仙台駅(せんだいえき)は、宮城県仙台市青葉区中央一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・仙台市交通局(仙台市地下鉄)の駅である。仙台市地下鉄の駅番号は、南北線がN10、東西線がT07である。JR東日本の駅は、東口および一部ホームが宮城野区榴岡一丁目にまたがっている。また、仙台市地下鉄東西線の駅は青葉区中央三丁目となっている。
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東北地方最大の都市・仙台市の代表駅である。東北新幹線は当駅を通る全営業列車が停車する。仙台都市圏と首都圏との間の高速アクセス手段は、東北新幹線が大宮駅 - 上野駅間を延伸開業した1985年(昭和60年)に、航空路線の仙台空港 - 羽田空港便が廃止されてからは、新幹線が独占的に担っており、当駅の新幹線利用客は1日平均4万人以上となっている。在来線は後述するように、仙台周辺の宮城県内の各都市や仙台空港、山形市、福島市、一関市などとを結ぶJR各線が発着する。市内各所を結ぶ地下鉄も乗り入れ、東北地方最大のターミナル駅となっている。
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「ショッピング、食事、ホテル等の施設も充実し、文化の発信基地としての役割も担う駅」として、東北の駅百選に選定された。なお、1961年(昭和36年)に客貨分離されている。
仙石線を除くJR在来線の軌道敷は、北は宮城野橋(X橋)付近から南は北目町ガード(六道の辻)付近まで及び、仙石線仙台駅は仙台トンネル内を仙台駅東口駅前広場の地下から宮城野通り西端地下まで及ぶ。地下鉄仙台駅は、南北線が愛宕上杉通り地下を北は中央通りから南は仙台駅西口バスプールまで(仙石線あおば通駅と青葉通り地下で直結)、東西線が南町通り地下を通っている。
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R東日本
新幹線は線路名称上は東北新幹線のみであるが、当駅には東北新幹線の列車の他、秋田新幹線直通列車(こまち号)や北海道新幹線直通列車も停車する。
在来線は次の各線が乗り入れる。
東北本線 - 当駅開業時からの路線であり、当駅の所属線となっている。
仙山線 - 当駅を起点とし、山形駅までを結んでいる。
仙石線 - 石巻駅までを結んでいる。かつては当駅が起点であったが、地下化と同時に起点は1つ隣のあおば通駅となり、当駅は途中駅となった。
正式な線路名称上は以上の3路線であるが、東北本線を介して以下の路線も乗り入れる。
常磐線 - 福島県浜通りへと通じている。岩沼駅から東北本線経由で乗り入れる。
仙石東北ライン - 仙石線高城町駅以東から、仙石線・東北本線接続線、東北本線を経由して乗り入れる列車の愛称。当駅を起点としている。
仙台空港鉄道仙台空港線 - 仙台空港とを結ぶ空港連絡鉄道。名取駅から東北本線経由で全列車が乗り入れ、全区間に「仙台空港アクセス線」の愛称が付けられている。
阿武隈急行阿武隈急行線 - 槻木駅から東北本線経由で一部列車が乗り入れる。土休日は、「ホリデー宮城おとぎ街道号」との列車名が付される。
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国有化は、日本鉄道が1906年11月1日、宮城電気鉄道が1944年5月1日。
国鉄丸森線の阿武隈急行移管は1986年7月1日。
国鉄分割民営化によるJR東日本移管は1987年4月1日。
駅舎は地上4階建/地下1階、南北方向に広がっている。駅西口に駅ビルが併設され、S-PAL仙台本館(地上6階/地下1階)・ホテルメトロポリタン仙台(地上21階/地下2階)が南側に、S-PAL II(地上2階部)が北側に位置する。また、東口再開発に合わせてS-PAL仙台東館(地上6階・一部4階/地下1階建、2016年3月18日開業)及び宿泊施設棟(地上14階/地下1階建、2017年6月19日開業)・オフィス棟(地上13階/地下1階建、2018年度以降開業予定)も建設される。
コンコースは在来線が2階、新幹線が3階にある。
