JR四国には分割当時、111系のみが配置されていたが、それらの老朽取替えにあたり、1999年にJR東日本で廃車となった0'番台4両編成3本12両と、部品提供車として車籍の無い3両が譲渡された。当初は自社形の6000系増備が計画されていたが、資金難などを理由に増備されることはなかった。
譲渡車は、部品提供車1両(クハ111-507)が幕張電車区所属車である他はすべて東海道本線および伊東線で使用されていた国府津電車区の所属車であり、一部はロングシート改造車も含まれていたが、JR西日本の体質改善40Nリニューアル工事が利用客から好評であったことから、各部にそれに準じた徹底的な更新が実施された。内装材の交換、座席の転換クロスシートへの交換などの内装関係と補助電源装置の静止形インバータ化とこれにともなうパンタグラフの2基化などの機器関係の更新、窓サッシの黒色化、雨樋形状の変更が行われている。
JR西日本車と異なり前面にも改造が加えられ、前照灯および尾灯形状が角型のものに変更され、種別・行先表示器部分にも前照灯2灯が増設。行先表示器は貫通扉下部に移設された。また乗務員保護のために窓下の鉄板が厚くされ、内部に衝撃吸収材を埋込むと同時に、貫通路部分の窓が拡大されている。一方で、窓枠は種車のものが再利用されたため、銀枠とはなっていない。また、四国のモハ110形や6000系と同様の方式の中間車乗務員室がモハ112形に設置されたことなどもあり、座席数は西日本のリニューアル車より少ない。中間乗務員室は6000系よりも若干広く取られている。
1両に片側3箇所あるドアには1つずつ、合計で3つの、それぞれ違う音が3回鳴るドアチャイムが設置された。それぞれの音には、ずれがあるため、乗務員がドア操作をした場合は混ざってずれた音が3回鳴る。
従来111・113系の制御車はクハ111形であったが、新形式のクハ113形(元クハ111形0番台)・クハ112形(元クハ111形300番台)が与えられ、中間車のモハ113・112形も旧番を踏襲せず、それぞれ1番から付番された。113系モハの1・2番ユニットはJR西日本に、モハの3番ユニットはJR東海にそれぞれ承継されていたが、1・2番ユニットは当時高速化改造を受け-5001と-5002に改番されており、また3番ユニットはすでに廃車となっていたため、車番の重複は発生していない。
第1・第2編成は2000年、第3編成は2001年から営業運転を開始した。全車が高松運転所に在籍し、高松近郊の予讃線・土讃線を中心に運用されている。かつては本四備讃線(瀬戸大橋線)・宇野線でも運用され、JR西日本管内で運用された時はドアは季節に関わらず自動であった。
また、本系列は予備車を保有していないため、故障・検査時は121系4両(2両+2両)が代走する。ただしかつて運行されていた、岡山 - 観音寺間およびその列車の運用に絡む予讃線・土讃線の普通列車には必ず本系列が充てられていた。これは、121系はトイレが非設置かつ側窓が上昇式であることから、規定上、瀬戸大橋の海上区間では営業運転できないためである。
2013年3月より、第3編成が「瀬戸内国際芸術祭」の作品として荒木経惟による『エロス(生)とタナトス(死)の共存』をテーマとしたラッピング車両として運転され、2016年3月19日に運転を終了した。
JR四国リニューアル色
111系の代替としてJR東日本からJR四国に譲渡された車両に施された塗色である。編成毎に配色が変えられており、現在は、空色+緑、ピンク+赤、黄色+オレンジの3パターンが存在している。
JR四国では民営化後にJR東日本から3編成12両が譲渡され、以下の路線で使用されている。
予讃線 高松 - 伊予西条間(観音寺 - 伊予西条間は1日1往復のみ)
土讃線 多度津 - 琴平間(ただし2017年11月時点で同区間での定期運行は無い)