が勝ち過ぎて空転を起こしやすい傾向があるため、台車強度の関係から出力を本来の355 PSから330 PSに落としている。

また、液体変速機のうちコマツ製のKTF3335A-1A換装車は、105 km/h以上で使用可能な直結3段目はキハ40系の最高速度が95 km/hのため使用されず、実質的には変速2段・直結2段である。いずれの工事も2000年度をもって全車の施工が完了している。
1999年度からは、103系電車・113系電車等の国鉄形電車と同様の延命工事が開始され、外観に変化を生じた(改番は行われなかった)。内装は従来と同様である。主な改造内容としては、車体外板腐食部張替え(キハ47形にある戸袋窓は全て埋められている)や、冷房用熱交換器の床下から屋根上への移設、通風器撤去、側窓取替え、化粧板張替え、ドアの半自動装置の電気指令式への変更などである。

また、広島支社(下関総合車両所)配属の車両については側面中央上部にLED式の行先表示器の増設が行われており、これに伴って板式の行先票の使用を終了している。民営化に前後して様々な地域色が登場したが、2009年からは塗装工程の簡略化のため、再び朱色5号単色への塗装変更が進んでいる。

香椎線(かしいせん)は、福岡県福岡市東区の西戸崎駅から同県糟屋郡宇美町の宇美駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。
西戸崎駅 - 香椎駅間は、海の中道を通っているため、この区間には「海の中道線」(うみのなかみちせん)という愛称が付けられている。車両は筑豊篠栗鉄道事業部所属(博多運転区常駐)のキハ40形・キハ47形が使用されている。

2008年4月より香椎線用のキハ47形に対して、前面を青色、側面を白色とした「アクアライナー色」と呼ばれる香椎線独自の塗装への塗り替えが進められている。側面窓下にはかつて運行されていた「アクアエクスプレス」に似たデザインの「AQUA LINER」のロゴが入っている。
また、最近では使用車両のキハ40・47形の一部において、方向幕が従来のサボからLED式への交換が進んでいる。



西麻植駅 JR四国)徳島線

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西麻植駅(にしおええき)は、徳島県吉野川市鴨島町西麻植麻植市、旧・鴨島町(現:吉野川市)の西に位置する四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅です。駅番号はB10。

阿波池田に向かって左側に単式ホーム1面1線をもつ地上駅。瓦ぶき屋根の古い木造モルタル駅舎が残っています。

無人化後は駅舎内で近距離乗車券を販売する簡易委託駅だったが、現在は完全な無人駅となっている。

自動券売機は設置されてなく改札口にはラッチがありません。

待合室は大きな窓が多いため明るく、木製の長椅子が2脚設置されています。


ホームは緩やかにカーブしています。

駅から近い吉野川遊園地は、廃駅になりそうな当駅の利用者増を狙い、地元の名士が私財を投入して建設されたものでしたが2011年(平成23年)8月31日をもって閉園になってしましました。かつてはホームから観覧車が見えていました。

1899年(明治32年)10月5日 徳島鉄道の駅として開業。
1907年(明治40年)9月1日 徳島鉄道が国有化される。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる。

電報略号 オエ←オヱ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1899年(明治32年)10月5日
備考 無人駅

 

豊岡駅 JR西日本・北近畿タンゴ鉄道(

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豊岡駅(とよおかえき)は但馬地方の中心地、兵庫県豊岡市大手町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・北近畿タンゴ鉄道(KTR)の駅です。野生コウノトリの生息地としても知られています。

兵庫県北部の中心都市・豊岡市の中心駅。JR西日本の山陰本線と、KTRの宮津線が乗り入れ、接続駅となっている。宮津線は当駅が終点である。


京都発着の「きのさき」・大阪発着の「こうのとり」をはじめとする、すべての定期旅客列車が当駅に停車する。浜坂方面・福知山方面双方とも、普通列車の多くは当駅始発である。以前は福知山方面から城崎温泉駅へ直通する普通列車も多かったが、2010年(平成22年)3月13日のダイヤ改正による輸送力見直しを受けて削減され、結果として当駅止まりが中心となった。


豊岡市による駅前再開発事業により、駅前広場の拡張のため、JR西日本による豊岡駅の橋上駅舎化が検討され、2010年(平成22年)から豊岡駅東西連絡橋(陸橋)の一部を改良し、バリアフリー化を含めた改築が実施された。2011年(平成23年)2月13日新駅舎が完成しセレモニーが行われ、金色のくす玉割り、また3月のダイヤ改正で採用された大阪 - 福知山直通特急「こうのとり」の車両公開・試運転が開催された。