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在来線改札口は西口側に「在来線中央改札口」(中央口から改称)、S-PAL地下1階に「地下南口」、東口側・仙石線地下改札口に「JR仙石線仙台駅改札口」(仙台駅東口改札から改称)の3か所で、東口再開発に合わせて東口2階コンコースにも新設される[36]。
みどりの窓口は、3階中央みどりの窓口と3階新幹線乗換口(新幹線乗換口は在来線改札内のため、当日分のみ)の3か所で、JR仙石線仙台駅改札口(仙台駅東口改札)と地下南口改札にはない。中央口北側に「びゅうプラザ仙台」がある。かつては1階にJR北海道が運営する「JR北海道プラザ仙台支店」があり、みどりの窓口としても機能していたが、現在は閉店している 。新幹線中央改札口に指定席券売機があるが、これはえきねっとで申し込みをした乗客の為の切符受け取り専用機となっている。
なお、3F新幹線南口改札口にあった指定席券売機とえきねっと専用受取発券機は2015年12月6日から使用を開始した南口改札口と2F在来線コンコースとを接続する乗換通路の工事に伴い、みどりの窓口側に移設された。
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仙台市地下鉄への乗換は、地下南口から西口地下歩道を経由して地下鉄東改札へのルートが便利。仙台市地下鉄仙台駅とは地下自由通路・西口地下歩道で接続しているため、地下自由通路を利用すればあおば通駅からJR仙台駅(仙石線を含む)への徒歩連絡も可能であるが、連絡運輸は行っていない。
駅舎の屋上は、ジェイアールバス東北が管理する24時間営業の「仙台駅屋上駐車場」(駐車可能台数333台。時間貸し・月極)となっており、愛宕上杉通りと柳町通との交差点から出入庫する。地上との高低差があるため、入庫用と出庫用の二重らせんの自走ループ線によるスロープ棟が併設されている。
直営駅(駅長・助役配置)であり、管理駅としてあおば通駅を管理している。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。
JR仙台駅の事務管コードは▲231035、仙台市内の事務管コードは▲239901である。
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のりば
1番線 - 1面1線の単式ホーム。
2 - 4番線 - 1面3線の島式・切欠きホーム。切欠き式となっている3番線は、青森方には進行不可能である。
5・6番線 - 1面2線の島式ホーム。
7・8番線 - 1面2線の島式ホーム。通常は仙山線用として使用されている。
9・10番線 - 地下2階にある仙石線専用の1面2線の島式ホーム。
11 - 14番線 - 4階高架にある2面4線の島式ホーム。
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在来線 地上ホーム
1・2 東北本線 (下り) 岩切・利府・塩釜・小牛田方面
仙石東北ライン 塩釜・高城町・石巻方面
3東北本線 (上り) 岩沼・白石・福島方面
仙台空港アクセス線 名取・仙台空港方面
4 東北本線 (下り) 岩切・利府・塩釜・小牛田方面
(上り) 岩沼・白石・福島方面
常磐線 亘理・相馬・原ノ町方面
仙台空港アクセス線 名取・仙台空港方面
仙石東北ライン 塩釜・高城町・石巻方面
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5 東北本線 (上り) 岩沼・白石・福島方面
常磐線 亘理・相馬・原ノ町方面
仙石東北ライン 塩釜・高城町・石巻方面
6東北本線 (上り) 岩沼・白石・福島方面
常磐線 亘理・相馬・原ノ町方面
7・8 仙山線 愛子・作並・山形方面
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仙石線 地下ホーム
9 仙石線 (上り) あおば通行き
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10 (下り) 本塩釜・松島海岸・石巻方面
新幹線ホーム(高架)
11・12 東北・秋田・北海道新幹線 (下り) 盛岡・新青森・秋田・新函館北斗方面
(上り) (当駅始発)郡山・大宮・東京方面
13・14 (上り) 郡山・大宮・東京方面
