昭和13(1938)年製のSL。旅客列車・貨物列車を約50年にわたり牽引し、北部・西部九州で活躍した。
日本車輌製造 名古屋NO.566 新製 配属 門司局
1955-8-1現在 直方
1962-3現在 直方
1964-4-1現在 門司
1970-10-1休車
1971-1-7(1-29?)廃車 門司
2次形 (C11 24 - 140)
アーチ管が取付けられ、1次形では第2缶胴上にあった砂箱と蒸気ドームの位置が互いに入れ替わった。これは、下り勾配で缶水が前方にいった場合に、蒸気ドーム内に缶水が入る恐れがあったため、その対策として行われた。
国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車である。
老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年に設計されたC10形の改良増備車として設計・製造された軸配置1C2の小型タンク式蒸気機関車である。
C50形のものよりボイラバレル径をやや太く、そして全長を短く再設計した2缶胴構成の過熱式ボイラーを、肉厚圧延鋼板を切り抜いて加工・組み立てした主台枠に搭載する。
ボイラーの火床面積は1.6平方mで、基本となったC50形のものより若干小さいが、ほぼ同等の面積を確保している。
過熱器はC10形と同じ4段構成であるが、最上段を4列、それ以外を6列としていた同形式とは異なり、4段とも6列構成として性能向上を図っている。
シリンダ構成は一般的な単式2気筒、弁装置は鉄道省で標準的に採用されていたワルシャート式で、動輪径は総重量・ボイラー寸法などから8620形やC50形などで採用されていた1,600mmより5パーセント小さい1,520mmとされた。
先台車の復元装置はC50形で初採用されたエコノミー式が踏襲され、従台車は外側軸受支持による釣り合い梁式2軸ボギー台車を備える。
最初は主に西日本の都市近郊や主要支線で使用された。近畿地方の快速列車を牽引した際には特急と張り合う俊足ぶりを発揮した。やがて活躍の場を広げてほぼ全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引に使用された。気動車が普及するにつれて余剰となり始め、1960年(昭和35年)ごろから少しずつ廃車が出たが、貨物列車用や入換用として蒸気機関車の末期まで数多く残った。
優等列車運用への充当例としては、現役時代も終わりに近づいた1965年(昭和40年)10月から1968年(昭和43年)9月にかけて、肥前山口駅で長崎発着編成と佐世保発着編成を分割併合して運行されていた寝台特急「さくら」(2001・2002レ)の佐世保発着編成のうち、佐世保線早岐 - 佐世保間8.9kmの牽引に抜擢されたのが最も良く知られている。
これは早岐駅の立地と構内配線の制約から、肥前山口から早岐を経て佐世保に至るルートで直通列車を運転する場合には列車を早岐でスイッチバックさせる必要があった[注 7]が、早岐以東の本務機であるDD51形を同駅で機回しする所要時間に比して早岐と佐世保の間の運転所要時間が短く、かといって「さくら」の20系客車は機関車を最後尾とした推進運転に対応していなかったことから、機関車の付け替え時間の節減を図って当時早岐機関区に配置され佐世保・大村の両線で運用されていた本形式を早岐 - 佐世保間の牽引機に起用したものである。
運用者 鉄道省 → 日本国有鉄道
製造所 汽車製造・川崎車輛
日立製作所・日本車輌製造
製造年 1932年 - 1947年
製造数 381両
愛称 Cのチョンチョン
主要諸元
軸配置 1C2
軌間 1,067 mm
全長 12,650 mm
全高 3,900 mm
機関車重量 66.05 t(運転整備時)
動輪上重量 36.96 t(運転整備時)
動輪径 1,520 mm
軸重 12.40 t(第3動輪上)
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程) 450 mm × 610 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 14.0 kg/cm2
後に15.0 kg/cm2
ボイラー水容量 3.8 m3
大煙管
(直径×長さ×数) 127 mm×3,200 mm×24本
小煙管
(直径×長さ×数) 45 mm×3,200 mm×87本
火格子面積 1.60 m2
全伝熱面積 103.0 m2
過熱伝熱面積 29.8 m2
全蒸発伝熱面積 73.2 m2
煙管蒸発伝熱面積 63.2 m2
火室蒸発伝熱面積 10.0 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 3.00 t
水タンク容量 6.8 m3
制動装置 自動空気ブレーキ
最高運転速度 85 km/h
最大出力 783 PS
定格出力 610 PS