駅構内には、兵庫県鉄道警察隊豊岡分駐隊があったが、一時閉鎖された後、最近になって、姫路分駐隊豊岡駅詰所として人員配置を復活している(新駅では、1階の1番ホーム付近にある)。なお、国鉄時代は、福知山鉄道公安室豊岡鉄道公安派出所だった。


当駅では、駅弁の販売も行われていたが、2011年(平成23年)9月12日をもって調製元「たで川」の閉店により、発売はなくなった。
新駅舎の完成で、商業施設であるアイティと自由通路で改札口から直接行けるようになり、実質、駅ビルになっている。

JR西日本:単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有する地上駅。こうのとり・柳行李をモチーフとしたデザインの橋上駅舎。

改札口は2階にあり有人ラッチも現役で活用されています。
オープンカウンター式のみどりの窓口があり切符売場に券売機は2台。改札外に待合はなく、自由通路にベンチが置かれています。改札内跨線橋部分に待合室があります。


単式の1番のりば、島式の3・4番のりばは1階にあり、階段またはエレベータを利用する。3・4番のりばの北側には国鉄時代の駅名標がある。新駅舎供用以前は、駅舎は単式の1番のりば側にあり、旧2・3番のりばへは跨線橋で連絡していた。



のりば 路線 方向 行先
1・3・4 ■山陰本線 上り 和田山・京都・大阪方面
下り 城崎温泉・浜坂・鳥取方面


1番のりばが上り本線、3番のりばが下り本線、4番のりばが上下副本線であるが、3線とも両方向の発車に対応している。また、1番のりばと3番のりばの間にはホームのない待機線がある。そのため列車運転指令上では待機線が「2番線」となっている(後述のKTR宮津線ホームは「宮津1番線」)。

また、待機線(2番線)も両方向への出発に対応している。宮津線からJR線へは、1番のりばと3番のりばのみ出入り可能である。なお、2011年2月13日の新駅舎完成後は、旧2番のりばが3番のりば、旧3番のりばが4番のりばとなり、2番のりばが欠番となっている(待機線に相当)。


かつてはある程度発着番線が固定されていたが、2010年(平成22年)3月13日改正以降、普通列車が両方向とも当駅始発・終着を主体としたダイヤとなったこともあり、現在は3線とも上下線の区別なく使用している。

なお、当駅を越えて運転される列車については、行き違いのない場合は両方向とも駅舎側の1番のりばに発着し、行き違いのある場合は、上り(和田山・福知山方面行き)列車が1番のりば、下り(浜坂方面行き)列車が3番のりばか4番のりばに入る。山陰本線経由の上り特急は全て1番のりばから発車するが、下りは固定されていない。


夜間滞泊の設定がある。
当駅は管理駅長が配置された直営駅であり、管理駅として養父駅 - 居組駅間の各駅を管轄している。構内裏手には車庫を併設します。かなり古めかしい設備が多い。

北近畿タンゴ鉄道:頭端式ホーム1面1線を有し、JR線の1番のりばの線路反対側を切り欠いたホームとなっている。

国鉄由来の宮津線なので、元々同一構内でしたが、現在は分離されてJRとは独立した駅舎を持っており、JR側からも中間改札と柵で仕切られている。


直営駅であり、15駅の有人駅の一つでもある(ただし、朝と夜間は無人になる。2011年3月より、無人時にはJR連絡用の中間改札が閉鎖されるので注意)。以前は通常の自動券売機が置かれていたが、2014年1月ごろ食券型券売機に変更された。


発車メロディは2006年(平成18年)12月18日の午後よりコウノトリにちなんだメロディーが流れている。これは豊岡駅の放送設備の更新に伴ったもので、豊岡市は「観光客の耳に豊岡の記憶が残ってもらえれば」とPR効果を期待している。また同市の観光課が、鉄道利用促進担当だったため、発車メロディーの採用を申し出る形となった。「たじまうたのまつり実行委員会」が2006年(平成18年)9月23日に開催された『第2回こうのとり音楽祭』の中から2曲を選定。


各のりば共通(北近畿タンゴ鉄道のりばを除く)
到着時「約束の空へ」(作曲:大西しんぎょう)
発車時「輝いて!こうのとり」(作曲:西田武生)
放送形態の変更により、到着時のメロディーがハイテンポに1回なった後、JR西日本標準の到着ベルが鳴る様になった。発車時のメロディーについての変更はなかった。また発車時のメロディーについては豊岡駅に入線するすべての列車に対して鳴るわけではない。