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西口(中央口)側は、伊達政宗が仙台城下町を開府して以来の仙台の中心地である。メインストリートである青葉通りは、大手銀行や証券会社が連なり、金融街を形成している。
1887年(明治20年)12月15日に東北本線の仙台駅開業の際、駅舎が現在の西口に設置されて成立した。西口にはその後、1925年(大正14年)6月5日に宮城電気鉄道・仙台駅(1952年移設)、1926年(大正15年)11月25日に仙台市電・仙台駅前駅(1976年廃止)、1987年(昭和62年)7月15日に仙台市地下鉄・仙台駅、2000年(平成12年)3月11日にJRあおば通駅が設置され、仙台の玄関口として機能している。
2階コンコースと直結するペデストリアンデッキは、新幹線開業前の1977年12月に完成したもので、その面積・総延長距離は日本一である。ペデストリアンデッキは、アエル、かつてさくら野百貨店が入居していた豊ビル、Loft、LABI、EBeanS、仙台パルコといった、駅前に立地する大型店をはじめとするビルの2階部に接続している。
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駅西口と中央改札口との間にある「ステンドグラス前」は、仙台市都心部の待ち合わせ場所として利用されている。以前はステンドグラス横に伊達政宗像(2代目)があり、「伊達前」と呼ばれていたが、2008年10月から12月の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに向けた駅改修のため、同年3月1日をもって大崎市に譲渡され、同月16日より同市にある陸羽東線有備館駅に移設された。また同年2月1日より、4代目の駅舎に設置されていたものを復刻したアナログ式の大時計が2階中央改札口前のコンコース壁面に設置されている。「ステンドグラス前広場」は催事場として、各種の物販イベントやギャラリーなどに用いられる。また、ステージを設置して、無料のミニコンサートもしばしば開催される。定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台や仙台ゴスペル・フェスティバルでは、ペデストリアンデッキ上で演奏が行われる。
仙台駅西口駅前広場には、北から「一般車降車場」(一般車用の降車ロータリー)およびそれに囲まれた仙台駅自家用車駐車場(平面駐車場。60台駐車可。最初の20分間は無料、以後200円/30分)、「ロータリー降車場」(タクシー、観光バス、一般車の降車)、「タクシープール」、「仙台駅西口バスプール」が並んでいる。2008年のデスティネーションキャンペーンに合わせ、一般車から降車する場合は、「一般車降車場」または「ロータリー降車場」を使用し、一般車に乗車する場合は、仙台駅自家用車駐車場を使用するよう変更された。
西口北側は、繁華街である一番町に通じるショッピングストリート中央通りが東西に伸び、多くの買い物客で賑わう。西口南側の南町通りと柳町通りの間(EBeanSの裏)には「仙台朝市」があり、生鮮食料品を始めとする店舗が立ち並ぶ。
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東口側には、仙台城下町の開府前に仙台平野の中心地があったが、現在の町並みとの関連は薄い。1882年(明治15年)2月25日、県内初の軌道である宮城木道(木道社)が東六番丁13番地に東六番丁停車場を設置し貨物輸送を始めるが、1887年(明治20年)12月15日に東北本線の仙台駅が東六番丁に設置されて廃線となった。その後、1929年(昭和4年)6月1日に宮城電気鉄道・東七番丁駅が設置され、仙台東口駅、仙石線仙台駅と改称しながらも東口の動線を集めていた。1978年(昭和53年)3月18日に仙台駅構内に東西自由通路が開通して西口と繋がり、仙台駅東第一土地区画整理事業により宮城野通りが開通し、2000年(平成12年)3月11日に仙石線仙台駅が地下化され、オムニバスタウン事業により東口の整備が進むと、東口の動線は現在の宮城野通口に集まるようになった。
このような変化により、中小規模の店舗が多かった東口周辺にヨドバシカメラ仙台店などの大型店が進出した。2003年に撤退した旧ラオックス跡にはBiVi仙台駅東口がオープンした。他方で駅前広場の再開発も進められ、2004年7月に東口ペデストリアンデッキが新たに供用を開始し、同時に高速バス乗り場も整備された。現在、JRバス東北・東北アクセス・宮城交通・日本中央バスなどが高速バス乗り場を使用している。
