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海軍大社航空基地跡地:新川滑走路跡地

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所在地:島根県‎簸川郡‎斐川町‎出西‎
滑走路:1700m×120m(総面積170000平方メートル)
誘導路:18000m
応急離着陸路:600m×30m


竣工:昭和20年6月7日
経費:7940000円
掩体:50機分(展開は44機)
魚雷格納壕:7
その他:兵舎・工業場・倉庫・各、国民学校

ここは、太平洋戦争末期の昭和二十年(一九四五)三月から六月にかけて、旧簸川郡出西村地内の新川廃川地を中心に建設された旧海軍航空基地です。基地には滑走路のほか、誘導路、魚雷調整庫、爆弾格納庫など主要施設があり、今も山麓の谷あいに名残りを見ることができます。滑走路の建設作業には、舞鶴海軍鎮守府から約一〇〇〇人の将兵や美保基地から飛行予科練習生(予科練)があたり、地元民や学童たちも動員されました。また各村の国民学校は宿舎にあてられていました。

飛行機が実際に発着した舗装面は、延長一五〇〇メートル、幅六〇メートルでした。飛行隊員として第五航空艦隊所属約八〇人が配属され、搭乗する飛行機は、最新鋭の陸上攻撃機「銀河」で、常時約五〇機が配備されていました。ここから「銀河」が終戦まで数度南方の海上へ飛び立っていきました。「銀河」に装着された人間爆弾「桜花」も配備されていましたが、使われずに終戦となりました。
平成二十三年八月 簸川村
(説明版)

陸上爆撃機「銀河」が大社基地で主力として戦った海軍の爆撃機でした。(当時は陸軍と海軍が独立した航空隊を保持)所属部隊は第762海軍航空隊、陸軍初めての魚雷投下部隊の、九八戦隊と七戦隊を指揮下に置き、1944年(昭和19年)10月の台湾沖航空戦に参加した。 その分隊として位置ずけとなる攻撃501飛行隊、九六式陸上攻撃機(九六陸攻)や一式陸上攻撃機(一式陸攻)の陸爆48機の部隊。昭和20年6月に解体、第501飛行隊のみとなった。大社基地では4回の攻撃が連合国部隊に対して行われ未帰還機が多数あった。


戦後は大社海軍航空基地から出西訓練場へ。第13偵察隊等が駐屯する陸上自衛隊の最寄の演習場でした。その後、出西訓練場で訓練場の用途廃止から斐川町へ払い去げとなりました。町では、検討委員会を設けて、利用計画を策定する。

地元では、農村地帯に残された負の遺産解消と地域振興を目的に、対策協議会を結成して、払い下げ運動を展開。町に対しては、生涯教育、健康福祉施設の整備などを求めています。


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