1909年(明治42年)
7月10日 - 国有鉄道の八鹿駅 - 当駅間延伸により開業(当初は終着駅)。客貨取扱を開始。
9月5日 - 城崎駅(現・城崎温泉駅)まで延伸に伴い途中駅となる。
10月12日- 線路名称制定。播但線の所属となる


1912年(明治45年)3月1日 - 線路名称改定。播但線の福知山駅 - 和田山駅 - 香住駅間が山陰本線に編入され、当駅もその所属となる。
1929年(昭和4年)12月15日 - 峰豊線(宮津線の前身)が久美浜駅まで開業。
1932年(昭和7年)8月10日 - 線路名称改定。峰豊線が宮津線の一部となる。
1984年(昭和59年)1月21日 - 貨物取扱が廃止。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1990年(平成2年)4月1日 - 宮津線が北近畿タンゴ鉄道宮津線に転換。
2006年(平成18年)12月18日 - 午後から発車メロディーを使用を開始する。


2008年(平成20年)8月11日 - 当駅で初めて223系電車が営業運転を始める。
2011年(平成23年)2月13日 - JR新駅舎完成。供用開始。
2012年(平成24年)3月17日 - 駅前広場(路線バス・タクシー駐車場等)が完成。供用開始。

所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 ■山陰本線
電報略号 トカ
駅構造 地上駅(橋上駅)


ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 1,975人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1909年(明治42年)7月10日
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有

所属事業者 北近畿タンゴ鉄道(KTR)
所属路線 ■宮津線
電報略号 トカ
駅構造 地上駅


ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 167人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1990年(平成2年)4月1日
備考 直営駅

 

高速船 和加

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「和加」は以前、広島ー今治間の高速船として活躍。現在は宇品港~江田島・切串間の高速船として25分で結び活躍しています。

高速船「和加」航海速力:21.0ノットはおよそフェリーの2倍の速度です。所属会社ファーストビーチは「瀬戸内シーライン」に社名を変更。船体も新しいカラーリングを施されました。

客船 広島~江田島(切串・小用)
IMO 船舶番号:127263
船籍:日本 船籍港:広島
総トン数:49トン
出力700馬力×2
速力24,0ノット
航海速力:21.0ノット
全長:21.83m 型幅:4.70m
旅客定員:96人 竣工年月:1984.08
船主:瀬戸内シーライン

救難車(改)航空自衛隊

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救難車(改)は、航空事故発生時において、救難作業に必要な人員と機材等を現場に運搬する車両です。

運転台上部には、アーム式の照明設備が装備されています。航空自衛隊の各航空基地に配備されています。

製作 東洋電機工業
車両重量 8.450㎏
最大積載量 510㎏
全長 8.450mm
全幅 2.320mm
全高 3.650mm
エンジン ディーゼル(型式:6BG1)
気筒数 直6
総排気量 6.494cc
最高主力 170ps/3,000rpm
変速段数
・前進5段
・後進1段
乗員13名

中萩駅 JR四国)予讃線

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中萩駅(なかはぎえき)は、愛媛県新居浜市大生院にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である。

駅前に小規模の駅前広場があり、そこから国道11号に向かう道路が南へ伸びている。駅の周囲は住宅地であるが、駅前に商店等はなく少々寂しい。

1番線が上下副本線、2番線が上下本線(制限速度100km/h)となっている一線スルーで対向式2面2線の地上駅。

ホームは屋根なしの跨線橋で結ばれています。構内には元の貨物扱い所を利用した保線用留置線があります。


駅舎は国鉄時代の駅舎をリニューアルしてた洋風木造駅舎です。JR四国の駅舎に共通の出札用窓口があるが、無人駅で自動券売機等はない。

無人化後、駅前の商店で乗車券の販売(簡易委託)をしていたことがあった。待合室には木製の長椅子が1脚あります。

駅から200m南方の国道11号上「中萩駅前」バス停から、新居浜駅・市役所前経由住友病院前行きと西条済生会病院前行きせとうちバスが運行されている。


愛媛県立新居浜病院へは住友病院前行きに乗車(所要6分)。

駅前には鳥居があります。

1921年(大正10年)9月21日 開業。


1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、四国旅客鉄道の駅となる。

電報略号 ナキ
駅構造 地上駅


ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度- 218人/日
-2006年度-


開業年月日 1921年(大正10年)9月21日
備考 無人駅

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