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仙石線地上線跡地一帯では仙台駅東第二土地区画整理事業が進められ、マンション開発を中心に高度利用が進む。さらに、地下鉄東西線開業に伴い新たに宮城野通駅が開業した。JR東日本が東口再開発事業を進め、商業施設・ホテル・オフィスの4棟の駅ビル及び在来線改札口を新設。ヨドバシカメラも連鎖再開発事業を実施するなど、長らく「駅裏」と呼ばれてきた地区が変わりつつある。
東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、Koboパーク宮城への最寄り駅は仙石線の宮城野原駅であるが、仙台駅東口ペデストリアンデッキから球場正面入口までは宮城野通りを一直線に約1.6km、徒歩20分程で行くことができる。また試合開催時に限り、東口バスプール - 宮城球場間のシャトルバス(仙台市営バス・宮城交通の共同運行、運賃100円)が運行されるほか、JRバス東北(一部共同運行会社を含む)の高速バスの一部が延長運転し宮城球場前まで乗り入れる。
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江戸(東京) - 仙台の所要時間は、江戸時代には上りが約半月かかった(仙台藩の参勤交代では8-9日間)。1876年(明治9年)の奥羽巡幸において明治天皇が馬車で各地を回ると、1877年(明治10年)に仙台・国分町と岩沼とを結ぶ馬車会社が開業し、さらに馬車会社の万里軒が1881年(明治14年)に仙台 - 白石、1883年(明治16年)に仙台 - 福島の運行を開始した。このような都市間乗合馬車を乗り継くことで、東京 - 仙台の所要時間は3泊4日に短縮された。
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1887年(明治20年)12月15日、日本鉄道の駅として仙台駅が開業。このとき東京府・上野駅から宮城県・塩竈駅まで通じ、上野 - 仙台間の所要時間は12時間20分となった。すると鉄道と並行する都市間乗合馬車は急速に衰退して廃業し、仙台 - 塩竈間に並行していた馬車軌道の木道社(宮城木道)も廃業に追い込まれた。
仙台駅周辺における当初の敷設計画では、多くの都市と同様に市街地端へ線路を設け(現在の宮城野貨物支線に近いルート)、当時の宮城郡苦竹村、現在の仙台貨物ターミナル駅付近に停車場を設けようとした。しかし、仙台城下町以来の街の衰退を恐れた地元商人がこれに反対し、費用負担を申し出て日本鉄道に変更を求めた。これが仙台区のほとんどの組(現在の町内会)を巻き込んだ運動になった。一方、士族を中心にした東京在住の仙台出身者は、都市の将来発展のためには原案が望ましいと論じていたが、最終的には当時の宮城県知事松平正直も変更を支持し、地元の費用負担なく東六番丁通りの現在位置に決定した。
初代の駅舎は木造平屋建ての小さな建物で線路の西側に位置し、幅35m・奥行き8m・面積236m2であった。また、駅前広場には馬車を回すロータリーがあった。
1894年(明治27年)、駅舎は改築され、木造ペンキ塗、中央部は2階建て両翼は平屋、面積8,407m2という、当時としては大きく立派なものとなった。この駅舎には増・改築が重ねられたが、1945年(昭和20年)の仙台空襲により焼失した。
この間、1906年に日本鉄道は国有化され、国鉄東北本線となった。1925年に仙台地区では初の直流電化路線である宮城電気鉄道(後の仙石線)が西塩釜駅まで開業し、1929年には仙山東線(後の仙山線)が愛子駅まで敷かれた。所要時間は1926年に上野 - 仙台間が8時間弱となり、乗降客数は1928年に1日平均9,649人を数えた。この頃の仙台駅は東北地方で最多の旅客をさばいたが、貨物では青森駅・塩竈駅(旧駅)などに引き離され、6位に留まった。1909年(明治42年)の汽車貨物では、米529トン、雑穀160トン、麦粉328トン、食塩383トン、酒406トン、鮮魚458トン、鉄類369トン、陶磁器298トン、硝子器150トンなどを送り出した。1926年(大正15年)11月25日には仙台市電が仙台駅前駅 - 荒町日赤病院前駅において開業し、駅前広場に隣接する駅前通りに仙台駅前停留所が設けられた。
