大正3年(1914)6月1日の国鉄川内線(鹿児島~川内間)開通を飾る事業として、同年5月に駅前の原田町通(現昭和通)を横断していた平佐川に架けられた川内橋は、親柱4本(直径40センチメートルで安山岩製)をもつ。橋長約9メートル、幅員約7メートルと立派な石橋であったと推定されています。
川内橋の名の由来は、古来から当地周辺が川内八カ郷(平佐郷・高城郷・水引郷・高江郷・隈之城郷・百次郷・山田郷・中郷)の商業の中心であり、『川内まち(センデンマチ)』と呼ばれていたことにあり、国鉄川内線の駅名も『川内町駅』と名づけられました。
当時の川内橋架橋位置については、現川内駅から国道3号に向かって約100メートルの地点にあり、跡地に標柱を設置してあります。」
「川内橋が架けられた大正3年(1914)5月当時、平佐川は、平佐村と隈之城村との村境として福昌寺前から川内橋下を流れ、蛇行しながら鳥追の杜に至り春田川と合流していました。 この蛇行した区間は、戦災復興土地区画整理事業(昭和22年~昭和40年)に先立ち、隈之城川に流れ込むように改修が行われました。これにより川内橋も昭和20年頃には撤去されました。
その川内橋の親柱が、平成8年(1996)に冷水町(旧鹿児島県川内土木事務所跡地)の造成工事中に一部欠損はあったものの4本とも発見され、平成16年(2004)3月13日の九州新幹線の開業(鹿児島中央~新八代)を記念して、川内駅前通の歴史を伝えるモニュメントとして再び設置することとなりました。」