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1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で仙台市街は大きな被害を受けた。仙台駅も死者4人を出して破壊され、他の駅から資材を回すなどしてバラック建ての駅舎を急造した。終戦直後の仙台駅発着の車両は、石炭不足で削減されて超過密状態で、利用客の8割が食料買い出しに向かう人々であった。その一方で、進駐軍は車両やホームを専用で留め置いて効率的運用を妨げ、その将兵の中には駅員に横暴を働く者もあった。
1948年(昭和23年)に新駅舎の建設が始まり、翌1949年(昭和24年)に竣工した。新たに駅前広場へのメインストリートとして青葉通りが敷かれ、1950年に駅前の舗装が完成したことで、駅および駅前広場の復興は一段落した。駅舎は木造モルタル2階建、面積2,023.9m2であった。この駅舎は仮駅舎の予定であったが、結局1972年(昭和47年)まで使用されることになった。1952年(昭和27年)6月1日には仙石線の地下ホームへの発着が廃止となり、工事のための運休を経て、9月26日から従来仙台東口仮乗降場として使用していた設備を仙石線仙台駅として運転するようになった。
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1951年(昭和26年)、東北子供博覧会開催時に、博覧会事務局は駅前広場の一部を11か月の期限付きで借りて建物を作った。しかし、博覧会終了後、河北新報社長菅野千代夫を社長とする河北実業株式会社が設立され、土地の賃借権を主張して返還を拒み、建物を店舗用に賃貸した。これが駅前ショウハウスである。地元有力紙の関連企業を相手にした明け渡し交渉は難航し、1972年までそのままとなった。
復興計画の一環として、国鉄は1946年(昭和41年)、仙台駅前後の曲線区間を避け短絡する宮城野貨物線を敷き、そこに貨物駅を設置し、仙台駅を旅客専用にする計画を作成した。その後、貨物取り扱いの増加により12年後の1958年に工事が始まり、1961年に宮城野駅が開業した。これに伴い、仙台駅は貨物の取り扱いを廃止した。
新幹線の登場まで、仙台駅に停車する急行・特急は少しずつ速くなっていった。上野駅-仙台駅間の所要時間でその一部を拾うと、戦時中の1945年(昭和20年)1月に急行202列車は8時間33分かかった、初の特別急行列車である特急はつかりは、1958年(昭和33年)の登場時に5時間25分で走った。1965年(昭和40年)には、東北本線の電化により常磐線を経由しない特急電車ひばりが現われ、4時間35分とした。
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東北新幹線開業に伴う駅舎新築のため、1972年に西口駅前広場に仮駅舎を設置、仮駅舎の後方の旧駅舎を取り壊し、新築駅舎は1977年に竣工、在来線のみの駅として部分供用を開始した。新幹線工事のために、1973年2月1日始発駅発の列車から、深夜に仙台駅を通過する旅客列車は宮城野貨物線へ迂回となり、1978年(昭和53年)10月2日から仙台駅経由に戻った。この間、長町駅に代わりに停車して長町 - 仙台間で代行バスの運転が行われ、また多客期や荷物列車については仙台駅経由が続けられていた。駅前ショウハウスの店子は仮駅舎設置時に強制執行で立ち退かされた。仙台市電は、1976年(昭和51年)4月1日に廃止となり、仙台駅前停留所も撤去された。
新駅舎の全面供用は、およそ5年後の新幹線開業時である1982年となった。1990年代に入ると駅構内の東側の留置線が整理され、家電量販店やアミューズメント関連施設の用地となった。利用客は1986年、新幹線・在来線合わせ、1日平均17万5千人となった。
新幹線停車駅は、仙台駅、宮城野駅、長町駅が浮上し、それぞれ「新幹線現仙台駅建設促進期成同盟会」、「新幹線東部地区設置期成同盟会」、「新仙台駅誘致仙南期成会」を結成して運動した。宮城野駅、長町駅は、ルート上に曲線区間が少なく減速を最小として通過できること、敷設距離短縮による工事費節減のメリットがあった。しかし、新幹線停車駅へ全列車停車すること、仙台市都心部へのアクセス利便性の確保から、新幹線停車駅は仙台駅に決定した。
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2004年(平成16年)、仙台空港鉄道(仙台空港アクセス線)の開業に先んじ、ホームの改良工事を実施。1番線と2番線(当時)の間にあった中線を活用するため、2番線(当時)の北側部分(盛岡方面)を埋め、切欠きホームとした。中線に接するホームを新2番線とし、旧2番線を3番線に、以降在来線のホーム番号が1つずつ大きい数字に繰り下げられている。2007年(平成19年)3月18日、仙台空港鉄道が開業し、仙台駅への乗り入れを開始した。
2008年(平成20年)に入ると、地下鉄東西線開業に向けた工事が本格化していった。
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東口再開発
2009年夏、JR東日本は仙台市地下鉄東西線開業に呼応する形で東口一帯の所有地再開発に着手する構想を発表した。計画の変更等を経て2012年1月、再開発計画を正式発表。再開発予定地に含まれたZepp Sendai及びE-GATE(商業施設)は2012年に閉鎖、解体。2013年3月27日、再開発工事が着工した。
これに合わせ、仙台市は西口・東口駅前広場の再整備を行い、バスターミナルの増設や移設・改編等に取り組む。
東西自由通路の拡幅
仙台駅の東西をつなぐ自由通路の幅を6mから16mに拡幅した。通路は3階層分の吹き抜け構造で[39]、2016年3月18日に完成した]。自由通路拡幅の工費の3分の2は、仙台市が負担した。
商業施設と新改札口の設置
東西自由通路の両側、在来線ホームの上に2棟の商業施設を建設する。北棟は4階/地下1階建、南棟は6階/地下1階建で、自由通路を合わせた延べ床面積は約43,000m2。自由通路と同様に、2016年3月18日完成。北棟2階部には新改札口(東口)、南棟上層階には約250台分の駐車場を新設。新商業施設はS-PALとの連動を視野にいれている。
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ホテル棟
ホテルは、E-GATE跡地に建設予定。14階/地下1階建、延べ床面積は約14,000m2、客室は280室。ホテルメトロポリタン仙台の別館を想定しているが、コンベンション施設やウエディング施設を併設する本館とは異なり、宿泊特化型となる。宿泊料金は本館よりも高く設定される見込み。低層階は商業施設となり、北棟商業施設と一体となる。2014年春着工、2017年6月19日開業。
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オフィス棟
オフィスは、Zepp Sendai跡地に建設予定。13階/地下1階建で、1階には多目的ホールを設置する。着工時期は未定。完成は2018年度以降となる見込み。
駅内リニューアル
新幹線連絡改札口の増設(東京方面側)及び移設(新青森方面側)、構内店舗・みどりの窓口の改修、ベビー休憩室の新設などが行われた[。2014年4月には、駅舎天井の改修工事にも着手。仙台城の大広間をイメージした格子天井を茶色を基調とした色合いにし、東口再開発とのデザインに連続性を持たせる。
また、「おみやげ処 せんだい」がリニューアルしたほか、「駅弁屋 祭」の出店、2015年12月4日には「ずんだ小径」がオープンするなど、駅構内店舗の改装・新規開店も行われた。
仙台市は、西口地下歩道・地下鉄入口(地下1階)と西口バスターミナル(地上階)、ペデストリアンデッキ(2階)、新幹線改札階(3階)とを結ぶエレベーターの新設工事を行う。
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仙台駅は駅弁の種類が日本で最も多い駅である。仙台 - 首都圏・東北各都市間のビジネス客による需要や、東北新幹線車内の需要、観光客による需要が多いこと、仙台は山海の食材が豊富に揃う、といった点から駅弁の種類が増加していった。「伯養軒」と「こばやし」の2つの業者が1つの駅で競い合っていたことに加え、現在は先の2社の他に「日本レストランエンタプライズ」(NRE) が加わっている。「牛タン」弁当が売上一番であるが、他にも駅弁が数多く作られている。 この他に、NREがJR東日本管内の有名駅弁を集めて販売している売店「駅弁屋 旨囲門」や「駅弁屋 祭」が中央改札外にあり、全国の主な駅弁も当駅で購入できる。
駅弁以外にも、歩きながら食べられる安価なグルメとして「ずんだシェイク」が認知されている。中央通りの笹かまぼこ屋の「ひょうたん揚げ」、一番町のお茶屋の「抹茶ソフトクリーム」と並び、仙台の三大食べ歩きグルメとなっている。駅3階の新幹線中央改札口の脇に、「牛たん通り」「寿司通り」と称して、仙台牛タン焼きの店とすし屋が軒を連ねている。
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1890年(明治23年):大泉屋弁当部(現在のウェルネス伯養軒)が弁当の販売を始める。
1894年(明治27年)6月1日:2代目の駅舎が完成(写真1894年)。
1897年(明治30年):磐城線(現在の常磐線)乗り入れ開始。
1904年(明治37年)
2月8日:第2師団の応召兵が仙台に向けて集結開始。
2月17日:第2師団の出征輸送開始。
1905年(明治38年):駅構内で食堂、売店の営業が始まる。
1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道が国有化。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定、東北本線所属駅となる。
1925年(大正14年)6月5日:宮城電気鉄道線(現在の仙石線)が西塩釜駅まで開業。
1926年(大正15年)11月25日:仙台市電開通。
1928年(昭和3年)4月20日:名掛丁に地下道を設置。
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1929年(昭和4年)9月29日:仙山東線(現在の仙山線)が愛子駅まで開業。
1945年(昭和20年)7月10日:仙台空襲で駅舎が損傷
1948年(昭和23年)
日付不明:駅舎の大時計を宮城県中央児童館に寄贈。
4月:4代目の駅舎の工事開始。
1949年(昭和24年)
5月7日:正面入口に大時計設置。
5月18日:4代目の駅舎が完成。
1952年(昭和27年)
6月1日:仙石線の地下ホームが廃止となる。工事のために仙石線を運休。
9月26日:仙石線の仙台東口仮乗降場として使用されていた設備を利用して仙石線の運転を開始。
1961年(昭和36年)6月1日:新設の宮城野駅に貨物取扱の一部を譲渡、一般向けの貨物営業終了。
1972年(昭和47年)1月:5代目の仮駅舎が建てられる。
1973年(昭和48年)2月1日:新幹線工事のために深夜の旅客列車を宮城野貨物線へ迂回開始。
1976年(昭和51年)4月1日:仙台市電廃止。
1977年(昭和52年)12月15日:6代目(現在の)駅舎が営業を開始。
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1978年(昭和53年)
3月18日:東西自由通路が完成。同時に駅ビル・S-PAL開業。
10月2日:深夜の旅客列車迂回運転を終了、仙台駅経由に戻す。
1980年(昭和55年)2月13日:西口に大時計が取り付けられる。
1982年(昭和57年)6月23日:東北新幹線開業(写真 1983年仙台ターミナルホテル(現在のホテルメトロポリタン仙台)建設前)。
1984年(昭和59年)1月15日:貨物の取り扱いを全廃(旅客駅となる)。キリンビール仙台工場、日本専売公社仙台工場専用線廃止。
1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取り扱いを廃止。
1987年(昭和62年)
4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)が継承。
7月15日:地下鉄南北線開業。
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1988年(昭和63年)7月11日:仙台ターミナルホテル開業。
1996年(平成8年):駅構内でコンサートを行う「みちのくエキコン」がスタート。
2000年(平成12年)
3月11日:仙石線の地下化に伴い、地下ホームの使用を開始。
9月22日:ISO9001認証取得。
11月11日:この日の公演をもって「みちのくエキコン」が打ち切りとなる。
2002年(平成14年)
東北の駅百選に選定される。
12月8日:JR駅に自動改札機導入。
2003年(平成15年)10月26日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。
2005年(平成17年)
3月1日:新2番線ホームの使用を開始。
4月9日:同日夜から翌朝にかけて電子連動化工事が行われる。同17日に放送設備も更新。
2007年(平成19年)3月18日:仙台空港鉄道仙台空港線開業に伴い、仙台空港アクセス線として仙台空港駅まで直通運転を開始。
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2008年(平成20年)
2月1日:4代目駅舎に設置されていたアナログ式大時計が2階中央口前コンコース壁面(3階部分との吹き抜け部分)に復刻。
3月15日:モバイルSuica特急券のサービスを開始。
6月18日:S-PAL II営業開始。
8月10日:仙台駅北部名掛丁自由通路が使用を開始。
2009年(平成21年)
3月14日:東北新幹線郡山 - 仙台間のSuica FREX定期券・Suica FREXパル定期券と、新幹線停車駅が2駅以上含まれるSuica定期券のサービスを開始。
12月5日:地下鉄南北線駅の可動式ホーム柵の運用開始。
2011年(平成23年)
3月11日:JR仙台駅は東北地方太平洋沖地震によって駅舎の天井や壁が崩落するなどの甚大な被害を受けたため、地下鉄仙台駅は設備点検のため営業を中止。
4月7日:東北地方太平洋沖地震の余震とみられる地震により、JR仙台駅は案内板の崩落やスプリンクラーの誤作動によって浸水するなど、再び被害を受け、JR・仙台市地下鉄ともに運転を取りやめた。
7月23日:仙台空港アクセス線が運転を再開したことにより、仙台駅に乗り入れる全路線が復旧。
8月22日:地下鉄東西線開業に向けた地下鉄仙台駅改良工事を開始。
2013年(平成25年)
3月27日:JR仙台駅東口再開発事業着工。
10月:駅前広場再整備事業着工。
2014年(平成26年)12月6日:地下鉄南北線でICカード「icsca」の利用が可能となる。
2015年(平成27年)
5月30日:仙石東北ライン開業。
12月6日:仙台市地下鉄東西線開業。新幹線南改札口業務委託化。
2016年(平成28年)3月18日:仙台駅東西自由通路を6mから16mに拡幅。同時に、S-PAL仙台東館営業開始]。
2017年(平成29年)3月21日:地下東口改札と地下南口改札を無人化
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電報略号 セン
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅・地下駅(在来線)
ホーム 2面4線(新幹線)
4面8線(在来線・地上)
1面2線(在来線・地下)
乗車人員
-統計年度- 87,340人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1887年(明治20年)12月15日
乗入路線
所属路線 ■東北新幹線
(北海道新幹線・■秋田新幹線直通を含む)
キロ程 351.8km(東京起点)
◄白石蔵王 (45.0km)(43.2km) 古川►
所属路線 ■東北本線
(■常磐線直通・仙台空港アクセス線■■仙石東北ライン**含む)
キロ程 351.8km(東京起点)
◄長町 (4.5km)(4.0km) 東仙台►
所属路線 ■仙山線
キロ程 0.0km(仙台起点)
(3.2km) 東照宮►
所属路線 ■仙石線
キロ程 0.5km(あおば通起点)
◄あおば通 (0.5km)(0.8km) 榴ケ岡►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
仙 仙台市内駅(中心駅)
* 正式な所在地。東口および仙石線ホームは宮城野区榴岡一丁目(北緯38度15分36.7秒 東経140度53分2.9秒)にまたがる。
** 塩釜駅(運賃計算上は松島駅)から仙石線高城町駅に乗り入れ
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